じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

同じ時代に生まれてくれて、アイドルになってくれてありがとう

 

 これはツイッターもといはてなブログに生息する関ジャニオタクブロガー(?)としての遺書のつもりで書きましたが、担降りとかではありませんのでご安心を(?)

 

 本日錦戸さんの脱退が発表されました。わたしは脱退の文書の簡潔さよりも、もう既に5人になっている連名よりも、ああようやく介錯してくれた~ってことに安堵してしまいました。しんどかったなあとか、これで楽になれるとか、そういう自己中心的なオタクで、でも本当にしんどかったんです。これは渋谷さんの脱退を経験したからじゃなくて、6人の関ジャニに去年あれだけ心を揺さぶられたオタクだからです。しんどくてしんどくてあーはやく関ジャニオタクとしての自分をころしてくれ~ってこの6カ月くらいずっと思ってました。もっとライトな関ジャニのファンになりたかった。何も考えずにコンサート行って、知らない曲もちょっとあるけど楽しくって、またいきたいね~って言うくらいの気楽な気持ちで見たいなって、少しの気持ちがどんどん膨らんで、楽しいより辛いが大きくなっていた数ヶ月でしたね。タイムラインには、何かを言おうとしては我慢して、ポジティブに折れないように頑張っていたひとがたくさんいて、そういう優しさのおかげでなんとかタイムラインに生存していました。

 

 ご覧のとおり、関ジャニだけでこんな数ブログ書いちゃうくらい関ジャニが大好きで大好きなオタクです。今だって錦戸さんと渋谷さんと関ジャニが大好きで、尊敬してます。鉄アレイなんてもんじゃない。

 この数ヶ月の関ジャニとしての活動の少ない静かな期間、最初の1,2カ月は「いいよいいよこんなに円盤あるんだもの!見て待ってるよ!6人になったばかりで大変だもんね!」と待ってはいたものの、いつまでたっても指針は聞こえてこなくて、GR8ESTでやっぱり関ジャニはまだまだいける天下を取れると思って6人の箱推しになったわたしの熱意がからまわりして「あれ?おかしいな?」とずっと悶々していました。「今を見てください」という彼らの今が見えなくて不安で、一人一人の意思はときおり見えども、関ジャニとしてのなにかがずっと見えませんでした。こんなオタクはいつかその幻想を押しつけて、関ジャニに不満を持って、そんな自分を抑圧して、どんどん愚痴アカウントみたいになってしまうんじゃないだろうかと気が気じゃありませんでした。かといって宗教的にのめり込んだ時のリスクもわかっていて、このままではまた依存してしまう、なんとかしなきゃと他のグループのコンサートに行き、Jr.を覚えてみたりして、でもやっぱりわたしは関ジャニがいい、を繰り返しました。関ジャニを好きになったこと自体は何一つ後悔していません。得られた幸せの方が絶対大きい。でもわたしは、もうアイドルをここまで好きになりたくないです。ファンの争いにも、好きな人が辛く言われる世界も悲しくて、いつのまにかアイドルオタクのど真ん中にいた自分は身動きが取れなくなりました。

 

 他のアイドルグループにはぱっと好きになれる子がいました。だいたいこのグループだったらこの子かなって。でも関ジャニは決められなかったんです。揺れてもまた戻っていく。あの子もいいよねこの子もいいよねって、ここが違うから関ジャニは面白いよねって、そのバランスが好きで、だから担当を聞かれるたびに困りました。コンサートでは近くに来た人とか、その日楽しそうにしてる人だとかを見たり、会場全体をぼーっと見たりしてます。そんなオタクでも関ジャニは楽しませてくれました。関ジャニって本当にすごい、意味が分からないくらい物語的なグループ。熱くて、型破りで、いつも驚かせてくれた。予想通りにいったことなんて片手で数えられるくらいだった。箱推しとして、関ジャニ以上に心が揺れるワクワクするグループはないと思いました。

 

 同時に箱推し、渋谷さんのとき身がちぎられるほどしんどかったです。だって渋谷さんだって大事なのに、昨日までみんなでかっこいいねって話してたのに、今日は渋谷さんを好きな人と責める人に分かれていて、わたしはどっちも同じくらい好きで、どこを向いたらいいかわからなかった。あのときは関ジャニが渋谷さんの方を向いてくれました。ありとあらゆる方法で渋谷さんを守ってくれて、最後はみんなの総意だってはっきりわかったから渋谷さんを見送れた、両方とも応援することができました。あのあと関ジャニは倫理という記事を書きまして、今でもその思いは変わっていないのですが、わたし自身は関ジャニをどこまで関ジャニとして応援できるんだろうなって少し思っていました。人間が義手をつけてもそれは人間だけど、臓器や、身体をどんどん機械に入れ替えていったとき、どこまでそれを人間と呼ぶことができるのかみたいな話を聞いたことがあるんですけど、うん、なんかその話と関連してそんなことを思います。

 

 またわたしの好きな関ジャニはバラバラになってしまう。箱推しはどこを向けばいいんでしょう。一番人数の多い方?関ジャニと名前の付く方?一人になった方は大丈夫なんだろうか?関ジャニとしての意思は本当にそれでいいの?わたしはそれを信じればいいの?あんなに楽しく何も思わずにファン同士話し合っていた日も無くなっちゃいます。ファンもバラバラになってしまう、とてもとてもさみしいです。この半年タイムラインからどんどん人がいなくなって、共有できることがなくなって、それでも関ジャニに楽しい発表があればきっとみんな遊びにくるんだろうと思ってアカウントにいました。渋谷さんを悪者にしないでくれた関ジャニを応援しなきゃって、全部わたしが勝手に課して、勝手にしんどくなりました。だからはやくもう関ジャニ介錯してほしかったんです。

 

 それぞれの人生の自由があるって、他人のことは変えられないって、そういう少し冷めた考えをずっと心に持ってます。でも関ジャニという「グループ」にだけは夢を押しつけていました。だからそんな他のグループでもありえそうな、あたりまえの不仲による脱退解散なんてしないでほしいと願ってました。

 

 今回のことは、なんなんでしょうね。なんで錦戸さんの名前を言えないんでしょうね。なんでこんなに慌てて出ていくんでしょうね。純粋によくわからないことが多くて、それはまだ少しもやっとしてます。けれども十五祭で楽しそうにミニゲームやMCに参加してた錦戸さんを見ていると、週刊誌の推測に書いてあるような不仲なんてもので片付けられる理由ではないんだろうなって思います。もう好きとか嫌いとかを越えた仲というのは、そりゃあ二十年も過ごせばそうだろうと思います。単純にわからないことは気持ち悪いので、これから答えを教えてもらえるといいなと思ってます。

 

 渋谷さんのことを経験して永遠なんてないとわかっていたから、覚悟はしていたけれど、47をこのタイミングでもう一度するというのは予想していませんでした。関ジャニってやっぱすごいなと。もはや怖いですよね、本人たちも立ち止まるのが怖いんだと思います。なにがなんだかわからなくて、もう自分も関ジャニも狂ってしまっているような気もしています。ハイになっている人、怯えている人、なんだかいろんなことがめまぐるしいものの、ただひとつ、善悪ともかく、関ジャニはすごい、と思います。こんなグループ間違いなくもう出てこない。関ジャニって人生削って命がけで心を動かしてくるアイドルなんです。ちゃんと実力もあるのに、宗教的で怖いからって言われて避けられてしまうのは悲しいけれど、でもまだ音楽もバラエティも見ていないのに、5人になってもついていきたいって思わせるのはやっぱりそういう人心を動かす力によるんでしょうね。47、いろんなところでおいしいもの食べて、ファンの顔を見て、アイドルを選んでよかったなって思ってほしいな。

 

 47やるって聞いて、やっぱり関ジャニは馬鹿だなあ好きだなあと思った馬鹿なオタクなので、ツアーは行く気満々です。5人には関ジャニを無くさないでくれてありがとう、不安だってわかり合って笑ってたいね、って思います。ただ、わたしはこんなとき、一人になった方を心配してしまいます。錦戸さん、あんなに寂しがりで関ジャニが大好きだった人が、決意の姿も見せずにいなくなってしまうから。渋谷さんの脱退の時は三日くらいほとんどなにも食べなくて、関ジャニに金のいくものしか食べたくないって思ってチョコモナカジャンボとクラッカー食べて生きていたのを思い出しました。今日はハンバーグ定食を見て(亮ちゃん……)と思い、隣のタブにあったしょうが定食を見て(亮ちゃん……)と思い、結局唐揚げ定食を食べました(これも亮ちゃん……)。DVD屋にいったら羊の木がランキングにあって、なんだか誇らしくて寂しかったです。錦戸さん、寂しいですよ。やっぱり7人じゃないとって思いましたか?わたしは7人箱推しで、すばるくんすばるくん言ってましたけど、6人の関ジャニ、めちゃくちゃかっこいいなって思いましたよ。

 

 ああ、まだまだ関ジャニのすごいところ話したかった。6人の関ジャニのすごいところ、もっとみんなに知ってもらいたかった。いや、でも引かれるかもしれないから、やっぱりそれぞれに関ジャニを見て、関ジャニを知ってもらいたいな。8人と7人と6人の関ジャニは間違いなくかっこよかったから。それは本当に嘘じゃない、嘘なんか何もありませんでした。ずっと夢見させてくれてありがとう。

 

 そんな優しい彼らのくれるものを楽しみたいから、わたしはSNSで何か義務感に追われるようにファンをするのをやめたい。違う意見に心乱されるのもやめたい。お花畑のファンを貫きたいと思います。そのためにはわたしのアカウントもブログも少しだけ重荷のようになってきました。また別のどこかで文字を書いているとは思いますが、関ジャニが十五祭で区切りをつけたように、わたしも一旦区切りをつけたいなと思いました。

 

 ああ楽しかったな、楽しかった、大人になってできた青春のすべてでした。ありがとうございました。

 

 

関ジャニ番組の特徴的なテロップについて考える

 ジャニーズの面白さは、「何言ってんだこのイケメン」に集約されると思っている。映像と聞こえる言葉の世界観がかみ合っていない。そのギャップが我々の笑いのツボであり、なんだか笑えてしまうという現象の最大の要因であると考えている。

 

 わたしは、そういったちぐはぐ感を切り取ったテロップ画像が大好きである。関ジャニは長年の鍛練によりキラーワード率が高く、実に豊富な素材がそろっている。そういった素材をうまく調理し、笑いへと導いてくれるのがテロップであり、関ジャニを支えてくれるスタッフの腕の見せ所でもあると思っている。夏休みということもあり、フォルダを眺めながら、さまざまなテロップに思いを馳せてみた。テロップの表示のしかたで分類したものと、テロップのなんとなくの字体で分類したものが混ざっているが、あまり細かいことはきにせず気づいた特徴について羅列したものと思って見てほしい。

 

 

低予算関パニテロップ

 発言をそのまま文字にすることは少なく、まとめやツッコミを画像とともに打ち出すことが多い。文字はみんなに見やすいように画面背景いっぱいに。赤青緑の原色一本で勝負する男らしいテロップが多い。字体もシンプルにゴシック体。縁取りなんて要らない、そう、白ホリならね。

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 ちなみに発言を下に表示するときは黒板消しで消したようなあとが文字の下にでてきて、ジャージや本人との同化を防いでくれる。

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ザ・クロニクルテロップ~顔文字を添えて~

 テロップフォントの種類が豊富なクロニクルのなかでも特徴的な、とてもかわいらしいぶりっ子文字。たまに語尾につくアナログの顔文字がほほえましい。このフォントを使えばあら不思議、三十代のおじさんの発言も女子高生の声で再生される。ゆるくへにょへにょした線もまた、ポップでお茶目なクロニクルの世界観にマッチングしている。これを見つけたらクロニクルだと思うべし。あざとい。

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無の境地テロップ

 場を一旦仕切り直したいとき、冷静に反応したいときなどにつかわれがちな、真面目かつ遊び心のないフォント。それがカラフルフォントの中にぶちこまれると一周回って面白い。だいたいモノクロの楷書体 (2019.8.14ご指摘いただき、明朝体から修正いたしました)。『。』から有無を言わさない圧が伝わってくる。ぜひ真面目な顔をして言ってみよう。渋谷さんや錦戸さん、大倉さんといった真顔ツッコミに定評のある人に使われがち。

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キラキラアイドルテロップ

 イケメンカメラ目線のエフェクトのかかったキメ台詞とともに現れる。その他にも名言、ええかんじの台詞によく使われる。発言者はどや顔、キメ顔であることが多い。白い文字のまわりに縁をぼかした青いネオンカラーで囲むことで、キラキラと発光しているように見えるさまは、まさにアイドルテロップ。しかしだいたいの場合、『こんなにかっこいい顔して変なこと言ってますよ』という強調に使われている。

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関ジャム優等生テロップ

 実は関ジャムのテロップのほとんどがキラキラアイドルテロップに近いのだが、関ジャムという番組の性質上、①知的好奇心からくるキラキラ、②実際に名言が豊富であることを表すため、発言を常に発光させているのではないかと推測する。情報のフリップなどがたくさんでてくるため、個人個人の発言はシンプルで必要最小限の装飾にとどめているようだ。しっかりメンバーカラーは取り入れる、真面目さの感じられるテロップ。

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カタコトペコジャニテロップ

 強調したい単語とそうでないものに大小の差をつけるものはよくあるが、フォントの大きさが一文字ごとに変化するのは珍しい。そこはかとなくカタコト感を漂わせている。なぜその文字を大きくしたのか、小さくしたのか、一見無意味な抑揚に思わず変な気持ちになってしまう。切り抜き文字をコラージュしたかのようなテロップは、一体何を伝えたかったのか、残念ながら今はもう聞くことはできない。

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あたたかいにほんのたてがきテロップ

 個人的に大好きな三馬鹿『明日はどっちだ』のテロップ。柔らかいゆるっとしたフォントやぼかしふちを使うことで、縦書きからうまれる荘厳さをみごとに緩和している。今までの関ジャニの切り口とは異なる番組内容だが、その独自の熱く優しい世界観を作り上げるのに大きく貢献した。他番組でよく見るようなボケツッコミも、テロップによりずいぶん印象が変わることがよくわかる。たまに映画ロゴのごとく文字に細い縦線が添えられており、画像で見るとシュールさを感じられる。マイルドで上品で口当たりのよいテロップ。 

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万能旧ジャニ勉テロップ

 メンバーカラーを活かしたカラー文字を四角で囲った一風変わったスタイルが特徴で、背景を☆やドット模様にすることで、関ジャニの少年らしさを表現しているように見える。旧ジャニ勉では関ジャニは毎回異なるカラフルな私服風衣装を着ているが、文字が背景と被るのはご法度とはいえ、その都度文字色を調整するのは実にめんどくさい。しかしそういった場合もこのテロップ形式ひとつで安心安全。どのメンバーカラーもくっきりはっきり。味がありつつも、実に合理的に編み出されたテロップフォーマットと推測する。

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 関ジャニがよくおこなう、ボケとツッコミの重なりも表現可能である。まさに長年の歴史から関ジャニのために編み出されたテロップといってもいいかもしれない。

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錦戸さん御用達テロップ

 勢いのある毛筆フォントで、怒りや憤りを表現。文字を見ただけで錦戸さんのがなり声が聞こえるかのよう。はねや点の墨汁の飛び散り具合をそのままに、太い線で迫力を出している。

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 錦戸さんに限らず、なかなかドスのきいた声を出しがちな関ジャニに馴染むのか、そんなに怒っていないのに使われてしまったこともある。 ある種、関ジャニらしいフォントといえよう。

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 他にも関ジャニに限らず、ジャニーズが出演している番組においてはその面白さを最大限に活かすために、特徴的なテロップが使われている。彼らの面白さは、それを支えるスタッフのセンスによって増幅されているのだということをかみしめながら、その努力の結晶であるテロップ画像を愛していこうと思う。

 

十五祭感想(ネタバレあり)

 十五祭の感想を書こう!と心を膨らませようとしてきたのですが、ぽっかりとした心にぱっと浮かぶのは「楽しかったなあ……」の言葉だけで、全然まともな文章になりそうになく、書いては消し書いては消し、そんなことをしている間に本当に十五祭が終わろうとしています。感想苦手なんです、マジで……記憶力もないから……

 しかし今回の十五祭、楽しかったという感想がツイッターに溢れていたわりに、GR8ESTのような感想ブログがあまりないなと感じています。ショッキングな出来事やエモーショナルな出来事に対するブログって書きやすいんですけど、このシンプルで、でもとてつもない「嬉しい」「楽しい」「大好き」をどう表せばいいのか難しいところですよね。わたし自身まだ頭を悩ませています。

 なんせ今回のコンサートは十五周年ということで、エモの塊のようなコンサートでくるかと思いきや、エイターテイメントの最高峰のようなコンサートでしたから。とてもとても惚れ直しました。オタク人気が高いキャンジャニちゃんやエイトレンジャーといったキャラクターを、すばるくんがいなくても違和感が無いようなミニコーナーで組み込んでくる発想といい、いろんな角度で過去を楽しませようとしてくれているのが伝わってきました。

 オープニングは、スクリーンを絵巻物をイメージした形にしてしまったがために、大事な6人登場シーンがかなりの席で5人に見えてしまっていたのではと思います。(それもまた愛しいです。)すばるくんも内くんも出ていたし、今回あらゆるところに8色を意識した演出が多かったですが、お涙ちょうだい感が少なくて、明るく確かな歴史の1ページでした。GR8ESTは無くなったばかりの赤を意識せざるを得ませんでしたが、今回赤もピンクも自然に取り入れてくれて、ああこれが関ジャニズムなんだな~と思いました。6人でも8人な気がしました。2人を過度に取り上げず、腫れ物に触るようでもない絶妙な演出。内くんやすばるくんファンが来て「良い」「悪い」の次元ではなく、いるのがあたりまえのような扱いが、とても心地よかったです。ペンライトの海には赤やピンクもあって、関ジャニのアニバーサリーイヤーとしてとても『らしかった』ですね。改まって言及しないところが粋でした。

 MCは短さに驚いたというより、その面白さにびっくりしました。あまり現場歴のない自分ですが、近年の関ジャニMCといえば宣伝がメインで、まぁすこしのぐだぐだ感もあり……といった印象が強いのですが、今回はまんべんなくいろんな人が話し、笑いが丸山さん頼みということも少なかった気がします。GR8ESTのときの無理してる感が薄れ、自然でテンポのよいMCでしたし、流れがワンパターンでなかったことにも関ジャニの対応力を感じました。

 また、勝手に仕上がれや、T.W.L.等、ファンがノれるコール&レスポンス曲がたくさんあったのも楽しかったですね。フェスのような盛り上がりがありました。これは初めての方や連れてこられた方も楽しかったんじゃないかな。関ジャニのコンサートはジャニオタ外からの敷居が低くて(倍率は高いですが)、いろんな方に開かれてる優しいコンサートだと思います。

 昔の曲が多かったのもあると思いますが、振り付け曲多かったですね。アンコールではトロッコに写し出されるMVを見ながらみんなで踊るのが楽しくて楽しくて、お祭り感半端なかったです。同時にトロッコのメンバーも見なきゃいけないので忙し楽しい。関ジャニのふりつけは簡単かつ繰り返しが多いので、曲が終わる頃にはなんとなくうろ覚えでも踊れていて、ドームの一体感の形成に繋がっていました。お子さまエイターも安心。

 あとはダンス曲の量がなんといっても印象的。あまり踊らないグループを自称していたとは思えないほど、灼熱ドームの中、怒濤のダンス曲の連続でした。アラフォーで、ダンスがそんなに得意でもないメンバーもいるなか、かっこよくて美しい、気迫に溢れるパフォーマンスを見せてくれました。安田さんもバリバリ踊っていて、心配……ではなく見惚れました。安田さんのダンスから溢れるエネルギーを純粋に、余計な心配なく楽しめました。すごくかっこよかったです。ゆっくり休んでくれてありがとう、ありがとう安田さんの体。みんな汗だくなのですが、GR8ESTのように、あからさまにしんどそうだったり声が出なくなったりということはほぼありませんでした。(※前向きとかキツそうだったけど……)この一年で関ジャニが相当トレーニングしたのか、それとも疲れを見せないプロ根性ゆえか、これだけの量の曲とダンスを仕上げたことにびっくりします。何度も言いますが40近いメンバーもいるんですよ……わたしより年上しかいないんですよ……

 street bluesは思わず目を閉じて聞きたくなってしまうほどの艶やかな声。本当にうっとりする声ばかりで表現力歌唱力がぐんと高くなっていることがわかります。わたしのポンコツ耳だと、ユニゾンはジャニーズグループぜんぶ似たような声に聞こえちゃうんで、パート分けされたひとつひとつの声を噛み締めるのが好きです。特に関ジャニの声はひとつひとつが個性的で、キャラクターが宿ってます。聞いているだけでバックグラウンドが見えるようで、うきうきしてきます。設定書けそう。

 十五祭は、Eightopop!!!!!!!、Tokyoholic、Black of Night、アイスクリーム、月曜から御目かし、といった関ジャニが誇る作詞作曲部隊ヤンマーちゃんの才能溢れる歌が目白押しというのも嬉しいポイント。誰にともなく誇らしく感じてしまいました。曲調がとてもキャッチーで、遊び心に富んでいて、どのグループの人も喉から手が出るほど欲しいであろう、関ジャニの唯一無二の武器ヤンマーちゃんです。純粋な曲としての魅力もたっぷりながら、関ジャニの歌唱力でさらにそれを膨らませてくれます。全世界に自慢したいです。最高の贅沢ですよね。

 デイ・ドリーム・ビリーバーのアコースティックは、ずっと幸せだな~って思ってました。6人揃って演奏してる場面をずっと見ていなかったときに、6人が笑って演奏してるCMが流れてすごく嬉しかったのを思い出しました。ペンライトがとても綺麗で、ドームの天井見上げながらずっと夢見させてくれてありがと~~~って思いました。永遠がないってわかっていても、この時が永遠に続けばいいのになぁって感じてしまう、すごくあったかい空間なんです。

 コンサートに行けば、関ジャニって本当に素敵でかっこいい人たちだなぁ、コンサートを全人類に見てほしいなと強く思います。倉橋ラジオで、スカパラの谷中さんが「スカパラのメンバーはみんな関ジャニのこと好きになっちゃってた」みたいなことおっしゃってましたが、関ジャニと共演した人の多くは関ジャニのファンになっちゃうんだなって、すばるくん脱退のときも思いました。それは『ここにある熱いものが似ているから』なんだろうなって。まだ関ジャニを見たことのない、そういう熱いものを持った人に、コンサートを見てほしいな~って感じます。

 十五祭は久しく忘れていた関ジャニに対するワクワク感がありました。そう、関ジャニのコンサートはわくわくするのです、毎回。何が起こるんだろう、どんなふうに驚かせてくれるんだろうと。

 相も変わらずツイッターの『関ジャニ』の予測変換には解散や休止やらが出てくるし、明日のことはわからないし、タイムラインから消えていく人もいるし、十五祭が夢だったかのように日々が過ぎていきます。2017年のファン同士で楽しいね、かっこいいねって言い続けられる永遠を信じていました。ド新規ド新規と言ってはいるものの、気がつけばわたしも関ジャニと同じようにファン同士で出会い別れを繰り返しているわけですね。感慨深いですね。

 そういう別れが寂しくないといえば嘘になりますが、2017年のままだったら、出会わなかった人がたくさんいます。関ジャニだって2017年のままだったら、この十五祭もなかったことでしょう。十五祭では、酸いも甘いも知った関ジャニにしか歌えない歌がたくさんありました。彼らの十五年間に無駄なことなんかなかったと思えるコンサートです。彼らのパフォーマンスのなかには人生のステージが見える気がします。コンサートに行くたび、関ジャニが好きだな、関ジャニにしか動かせない心の部分があるなって気づきます。

 十五周年、ひとつのペンライトの光として、関ジャニの十五周年を彩れたことが幸せでした。十五祭でちゃんと過去に花丸をつけてくれた関ジャニはやっぱりかっこいいなと思います。未来はわからないけれど、関ジャニが強がってくれるなら、わたしも強がって関ジャニについていきたいです。

 これからの彼らが進む道にもたくさんの花が咲きますように。最高で最強の十五祭をありがとうございました。

箱推しを諦めたくないという話

 わたしが何か書きたい!と思うときは大抵、グループ内での行動からそれぞれの違いを見つけ、そういえば彼はこんなことを言っていた、この人はこんな感じで、この人はこんな感じで、だから関ジャニはすごいのだ!!がお決まりのパターンであった。


 7人が終わったとき、書くことが一気にリセットされた感覚だった。なので6人の関ジャニを改めて見つめ直して、6人の関ジャニを「関ジャニ」としてまた新しいすごさについて書けたら良いなと思っていたのだが、あれから恐ろしいまでに情報が蓄積しなかった。なぜcrystalを歌番組でやらないのか?なぜ6人で特番に出ることがないのか?なぜ後輩のプロデュースの情報はこんなに入ってくるのに本人たちのグループ活動は少ないのか?これに輪をかけて、十五周年なのにと思ってしまう。嵐が盛り上がれば盛り上がるほど、横山さんばりに嫉妬してしまう。


 『なんでやねんどないやねん、つっこみたくなるぜ。』と何度頭のなかで流れただろう。今の関ジャニについて考えようとするとまずこの歌詞がでてきてしまう。進んでいるのか充電期間なのかはたまた違う道を選びたいのか全くわからない。ド新規にはこれが普通なのかもわからない。こんなことをなんでだろうと考えるためのブログではないのだが。


 彼らのしたいようにやってくれればいいものの、その彼らの目指すグループ像、というか今後したいこと、があるのかが伝わってこなくて不安なのである。一人一人の活躍はそりゃすごい。看板番組だって3つもってる。今の彼らを十分なほど見せてもらってるはずなのに、なんでこうも胸を揺さぶられないのか。わたしがおかしいのか……贅沢になってしまったのか……と苦悩し自己嫌悪する。GR8ESTとMステの『ここに』で高ぶった6人への思いの行き場がなくて暴れそうだった。


 そんなこんなでずっともやもやしているのだが、先日の錦戸さんのレンジャーは少し前向きな気持ちをくれた。ジャニーズウェブの転載はできないのでおおよその内容でいうと、

 文字で伝えるより目でみた方が早いので黙って頑張る。あなたも自分の中の何かを鍛えてね。

 といった感じだ。錦戸さんは自分の考えていることを不特定多数に言うようなことをしないが、言わないからこそこうしてわざわざくれるメッセージは本心だという気がする。なんとなくだが、何か具体的に目指しているものがあるのだと思ってほっとした。


 わたしはすばるくんのときに背中を押してくれて最高の7人の終わりと6人の始まりをくれた彼らに本当に感謝しているし、もし今後彼らがなにかアイドルではできないことを目指して関ジャニの形が崩れることがあっても、それぞれの決断を応援するしかないとは思っている。それでもできれば、関ジャニを諦めてほしくないと思う。些細な発言がツイッターのトレンドを何時間も占めるくらい、今この瞬間も関ジャニは愛されている。もっと関ジャニに驚いていたい。楽しみにしていたい。水面下で動いているなにかが、楽しいことだと思いたい。コンサートが動くと同時に新しいワクワクと驚きがまた溢れるのだと信じたい。


 クロニクルの新企画は6人のものがふたつだと聞いた。これが心底嬉しくて、やはり自分は生粋の箱推しなんだなぁと思った。最近つくづく、すばるくんの笑いが抜けた穴は大きいなと思う。それでも新しい笑いの形はいくらでもあるはずで、6人にはそんな新しい魅力を教えてほしいなと感じている。

「関ジャニは倫理」について考える

 関ジャニは「お笑い寄りの」「アイドルらしくない」と世間の一部に思われているであろう、ジャニーズのアイドルグループです。2018年4月15日、関ジャニが誇るメインボーカル渋谷すばるさんの脱退が発表され、関ジャニオタク界隈は動揺、絶望、やり場のない思い、憤り、悲しみ、さまざまな気持ちを抱えて、世間から話題がなくなってもなお苦悩しながら渋谷さんの脱退7月15日までの3か月を過ごしてきました。

  しかし7月15日、渋谷さんが関ジャニからいなくなるあの瞬間、「好きにならなければよかった」と述べているファンは極端に少なかったように思います。「好きになってよかった」「彼らのファンでいることが誇らしい」と感じさせる、関ジャニの魅力はきっと「アイドルらしさ」由来の感情を越えたものです。


 「関ジャニは倫理」これは『ここは今から倫理です』第二巻後書きに書かれている大学教授の言葉です。

 

教授「マンガは倫理だと思ってるんだ」

作者「マンガって倫理なの!?」

教授「ジ◯◯ーズも倫理だと思ってるよ」

作者「◯ャニー◯も倫理なの!?」

教授「特に◯ジャ◯が倫理だね」

作者「特に関◯◯ニが倫理なの!!?」

 

 わたしはこの言葉がずっと心に残っていて、意味もよくわかっていないくせに、ことあるごとに関ジャニは倫理だからと言ってきました。

 倫理とはなんでしょう。

 ググっていくつかの意見を参考にして、倫理とは「私がより善く在るための指針」と仮定義することにしました。倫理を道徳とイコールと解釈する説もありますが、わたしは若干異なるものと解釈し、話を進めていきます。道徳は社会にとっての「正しい」「正しくない」がある、絶対的な基準です。一方で、倫理は「私が」「より善く在る」を導く指針であり、道徳的な「正しい」を導くこととは必ずしも一致していません。

 自分について思い返してみると、わたしは何かを選択するとき、己の信念のような指針に照らし合わせて決断しているような気がします。自身に胸を張って己の決断を示すことができるか、この状況ならどうするのが最適なのか。AならばBというマニュアルが無数にあるというよりは、情報をインプットすれば、自分なりのそのときの最適解がアウトプットできる、柔軟性をもったコンピューターのようなものがあります。それが倫理なのかなと思ってます。

 それを踏まえて教授の言葉を読み返してみます。マンガの熱い主人公に触発されて新しいことを始めてみる。ジャニーズアイドルの眩しい姿に心打たれてより善いファンであろうとする。どうしたら彼らのようになれるのか考えてみる。そういった事象をもって、教授は「関ジャニは倫理」と言ったのではないかと考えました。 


 さて、関ジャニは倫理という言葉をはじめて聞いたとき、わたしは「関ジャニの7人の立ち振舞いがこうありたいという指針である」という意味に捉えました。関ジャニの姿を見ていると、こうでありたい、という思いがわいてきます。自己啓発本を買うお金で関ジャニを見ればいいのになぁと思うくらい、自己啓発性の高いアイドルです。

 渋谷さんの会見には「異例のメンバー同席での脱退会見」という見出しがつきました。休止でも解散でもないのに他のメンバーが来ました。笑顔がほとんど無くて、渋谷さんの隈も横山さんの泣きはらした顔も痛々しくて、いつもの明るい彼らではなかったけれど、これ以上ないくらいに関ジャニらしさに溢れていました。大倉さんの「それは日本にいてもできるんじゃないか」も、横山さんの「関ジャニ∞と一緒に夢を見ることはできひんのかな」も、「すばるが抜けた関ジャニ∞は想像つかなかった」も、錦戸さんの「ジャニーズ事務所という大きな事務所の中にいて守られているんだ」も全部、どこかにいるファンの叫びを代弁してくれているように聞こえました。

「僕たちの人生はそのまま続くわけではなくて、変化するわけで」

「その上での決断なのかという質問をした時に、「それは申し訳ないけれど、自分の人生を優先させてもらった」というのを聞いて」

「俺らのことを考えた上での決断なら僕らはもう言うことはないですね」

 会見で終始ふてくされていた大倉さんの発言・行動は「客観的事実」と「他人の考え」と「自分の感情」のどれもが尊重されています。「俺らの人生も変化する」というのは、厳しい言葉ですが仕方のない事実のひとつです。大倉さんは事実を伝え、その上で変わらない渋谷さんの決断を受け止めました。そう、大倉さんは受け入れられないと言いながら、「すばるくんの考えが間違っている」と否定しているわけではなかった。その一方で、納得できないという自分の感情を譲らず、己の態度を貫いていました。
 他人の行動は他人のもの、自分の行動は自分のもの。大倉さんを始め、関ジャニの人たちは常日頃からそういう考え方を根底においているような気がします。ひとつのコミュニティで全員がこの思想を持っていることは、人間関係が必要以上にこじれやすい社会において、とても得難く理想的なことのように思えます。

 会見の翌日、憔悴しきった顔だった横山さんはきっちりヒルナンデスに出て笑顔で仕事をしていましたし、その姿を見て、辛いけれどもわたしも仕事へいこうという気持ちになりました。また、渋谷さんの決断も、多くのファンに自分の人生を再考し新たなことにチャレンジするきっかけを与えたことでしょう。

 わたしにとってのこうありたい、こうあるべきという指針、倫理は7人の姿と実によくオーバーラップします。ある人にとっては6人、ある人にとっては7人、ある人にとっては8人という、関ジャニのメンバーそのものが倫理的存在に映ることでしょう。

 しかしメンバーが欠けたとき、彼らは言います。何人だろうが関ジャニ∞だと。
 関ジャニのメンバーや彼らの行動が倫理そのものであるなら「何人であろうが関ジャニ(倫理)」というのは成り立たないように思います。 

 前述の通り、わたしのようなファンにとっては関ジャニのメンバーが、彼らの行動が「倫理」にうつります。じゃあ彼らにとっての関ジャニとはなんでしょう?何人でも関ジャニと言えるのはなぜでしょう?関ジャニ関ジャニたらしめるものとはなんなのでしょう?

 関ジャニ関ジャニたらしめるもの。それは、「倫理」なのではないでしょうか。最高で最強を目指すための倫理。わたしが関ジャニの姿に倫理を見て行動を省みるのと同じように、彼らもまた、関ジャニという倫理を己の行動に反映させているのではないでしょうか。ふとそんな風に思ったのです。
 

※以降、まぎらわしいので関ジャニはメンバーを指すとし、関ジャニ(倫理)は関ジャニとしての倫理と記載します。


 渋谷さんが言っていた「仲が良いけれど仲良しこよしじゃない」といったニュアンスを思い出します。わたしは、関ジャニは、個人の倫理と同時に、関ジャニとしての倫理を持っていたんじゃないかなと思います。当時快進撃を続けて底の見えなかった関ジャニとしては「渋谷さんの脱退」が避けられるのなら、それがベストだったことでしょう。音楽の面でもバラエティの面でも、彼の存在はとても大きいものでした。
 会見での態度や、ことあるごとに「7人で」を強調してきた安田さんの発言を踏まえると、あがいて、食い下がり、それでも止めようがなかっただけで、彼らはわたしたちの目に映る以上に渋谷さんを止めようとしたはずです。彼らが最高で最強の関ジャニであるために。

 6人でコンサートを開催すること。これに対し個人の「賛成反対」の意見はあって当然ですが、道徳の問題と違って、選択の時点での「正解不正解」はありませんでした。しかしきっと彼らは関ジャニとしての倫理に基づいて「6人ですべき」と判断して、渋谷さんも、個人としてやりたい気持ちはあったかもしれないけれども、「6人ですべき」という気持ちを理解してくれたものという気がしています。

 コンサートはほぼ一年に一回で、一部の人しか来ることができません。今回のコンサートを7人でやれば、当然ファンは「すばるくんの最後」として見ることになります。
 もしわたしなら、自分が行けなかったらとても悲しい。行けたとしても、7人のパフォーマンスが良ければ良いほど、これからの関ジャニに不安を抱きながらずるずると悲しみを引きずってしまいます。安田さんはこれでよかったのかは分からないとおっしゃっていました。でも、きっと一年に一度のコンサートを「あぁやっぱりすばるくんがいるコンサートは最高だな」という結論で終わらせるのは、これからも続く「関ジャニ」の倫理には当てはまらなかったのではないかと感じます。

 個人の感情を素直に書くならば、一秒でも長く7人の姿を見るチャンスがほしかったです。しかし、テレビで7人の姿が終わり、渋谷さんが関ジャニを離れると同時に6人のコンサートが始まることが、彼らの考える「関ジャニのベスト」だったというのも、なんだか納得できるのです。

  わたしが特に印象に残ったことのひとつにスバラジと倉橋ラジオでの発言があります。「6人はファンの皆さんに対してどうしようって考えたはずなんです絶対それはもう」と言い切る渋谷さんと、「すばるくんももちろんそういう(内くんの脱退)経験してるからその気持ちももちろん十分分かった上でのこの結論だし」と言い切る大倉さん。言い方と内容からして、多分この話をお互いに確認したわけではないと思います。ただ、きっと、わたしが思ってるよりずっとずっとお互いの倫理を分かっていて、その上で関ジャニとしての倫理を共有しているからこそ、こんなに確信に満ちた言い方ができたのだという気がします。

 渋谷さんという個人にとっては、自分の自由と責任で音楽を全うすることが倫理でした。しかし同時に、関ジャニとしての倫理に即して考えたときに、自分という個人がやりたいことのために関ジャニというグループは歩みをとめるべきではないとも考えていたのではと思います。実際6人は歩みを止めませんでした。関ジャニのメンバーは個性がバラバラで、やりたいことも、感情も、価値観も違うのだろうけど、根底の深い部分は何かを共有しているのだろうなと感じていました。「7つ根っこで引っ張り合って」の根っこは、関ジャニとしての倫理のようなものだという気がするのです。

 わたしは、このファンという立場から感じる彼ら一人一人の倫理も、関ジャニとしての倫理も好きです。また、彼らの選んだ道を、彼らがすべきだと考えていることを、時に感情面で共感できなくても「信頼」しています。正解不正解のない世界で彼らが悩んで選んだ道を肯定したいなと思うのです。

 GR8EST コンサートDVDの本編から見えるように、彼らの関ジャニとしての「より善く在る」は、きっとかっこよくいること、ファンを引っ張っていくこと、ファンに誠実であること、そんなところに反映されています。しかし同時に、あくまでも彼らは人間なのだということも、メイキングを見ればわかります。これだけ冷静に関ジャニとしての倫理を共有しながら、自分勝手な思いを優先させた彼を嫌いになれず、こうあるべきだと思いながらも寂しくて涙を流し、 心身ともにしんどくても出ていく仲間の背中を笑顔で押した。模範的になりきれず、個人の感情を優先させてしまうところも、アイドルファンとしては愛しさを覚えます。

 話が少し脱線しました。とにもかくにも、彼らが形にする関ジャニの倫理は、わたしのより善く生きる方法の道標にもなっています。やはりわたしにとって関ジャニは理想的なアイドルであると同時に、倫理なのでしょう。そして彼らにとっても、関ジャニという箱そのものが倫理なのでしょう。

 一年近くずっと考えていた、関ジャニは倫理だなぁと思った話でした。どなたか教授を呼んできて正しい講釈をお願いします。

社会人向け関ジャニのヒーローソングについて考える

「典型的アイドルソング」という表記は、過去の私の概念的かつ偏見的な主観に基づいたものであり、特定の何かを指しているものではありません。以下の文章には読みやすさを考慮して、断定の表現等も使用していますが、あくまでも私(社会人)の思考です。

序論

 社会人になってから、気がついたらあっというまに時間がたっている。社会人はだいたい疲れている。もともと持っているエネルギーが減り、漠然といろんなことがめんどくさいなぁと思うようになる。朝になったら仕事へ行き、残業をし、実家暮らしじゃなければ帰ったら自炊に掃除洗濯。休みは気がついたら終わっている。仕事行きたくないが口癖になる。五億が欲しい。そういう人がツイッターにはたくさんいる。*1

 私にとって一番関ジャニの曲が染みるのは仕事からの帰り道である。関ジャニの歌というのは、社会人のヒーローソングだと感じている。世の中にはたくさんの応援歌が溢れているが、私はなぜか「関ジャニの曲」がとりわけ好きである。そこで今回の記事では、私的社会人応援ソングの歌詞をじっくり眺め、その魅力について考えていこうと思う。

本論

怠い もう嫌だ 帰りたい 眠い 暑い 寒い 全部終わらせたい(Your WURLITZER

 応援歌の内容を「現実はこう」「だけど頑張ろう」と二分するならば、典型的アイドルソングのイメージとしては「現実はこう」が1~2割で「だけど頑張ろう」が8~9割である。「現実はこう」はあくまでも前置きにすぎず、「頑張る私」へ辛い現実をあまり突きつけずに、綺麗な言葉を並べて、夢や希望を抱かせてくれる。典型的アイドルソングにとって、辛い現実というのは傷のようなものであり、触れない事が優しさのように扱われていることが多い。そのため比較的早めにマイナスなことは切り上げ、キラキラな幸せの未来の世界を中心に歌う。


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 それに対し、関ジャニの曲はこの「現実はこう」の部分が長く、かつ具体的であるものが多い。

いつも夢に選ばれないまま 日が昇り沈んでいく日々
そこに僕の姿がなくても世界は簡単に回った(Heavenly Psycho)

なんでやねんどないやねん ツッコミたくなるぜ 思うように歩けない厳しい世の中
オトナぶって飲み込んだ言葉は腹の底 消えないままくすぶって キリキリ痛むけど(モンじゃい・ビート)


 私は子ども時代に描いた理想とは違う『大人』の世界に生きている。いろんなことにもやもやイライラを抱きつつも、まあそんなものかと諦めて自分を削って生きている。関ジャニの曲はそんな現実を歌った曲が多い気がしている。関ジャニの曲を聞いていてあまり夢に浸ったことはない。*2
 ただ、そこで歌われている現実は、確かに社会のすみにいる誰かの現実であるように思う。関ジャニは皮肉な現実をふわっとした言葉でごまかすことをしないため、「現実はこうだよな!」「現実はこうだよな!」「現実はこうだよな!」と連打する。しかし、これが不思議なもので、第三者的に「わかるよ」と言われるよりも「わかってもらっている」気がしてくる。それが日々不満を殺していて「大人ぶっている」我々に突き刺さるのだと思う。上司の悪口をぶちまける同期飲み会は盛り上がる。それと似たようなものかもしれない。*3


恥さらす生き方どうしようもなく美しい(へそ曲がり)

 以前の記事にかいたことと重複するが、関ジャニの歌詞の多くは赤裸々で、泥臭い、人間臭いと言われるほど、実に等身大だ。現実の彼らは二枚目だが、歌詞の彼らにはどこか残念な三枚目感がつきまとっていて、わたしたちと「同じである」という錯覚を起こさせる。

挫折に絆創膏貼って平気なフリしてく
与えられた成功なんていらんと強がり(へそ曲がり)

垂直ジャンプ 0.5秒 しょぼくてゴメン それでも空に近づいたと 言い張っていいでしょ?(応答セヨ)

もっと頑張って、頑張って 駆け抜けて光を追い越して もう一切 金輪際 弱音や不安を閉じ込めて(LIFE~目の前の向こうへ~)


 「この人は信頼できる」「何でも話せる」といった信頼関係のことを、心理学用語で「ラポール」というらしいのだが、このラポールを短期間で形成するにあたり有効な手段のひとつが自己開示である。「かっこつける」という行動は、かっこわるい部分があって初めて可能になるわけだが、関ジャニの歌は強がる歌詞を巧みに使いながら、同時にその裏にあるかっこわるさをさらけだしているとも言える。

 情けない自分に対して自己嫌悪しているとき、とても心細くなる。自分だけがこんなにできないのではないか、自分だけがこんなに弱いのではないかと周りと比較しては落ち込むことがある。関ジャニの曲は、自分の気持ちとしてその恥を歌い、わたしの大人になれない部分と同化してくれる。笑っているあの人も、気にしてなさそうに見えるあの人も、強がっているのかもしれない。みんなそれぞれに情けない自分を隠してるんだと。


思うようにいかない 人生はそんなもんだよと あきらめてしまうほど 俺らは素直じゃない(咲いて生きよ)

 上記に述べたように、社会人の辛い現実とは、①厳しい社会 ②情けない自分 という二つの「思うようにいかないもの」で構成されているように思う。ここまではわたしも関ジャニも同じである。しかし関ジャニの歌詞はここからさらに一歩前へ進む。頑固で負けず嫌いで、自分に対する言い訳を許さないのが代表的な関ジャニソングスタイルであると考えている。

言い訳と弱音をやめたら あとはドアを開けるだけ(なぐりガキBEAT)

この時代でこう息吸って 預かった一つ命をなぁなぁって 有耶無耶にしちゃって さらりと終えたくはないんです
食いしばっては 汗かいて 言い訳にケリくれちゃって 立ち向かっては失って たしかに理想に迫っていく (ER)

 関ジャニソングには現実の壁だらけで、わたしと同じように苦しみ挫折する。しかしわたしがそこで悶々と停滞するのに対し、関ジャニソングはとにかく壁をぶち壊す。

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 何か失敗した時にその事を責めるのではなく、次にどうするかを考えることが大事だという。関ジャニの曲はきちんと現状を踏まえた上で前を向き、このやろうやったろうやないかという意気込みにあふれている。

 この意気込みは誰かのためではない、自分のためである。地位や名誉といった他者から与えられるものではなく、単純に情けなくカッコ悪い自分でいたくはない、その意地で彼らは壁をぶち壊そうともがいているのだ。大人になって社会の常識に従い、人から与えられる評価のために必死になっていはしないか。関ジャニソングにおいては理想の自分になることが努力の目的であり、その健全ながむしゃらさがわたしに忘れていたものを思い出させてくれるような気がするのだ。


眠れる獅子を起こせ 生き様は己の心一つ(NOROSHI)

 そのように自ら目標を掲げているだけあって、関ジャニソングは自分に厳しくあるものが多い。目をそむけないで歌う負のエネルギーの反動かのように、歌われる正のエネルギーも人一倍強い。それを何度も繰り返すというのが関ジャニズムだ。

泥だらけって分かっても踏んだ水溜まり 大切なもんを守って心削っていく 泣き笑い笑い泣き 情熱を詰め込んで(へそ曲がり)

何千回も夢を見て 何千回も諦めて それからだぜ 小細工はなしさ どの道 この道 俺道ストレート
逆境も 理不尽も 屈辱も 暗闇も 失恋も 残念も 台風も まとめてかかってこい(ゴリゴリ)

 彼らは何度も挫折し、そのたびに這い上がる。聞く前は確かにこちら側が疲弊していたはずなのに、聞いていると逆にこっちが「大変だな……休んでいいんだよ……」という気持ちになってくる。

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 ヒーローの中身はただの人間だ。それを知っている大人でさえかっこいいと思うヒーローが関ジャニソングの中にいる。頑張ることがダサくて、斜に構えているのがかっこいいと思う時期を経験した自分が関ジャニの歌を聞いていると、まっすぐに努力できる人はすごいのだ、美しいのだと思う。

 関ジャニの歌は一方的に頑張れとはあまり言わない。とにかく自分が頑張っている。頑張れというのではなく、頑張っている姿を見せることで誰かを励ますそのいでたちは、やはりヒーローを彷彿とさせる。子どもたちが熱いヒーローに憧れヒーローソングを口ずさんだように、私にとって関ジャニの歌はヒーローの背中が見えるようなヒーローソングだ。


絶対 ふりむくわけにはいかないぜ さらば昨日の悲しみよ(ふりむくわけにはいかないぜ)

 こういう背景を踏まえて、楽しい関ジャニソングを聞くとまた違った一面が見える。明るい面白おっちゃんというイメージに違わず関ジャニの曲は明るくて楽天的、言ってしまえばあまり考えてなさそうなとにかく楽しそうな曲が有名だ。しかし、前述のように関ジャニソングの彼らは強がろうとしている。内心ネガティブな気持ちを抱えていても、虚勢であっても前を向こうとする。

三振でも、さぁかませ 肝心なのは折れない心だぜ
何回転んだってタダでは起きないぜ(ナントカナルサ)

我人生旅 お祭り大騒ぎ スイモアマイモ越えて(前向きスクリーム!)

ヘコんでもいけ somebody!! 理想ばっか増えるけど 抱えて飛んでみりゃ良いさ(急☆上☆Show!! )

 明るく誘いかける歌詞に、よくよく見ればにじみでる辛い経験。この曲の彼らもまた、三振したり、何度も転んだり、辛かったり、凹んだりしているのかもしれない。だからこんなにこっそりひっそりマイナスワードを潜ませて、それを覆い隠すように馬鹿明るい歌詞を並べているのかもしれない。強がって前向きにふるまう歌詞から見えるいじらしさ、健気さ、そして芯の強さに、日本人はぐっときやすい気がしている。
 もちろんそこに同情はいらない。一緒にしんみりするくらいならその虚勢を尊重して一緒にアホになること、笑顔で歌うことが、この歌詞の醍醐味である。全力で楽しんで、明日を共に頑張ろう。
 

君が泣いていないか泣いていないか心配だ きのう通り沿いのパンジーが咲いたよ(イエローパンジーストリート

関ジャニの熱い曲によって、ちょろい私の心理サイクルはだいたい図のように回っている。

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 頑張った結果うまくいけばいいのだが、当然いかないこともあるのが現実だ。ぐるぐるとまわり続けているとしんどくなってくる。そんなときにふっと肩の力を抜いてくれる優しい曲がある。

自分だけじゃないさとわりきればそれまでだけど 頑張れのその一言が また君に無理をさせてはいないかい(ワッハッハー)

 彼らの心配の仕方は少し遠回りだったり、おどけたニュアンスを含んでいたりする。本人たちはかっこつけて歯食いしばって戦おうとするのに、他人にそれを一方的に強制したりもしないし責めたりもしない。関ジャニの歌はどこまでも現実的で、だからこそ折れそうになるわたしには「しゃあない!」と笑いかけてくれる。しんどいとき、どうしようもないとき、自らを鬱状態に追い詰める前に逃げ道を作ってくれる。

頑張れ頑張れって言う声が邪魔だ さぁみんなで逃げようぜ(Great Escape大脱走~)

 この曲は、逃げて良いよじゃなくて、逃げようというところがいい。関ジャニの曲は追い詰められた社会人を救ってくれる。視野が狭くなってしんどいとき、味方がいないとき、肩をぽんとたたいて明るい方に誘ってくれる。本人は逃げたくないと散々歌っているくせに、辞めたって、休んだって、逃げたって、いいのだとお茶目に肯定してくれる関ジャニの曲を聞くと、なんだかほっとして泣きそうになる。


「閉ざされた心のドアは内側からしか開けらんない」(象)

 関ジャニの歌は強い姿も情けない姿も見せてくれて、私を励ましてくれる存在だが、結局は関ジャニの歌の力を得て「私が」なんとかするしかない。

苦しむために生きないで あなた自身を愛してくれ(ふりむくわけにはいかないぜ)

どうしようもなく情けない自分も愛していけ!!(ER2)

 社会人は自立した一人の大人として扱われる。自分の人生に自分で責任を持って生きなければ困るのは自分だというのもわかっている。それをわかっていてもなお、不満や焦りに心乱される。自分で手一杯の私は、子どもの頃に憧れた他人を救うヒーローにはなれないかもしれない。それでも自分の脚でしっかり立てばいいのだと、先頭に立ち示してくれる関ジャニの曲は大人が夢を見ることや、その自尊心を肯定してくれるのだ。


総括

 横山さんは渋谷さんの脱退の後、あらためて関ジャニの曲っていいなって思ったそうだ。背中を押してくれたと。
 関ジャニの歌はよくもわるくも根性論な曲が多い。現代にそぐわないと感じられるかもしれない。しかし私は根性論のすべてが悪いわけではないと思っている。他人に対してではなく、自分が幸せになるために根性なしではいられない。関ジャニは「全部頑張らなくていいよ」と言ってくれなくていい。頑張ろうと言って、情けない社会人と一緒に切磋琢磨してほしい。
 感情の色をつけるのがうまい彼らが歌えば、これらの曲は歌うたびにひとつひとつ違った顔色を見せる。ひとりの人生がうかぶ物語のようになり、より心に突き刺さる。
 酸いも甘いも味見してきた社会人は、キラキラの夢よりも、挫折を繰り返しながらもなお関ジャニが歌う泥だらけの夢の方に惹かれた。失敗して泣きたくなって、うまくいかなくなって、辛くて、でも現実で頑張らなきゃいけないときに関ジャニのCDを聞いてほしい。そこには、人間らしさに溢れたヒーローソングが詰まっている。頑張れるのは自分だけだ。そう言ってまた立ち上がろうとするその背中を、関ジャニの歌はそっと押してくれるのだと思う。




応答セヨ
モンじゃい・ビート
ER
ナントカナルサ
前向きスクリーム!
急☆上☆show!!
ふりむくわけにはいかないぜ
イエローパンジーストリート
へそ曲がり
Great Escape大脱走
NOROSHI
ゴリゴリ
咲いて生きよ
Your WURLITZER
ワッハッハー
なぐりガキBEAT
ER2

LIFE
Heavenly Psycho
ここに

*1:私もである

*2:キラキラの夢に浸っていたい!!人にはふわふわポムポムをオススメしている

*3:違うかもしれない

まるちゃんかわいいねお誕生日もうすぐだねおめでとうの会をした話

 この度、瀬尾さん主催の『まるちゃんかわいいねお誕生日もうすぐだねおめでとうの会 ~同級生なんだ僕たちは!~』に参加させていただきましたので、感想を書きます。



きっかけはこちらのツイートでした。


 9月末のコンサートで瀬尾さんにお会いした際、もしこの会をやるならば参加したい旨を伝えたところ、本当に実現しちゃった会です。丸山さん誕生日の前祝いも兼ねてやろうということで、ノリにノリを重ねて開催されました。ちなみに開催場所は各々のいる場所の間をとって東京にしました。周りにオタクがいなくてリアル観賞会ができない人の励み(?)になればいいなと思います。


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全国各地から集うオタク


 瀬尾さんとお会いするのは3回目、おびんさんとお会いするのは初めてでした。集合場所をダンジョン新宿駅にしたのもあり、なかなかスリリングな待ち合わせとなりました。東京怖い。

 会場は、まね……こさんを使わせてもらったのですがこれがものすごく狭い……。スーツケースの厚みで余計に移動するのが大変でした。今回持ち込みの都合上こちらにしましたが、観賞会はやはりオタク御用達のパセラさんがいいのかなと思います。(ただし狭いと画面との距離がめちゃくちゃ近いので、いつもより照れます)


 持ち寄る食べ物については以下のように条件がきまっていました。

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 それを踏まえて各々が持ち寄った丸山さん(概念)がこちらです。

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塩津
・まるごとみかん大福
……まるごとでオレンジで大福だからです
・Meltykiss(オレンジピール)
……大人な丸山さんをイメージしました
ばかうけ
……丸山さんのギャグへの期待を込めました
ねるねるねるね
……変な気持ちにさせてくれる丸山さんです
・むっちりグミ
……丸山さんの身体を想像してください


おびんさん
ROYCE ビターチョコ
……北の大地から大人な丸山さんをイメージしました
じゃがポックル(丸山さんからのお土産です)
……後述


瀬尾さん
・塩キャラメルマカロン
……みんなから愛されるかわいい丸山さん
・たぬきの人形焼
……たぬきのフォルムと、ぎっしりつまったあんこがとっても丸山さん
・ショコラあめ ルチルブラック(ブラックショコラ&オレンジピール)
……後述


 説明しながら机に並べ、互いに拍手をし合います。お互いのガチ具合にテンションの上がるオタク。熱くなりすぎてクーラーをつけるオタク。(※11月下旬です)

 主催者瀬尾さんの選んだ『ショコラあめ』については、
「丸山さんの誕生日である11月26日の誕生石がルチルクオーツであることに由来し、ルチルクオーツ(ゴールド)をイメージしたショコラあめがほしかったのに、残念ながら売り切れていて、やむを得ずルチルクオーツブラックになってしまった」
と説明がありました。(二回説明していたのでよっぽど悔しかったんだと思います。)迷子になってまで買いにいった瀬尾さんの努力とその結末に同情しながらも「オレンジピールはいってるから」「これもルチルクオーツだから」とJKのように励ましあいました。

 そして今回のMVPは、北海道という地の利を最大限に活かしたおびんさんのじゃがぽっくる。


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やばい


見る人が見ればわかるのですが、こちらはこのツイートがもとになっています。



遊戯王カードのように机にこれをバーン!!!!と叩きつけたおびんさんはめちゃくちゃドヤ顔していました。おびんさんにではなく丸山さんにお礼を言う我々。



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丸山さんありがとうございます!おいしくいただきました!


 さて、今回の会は観賞会もかねていました。メイン円盤として京セラカウコン、それに加えて各々が何度も見てしまう円盤を持ち寄って見せあいました。見た順番は以下の通りです。

1.京セラカウコン
2.関パニ2(塩津選)
3.十一祭(おびんさん選)
4.JUKEBOX(瀬尾さん選)

そして以前ブログで拝見し、やってみたい!と思っていたのがチーン!というベルをならしての観賞会。

uq2aa.hatenablog.com


その話をしたところ快く瀬尾さんが準備してくれました。


優しい


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人数分ありました

 このブログのように一回一回止めていると、円盤を見終わることができません。興奮したときに押そうということでカウコンを見始めましたが、やりはじめてすぐに、ベルがうるさいことに気づきました。(想定外です) 彼らの声が聞きたいのに、ベルで聞こえないがため、自然と押されなくなるベル。わたしはせっかくなのでできるだけ押そうと思ったのですが、みんなすきやもん……の人間なのでほぼ常に鳴らしてしまいました。(チンパンジーのシンバルといい勝負でした。) あまりにもうるさいので途中から控えました。うるさくしてすみません。

 教訓としては、ベルは①時間に余裕のある時に、②きちんと本家にならって(一時停止するという形で)やった方がいいです。


京セラカウコン
顔がいいなぁと思いました。わたしは関パニの関ジャニさんのビジュアルが全員5億点満点で大好きなのですが、京セラカウコンも同時期なのでうはうはです。刈り上げ横山さんが見れます。あと、この時期の横山さんはなにかと七分丈をはかされている!という発見がありました。関ジャニさんがめちゃくちゃ踊っているのでドキドキします。desireやマイナス100度の恋はもう息をのんで聞き惚れてしまいますが、一番盛り上がったのは413manかもしれません。横山さんの『僕にも大切な 仲間ができました』で、「良かったね~~~~~!!!」と泣くオタク。関ジャニさんもカラオケで泣いているのも納得なほど、ほんとうにしみじみと良い曲ですね。

関パニ
BGMのようにだらだら流してました。関パニを流せば、たとえほぼ初対面の相手と狭い空間にいたとしても、実家のような空気がうまれます。(個人差あります)瀬尾さんが「持ってなかったけど買うことにします」って言ってくれたのが嬉しかったです。関パニは円盤3つで1万円いきません。本当にめちゃくちゃビジュアルがいいのとツッコミボケがキレキレなので全オタクに買ってほしいですね。


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でも丸山さんを見つめてしまうよね


十一祭
カラオケ店で最後に流したのは十一祭でしたがこれが大正解でした。最後は大倉くんと、その他のメンバーが代わる代わるデュエットをしつつ大阪ロマネスクを歌うのですが、なんとここで関ジャニさんとデュエットができるのです。DVDには歌詞もでてくるので安心。3人でパートごとにマイクを回しながら関ジャニさんとカラオケをして謎の一体感を味わいました。これはカラオケならではの観賞会ですね。思わぬ大発見でした。カラオケ観賞会の〆にどうぞ。

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デュエットで大盛り上がり


 さてここで一旦観賞会は終わりです。我々の地方には鳥貴族がありませんので、もちろんせっかく東京に来たので鳥貴族でディナーを食べました。

 ホテルは同じ部屋をとろうという話になり、実際そうしました。(これはおびんさんと瀬尾さんの寛容さと、それまでのやりとりの信頼関係があったからこそ実現したのであって、初対面での同部屋には普通は注意した方がいいです。)ホテルはロフト付きで、一階に一人、二階に二人寝るタイプだったのですが、荷物をおきに二階へ向かうと布団の上にすばるくんからのメッセージが置かれていてとてもびっくりしました。(おびんさん作)

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かわいい~


 まだまだ観賞会は終わりません。二日目は早々にホテルへもどり、近所で食事を済ませた後、寿司をテイクアウトで購入しました。

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「お口に合うかわからないんですけど……」

 瀬尾さんが丸山さんのうちわに「まるちゃん、食べた~?」と話しかけていました。
 ねるねるねるねを練りながらラストDVD、JUKEBOXを観賞しました。ホテルで見る夜中の観賞会というのはなかなかレアなのではないでしょうか。


JUKEBOX
 カラオケでは見きれないことを想定し、瀬尾さんに遠路はるばるパソコンを持ってきてもらいました。わたしはライブ映像をあまり見返さないタイプのオタクなのですが、JUKEBOXはあまりにもヒリヒリしていて、そして2人の言うとおり衣装が素敵です。(こうやって新しい視点をもらえるので観賞会はたのしいです。)改めて見ると渋谷さんがほんとうに楽しそうで楽しそうで、3人でティッシュを囲んで言い表すことのできない気持ちにただただ泣きました。渋谷さんの成功も幸せも願っているし、6人のこれからも楽しみだけど、やっぱり7人が好きですね。

 翌日の午前1時すぎまでかけて見て、はぁ好きだなぁという気持ちで眠りにつきました。

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丸山さんに見守られながら眠るオタクたち


 今回他にふたりのフォロワーさんにもご挨拶させてもらったのですが、お会いした方は実はみんな同い年。育ってきた背景もいまやっていることも住んでいる場所も違う、関ジャニがいなかったら出会うことがなかったであろう人たちでした。同い年なのにこうも違う人生を生きてきたんだなぁということ、そしてこうしてファンという立場を通じて会話を楽しめること、しみじみと面白いなぁと感じます。

 わざわざ観賞会(もとい丸山さんに似合う食べ物を持ち寄る会)のために東京へ行く、というのは、数年前の自分であれば絶対にしなかったことです。3人で話しながら改めて我々金がないな……と思いましたが、これもまた今しかできないことだと思い、惜しみ無くお金を使いました。未来のことはわからない、だからこそ斜に構えず、今やりたいことを素直に楽しんでいたいと、この年になってようやく感じ始めています。


 瀬尾さんおびんさん、散々迷子になりかけご迷惑をおかけしました。こんな適当なやつですが、それでもよければ次回大阪での開催時にもお誘いいただければ幸いです。

 そして丸山さん、お誕生日おめでとうございます。丸山さんのおかげでこんなに楽しい会を開くことができました。35歳の一年も、丸山さんにたくさんの幸せがありますように。


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 このテキスタイル画の女性のイヤリングを擦りながら願うと願い事が叶うと聞いて、全員で迷うことなくめちゃくちゃ擦って関ジャニとすばるくんの幸せを願いました。みなさんも楽しい観賞会ライフをお過ごしください!