じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

担当について考える

トーリー厨がジャニーズにハマると?

 ジャニーズのグループにハマれば当然出てくる担当という単語。しかし私は担当を作らない(作れない?)方針です。それは私が漫画のストーリー重視オタクだったからかもしれません。私は漫画にハマるとき、まず漫画が面白いことを重視します。読み進めている間に、このキャラいいなというやつが何人か出てきます。その後はこのキャラが活躍してくれたらいいな、くらいです。そのキャラがいなくなっても、変な扱いを受けても、別に漫画を読むのをやめたりはしません。私が漫画を読むのをやめるのは、漫画がつまらなくなったとき、あるいは物語が一区切りつき満足してしまったときでしょう。

 おそらくジャニーズのファンスタイルにもそのスタイルが流用されているのでしょう。誰か一人が欠けても、グループとしての魅力を保っていれば私はそのグループを応援している気がします。他の方が個人の好きなところを熱く語ってくれるのは大好きなんですけどねぇ……。

箱推し

 そのため、私はたぶんグループありきでハマるタイプです。この人がいるからこのグループのみんなも好き、とはならず、このグループが好きだから、この人も好き、となってしまうのです。しかもこのグループの人がみんな好き!とは若干ニュアンスが違うのです。漫画と同じように、グループとしての、全体像としての物語や魅力に惹かれてハマるから、特定の人に夢中になるということが少なく、一人で出てる番組は普通の番組と同じ扱いにしてしまう。つまり面白ければ見るという感じです。

 私は今、多分関ジャニでいったら丸山さんと村上さん、セクゾでいったら健人くんがちょっと頭ひとつ抜けて好きなのだと思います。でもそれは担当を名乗れるほどのものではないと、自分では思っています。私はあまり個人でのお仕事を見ません。というより、その人が出てるから見るという見方をしません。では自分は何に属するのか。

 

箱推し(はこおし):そのアイドルグループのメンバー全員が好き、という意味。似ているがDD(誰でも好き)とは異なる。【若者言葉辞典より抜粋】

DD:特定のアイドルではなく、複数のアイドルのファンのこと。または、アイドルと呼ばれる人全員を好きな人。『誰でも大好き』の略。【若者言葉辞典より抜粋】

 

 DDは、一人でも自グループが出てれば番組を追うタイプの人ですね。そういう意味では、やはり私は箱推しに近いです。

 

担当を名乗らない主義だけど担当に憧れる

 担当の名乗りは所詮自己満足だとジャニオタ先輩もおっしゃっていました。別にちょっと他の人より目がいきやすいかな?くらいでも「○○担です」と言ったっていいのだと。しかし多くの方がおっしゃってるように、担当は特別な存在。私にとっても、担当を名乗るというのは相当特別なことです。ちょっと好きな人はいます。ただ、自分はその名にふさわしい推し方をしていないと思ってます。二次元からジャニーズの世界に来て、担当という制度を知った時から何かと担当制度について考えてきました。けれどもこうやっていろいろ考えているうちに、私自身は特定の一人にどんなにハマっても、担当と名乗らないのではと思うようになりました。

 2015年のツアーで櫻井君による「担当……って言い方はあまり好きじゃないんだけど」発言があったそうですね(ソースも不確かですが)。正直なところ、私がこのジャンルにハマって一番最初にこの文化に対して感じたのが「え、上から目線ぽくない……?」でしたので、櫻井君の真意はともあれ、この発言には同意してしまいました。言葉から受けるイメージに気後れしてしまうというのは、今でもずっと抱えている事実です。

 ジャニーズを好きになって、 他の方の、自担と推しの違いについてのブログ等も見て、なるほど担当になるというのはそれほどの熱意があるということなのかと感じました。そのため、他の方が○○担と名乗っていることに関しては全く拒否反応はないのです。担当同士で熱く語り合っている姿を拝見するたびに羨ましさがこみ上げます。私だってコンサートでひたすら特定のメンバーを双眼鏡で見つめていたいです。しかし私は箱推し勢。毎回参戦服に困るし、団扇も作りにくいし、目は足りない。「誰担?」と聞かれたときに「う~ん……まだ決まってなくて」と返すときの居心地の悪さは、「趣味って何?」と聞かれたときの「(趣味と名乗っていいのか…?)」という葛藤と通ずるものがあります。

 ジャニオタ先輩が「担当には落ちるもの」とおっしゃっていました。まるで恋愛小説のようですね。恋のように言葉では言い表せないような何かがあるのでしょう。担当に落ちた時のエピソードを聞くたび、私も恋のように担当に落ちるという感覚を味わってみたいなぁとは思ってます。ただ、私はその言葉の重さには勝てないので、そして根っこが箱推しなので、いつまでたっても、どんなに好きになっても、一介のファンを名乗っているんでしょうねぇ。

ファンからアイドルへのマイナス意見について考える

アイドルに対するマイナス意見について

 アイドルは生き方ですというロマンチックな思いもありますが、同時にアイドルは職業です。彼らは事務所の職員として働いてお金をもらって生きている、社会人です。

 芸能界で生きている彼らは他業界で働いている人よりも多くの批判にさらされるリスクを持っています。ただ、私は「○○君なんだから全てOK!」という頭の悪い解釈が大好きです。私もどちらかというとひたすら推しを良いようにとらえて「かわいい~~~~最高~~~」と言いがちなので、毎日Happyです。

 とはいえ、世の中アメとムチ。TV、コンサート、音楽、全て娯楽の一種ですから、面白くなければ批判を受けるのはまあ致し方ないでしょう。オタクの盲目的な愛と、一般人の冷静な批評の間で彼らは生きていくのです。だって芸能人だから。そのため、ファンの人が一般人からの批判コメントにトンデモ理論で特攻していくのは、傍から見ていてあまり好ましいとは思えません。その分オタクがでろでろに甘やかせばいいんじゃないかと思ってます。

 しかし、担当が行き過ぎた愛をこじらせてしまう(ように見える)ケースもあります。そういったファンからのマイナス意見の理由づけとして汎用されるのが「お金払ってるんだから」という、とてつもないパワーワードです。私たちは何に対してお金を払っているのかというのは、オタクをやっていく上で避けられない問題であると常々思っていたので、それを踏まえてマイナス意見に対する解釈をぶちまけたいと思います。

 

①「見たコンサートが、聞いたCDがつまらなかった」

 これはオタクじゃなくても言いそうなワードです。エンターテイメント性にお金を払ってるというのは大賛成です。むしろこういう意見がないと、大衆に受け入れられず、オタクも離れ、寿命の短いアイドルがさらに短命になってしまうかもしれません。芸能人はそのエンターテイメント性で売れる売れないが決まって生活に直結するので、素直な感想を(届くかどうかはさておき)述べるのはいいことだなぁと思います。消費者から意見を発信するのは大事です。

 

②「恋愛スキャンダル無理」

 これはアイドル性を売りにしている芸能人特有の問題でしょう。異性アイドルにハマる人の大抵は、スキャンダルが出るとちょっともやっとしたりもするわけです。「あの子はふさわしくない」とか思っちゃったりするわけです。「もういい大人なんだし、彼女の一人や二人」と納得しようとする一方で、やっぱり心のどこかで人のものになってしまったアイドルに切なくなる。自分のものにならないのはわかってるけど、他の人のものになってほしくもない、でも好きな人には幸せになってほしい。三重苦ループに陥る優しいファンの肩を「わかるよ……」って叩きたいです。多少理解が得られるようになったものの、アイドルは処女性?が求められる職業です。だからこそ多感な時期にこんな職業を選んだ彼らを(特に中島健人さんのストイックっぷりには)、尊敬してやまないのですが、それは話が脱線するのでまたの機会に。

 とにかく、私はアイドルのスキャンダルが出た時に「辛いやだ」って吐露している人に、「別にあんたと結ばれるわけでもないし、彼らもいい大人でしょ…」って言ってる人を見ると、「もうやめて!!!彼女だってわかってるのよ!!!!」って叫びたくなります。大抵のオタクは、自分と彼らが結ばれる可能性がものすごく低いことを分かってますし、大人なんだからおつきあいくらいしてて当然とも思ってます。でも夢を見たいからアイドルにお金を払ってるんです。異性のにおいがあるの興奮するという、理解のある性癖の方もいます。とはいえ、アイドルに対して恋愛御法度を求める風潮を批判するのはかわいそうな気がします。私はこの話について考えるときにアイドルって宗教だなぁとしみじみします。要するにだましてほしいのです。裏で付き合ってようが、恋愛してようが、仕事は仕事。アイドルという職業を全うしてほしい。その姿勢に私はお金もといお布施を払っているという人が、一定数いるのではないかなと思います。まあ行き過ぎてこじらせすぎてると、もう潔くファンをやめた方が精神衛生によさそうだなと感じる担当の方もいますが……。

 

 ③「こんなの○○くんじゃない」

 ここまでストレートではないにせよ、こういう雰囲気の批判は見ていて心が痛みます。彼女の中で作り上げた○○君がいて、イメージと違う行動をとった彼を受け入れなくなったゆえの言動かと思います。私は彼らが三次元の生身の人間であり、彼らが独自の信条や考え方を持っていることを忘れないようにしています。その性格や考え方を強制するような代金は、私たちが彼らに捧げているお金には含まれていないと思ってます。

 その点、二次元はかなりゆるいです。そもそも原作がある種の妄想ですし、二次創作ありきで人気が出ることも多いです。星の数だけ解釈があります。地雷という文化も生まれますが、皆所詮は妄想なので、自由にすみ分けながら生きているという印象です。

 ただ、私の中ではどう考えても、三次元は『原作至上主義』です。自分のそれまでのイメージと違いがあっても、一端受け止めることが必要です。私はエイタメ札幌の安田さんを見た時、それまでぽわぽわ~な安田さんをイメージしていたので強い衝撃を受けました。ちょっと怖いくらいでした。しかしここで私の中にアドラー哲学的思想が出てきます (※読解力が無いので、間違った解釈かもしれません)。

 安田さんがそういう風であることは事実として変わらないし、それもまた彼なんだろう。ただ、この雰囲気の彼を好きになるのも嫌いになるのも、一ファンである私が決めていいんだから、とりあえず淡々と事実を受け止めればいいんだな。

 と考えてると「こんなの私の知ってる安田さんじゃない!!嫌!!もとの安田さんに戻って!!」なんて意見は、なんか違うだろ~って思うようになります。今の安田さんを受け入れられないのは自由なのですが、そんな辛い思いをしてオタクやるのは気の毒です。オタクは妄想する生き物なので、気持ちはわかります。とはいえ、妄想を本人に押し付けて包丁振り回している人は見ていてしょんぼりした気持ちになります。こういった意見の大半は、個性の範疇に収まってしまう話ですからね。

 アイドルも的違いな批判は辛いでしょうし、ファンだって嫌なところを見て批判を繰り返す毎日楽しくないでしょう。どうしようもないことに対する負のスパイラルです。アイドルの性格・行動については需要にあわなければ多分数字となって現れます。彼は変わるかもしれません、変わらないかもしれません。別にその人のすべてを好きになる必要は皆無なのですが、思い通りにいかないからといって憤慨するのはお門違いなのです。仕事のオプションにそれは含まれてません。

 

※個人の意見です

 私は「うんうんそれもまた○○だね」という言葉が大好きで大好きで。幸せにオタクとして生きるための哲学的な指針を端的に言い表すならば、これに尽きるのではないかと感じています。この言葉を心に留めながら三次元のアイドルを見つめていると、アイドルから負の感情を受け取ることがほぼなくなります。

 結局はマイナス意見だろうと、言うのは自由ということに帰結します。私がこれを書いたのは、決して他人にこれが基準だと提示するためではなく、自分自身のスタンスを言語化するのが楽しいからです。己の行動の理由づけもとい言い訳のようなものですので、「うんうんそれもまた一意見だね」と広い心で受けとめてくださると助かります。

 なお、今回はファン⇔アイドルという関係性でどこまで自身が許容できるかを考えてみましたが、ファン⇔ファンで考えた時の同担拒否やモンペなどのスタンスも非常に興味深いので、次回以降考えてみたいと思います。

なぜ私はこんなにもアイドルにハマっているのか考える

経緯

 まだ、オタクを名乗るのもおこがましいド新規ではありますが、日々アイドルの尊さにありがてえありがてえと感謝しながら生きています。塩津と申します。

 ブログを今回始めたきっかけは、ジャニオタ先輩が書いてみたらとおっしゃったからです。ジャニオタ先輩は、文章力とこつこつと書いたレポートの精密さに定評があり、元・関ジャニ担、現・ジャニーズWEST兼キスマイ担という経歴をお持ちです。さぞかしWESTやキスマイの界隈では名の知れた方なのだろうと思っていますが、私はあまり詳しくないのでわかりません。その方が「他分野から移ってきた人からの視点のレポや考察はとても面白いので、書いてみたら」とおっしゃり、私も「なるほど、確かに私もよく読むし、面白いな」と思ったのでブログ開設にいたった次第です。

略歴

 振り返ればジャニーズという単語が私の人生に現れたのは小学生のとき。その当時はTOKIO、NEWS、嵐、V6がごっちゃになっていたような時期でした。SMAPやキンキはなんとか全員覚えていたものの、他のグループはもう誰がどこに所属しているのかさっぱりでした。顔が分かるのも、松本さんと、錦戸さん、三宅さん、森田さんくらいだったと思います。何を隠そう、私は人の顔を覚えるのが恐ろしく苦手です。実生活にも支障が出ております。そのため、イケメン集団ジャニーズというものに興味を抱くことなく、どちらかというと二次元寄りのオタク寄りだった小学生時代でした。

 中学生のときに我らの世代にとっての革命が起こります。ごくせんからのKAT-TUNブームです。赤西君派?亀梨君派?が一種の合言葉になっていた時代です。私が初めてまともに見たドラマもごくせんでした。当時、私は小池鉄平君がかわいいとしか言っていませんでした。どっち派か聞かれても「亀梨君は顔色が悪そうだから赤西君かな……」という謎の返答をしていました。当然、この頃もジャニーズというものに対する興味は薄く、二次元にハマっていくばかりでした。

 私にとっての転機は高校生でした。当時ハマっていた二次元ジャンルで、J事務所のPVパロが上がっていたのです。そのクオリティの高さたるや。今でもあの時の感動は忘れられません。もちろん著作権の観点からすればNGで、動画もすぐに削除されてしまいました。しかし、私にとってはジャニーズに興味を抱く大きなきっかけになりました。当時嵐は十周年に満たない人気爆発前夜といったところでした。そして私も受験を目前に、精神的な爆発前夜でした。そんな私にとって、彼らは大きな精神的支えになりました。この辺の嵐ドはまり期についてはまた語りたいと思ってます。最近の彼らについてはあまりわかりませんが、このころ、嵐のどういうところに心動かされたのかを一生懸命言葉にしておきたいなと思ってます。

 そして私が大学生に入るころ、嵐はトップアイドルになりました。ああ、もう安心してみていられるなと思ったのもありますし、私生活で他に打ち込みたいものがあったのもあります。とにかく私はジャニーズからまた距離を置きました。

 社会人になった今、私は関ジャニとセクシーゾーンの彼らにハマっています。社会人になって半年たっても、慣れない土地で、職場の人間関係にも気を張る毎日。私生活でも衝撃的な通告を受けたりして、心身参っていたときに、札幌での関ジャニのライブを誘われ、ずぶずぶと落ちました。高校時代のことも踏まえると、「アイドルって、宗教だな……」と思わざるを得ません。最近は、毎週末のようにジャニオタ先輩のお宅でDVDや雑誌、録画していたTVなどを拝見していて、ド新規にとっては夢のような英才教育を受けています。セクゾは本当につい最近、CD特典を見せていただいたのがきっかけで、「あ、この子ら売れる!!」と、ダイヤの原石を見つけたような気分でハマりました。本当はWESTとかABC-Zについても調べたいし、いっぱいいろんなこと考えたいんですけど別の機会にします。

アイドルってすごい

 芸能界に行きたいという気持ちが全く分からない私からすれば、アイドルって不思議な生き物です。そして、いろんな私生活の制限をされながら、ファンにキラキラ笑顔を振りまいてくれる彼らを私は心から尊敬しています。

 現在ツイッターでは「アイドルかわいいしんどい」ばかり言っています。一方でふと我に返って、「アイドルの曲で元気が出る~」って言っていたファンを理解できないものとして見つめていたはずなのになぁなんて思ったりもします。そんな自分を「変なの、何故だろう」と思いながら、彼らの魅力について考えるのもまた楽しいものです。これからもなぜ?という気持ちを抱えつつも、喜んで彼らの掌の上で転がる毎日でありたいです。よろしくお願いします。