じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

ヨコヒナシンメについて考える

ヨコヒナとは?

という永遠の解けない課題に、日々ぶち当たるオタクです。夫婦であり、相棒であり……その一つに「シンメ」があります。わたしはヨコヒナがシンメではないと真っ向から主張するつもりはありませんが(なぜならそれもまたヨコヒナだから……)、ただ、私の中では「ヨコヒナ=シンメ」ではないないのです。先日お題箱にご質問を頂いた際に、改めて考えた際、自分の中である一定の理由が見いだせました。


 確かに、ヨコヒナはあらゆる面で反対と言われがちです。がむしゃらMステの映像でも白と黒の対比がものすごく美しく、まさに正反対だなと感じました。ただ、シンメとは何かを考えた時に、単純に反対ではいけないと思うのです。シンメは「対」です。「対」とは、「そのものの軸に対して向かい合った位置に同等のものが存在する」ということなので、ある種の相同性があるかがシンメ基準の一つになるのかと思います。
 SexyZoneの代表的シンメ、ふまけんは背格好がとてもよく似ています。以前は顔の見た目も似ていました。そういった類似性に、内面が正反対であるという背反性がくっついて、シンメらしさが出ているのではないかと思います。ヨコヒナは容姿も中身も異なっているので、シンメらしさというところからは少し外れる気がするのです。


 あとは抽象的な話になりますが、ふまけんは同じ道を切磋琢磨しながら抜き抜かれで走っているようなイメージがあるのに対し、ヨコヒナは違う道を走っているイメージがあります。(目指すゴールは同じでしょうが。)ふまけんは同じドラマや映画という舞台の活躍が中心ですが、今やほぼ横山さんは役者班、村上さんはMC班と見られることが多くなりました。そう考えると、ヨコヒナのセットが定番だった頃、つまりレコメンや、ヒルナンデスという同じバラエティで同じようなノリで戦っていた当時は、今よりシンメっぽかったのかもしれませんね。


 もう一つあげるならばすばるくんの存在です。勝利くんはふまけんの中にデビューして初めて入ってきた存在ですが、すばるくんは奇跡のトライアングル三馬鹿のピースの一つです。主観的な言い方になってしまいますが、数字論でも語ったように三馬鹿というトラス構造がある限り、ヨコヒナはその1ピースとしての要素が強くなってしまうのではないかと思います。シンメは二人で完成される存在ともいえると思いますが、三馬鹿は三人で完成される存在なので、少し違和感があるのかなと思います。


長くなりましたが、要約すると
①内面のみならず、ビジュアル面や活躍の場といったところの相同性が低い
②三人で完成されるものの一部分という側面が強い
が理由かと思っております。


 悩みすぎてもうある種の境地にいきついた人たちにとって、ヨコヒナはヨコヒナとしか言いようがありません。幸か不幸か、人類は彼らを形容する言葉を持たないのだと思います。彼らだけが示す関係性の片鱗をふと垣間見る、それだけでわたしたちはなんだかわからないヨコヒナという概念に触れたような気持ちになるのです。

関ジャニメンバーの立ち位置を身体の部位で考える

 先日わたしのtwitterにひっそりと置いた目安箱に、次のようなご質問をいただきました。

 

塩津さんこんばんは!質問です、塩津さんは関ジャニ∞のメンバー個々のポジションをどのように考えてますか?(以前村上さんが関ジャニ∞を将棋の駒に例えたような事です)
それぞれが他メンバーにどのように立ち回っているかなどの考察もしていただけると嬉しいです。
(ブログのネタが無いとお伺いしたので、良ければネタに使って下さい)

 

おそらく村上さんが将棋の駒に例えたというのは以下の発言のことかと思います。

 

「すばるが王様、そこに器用な安田と丸が入って…あそこが桂馬みたいなもんや。まっすぐ行かれへん。ほんで…当時は内くんいうのがいたからな!あの子と亮が飛車角みたいなもんや。俺と横が金将銀将…いや、歩やな」(2017/3/13レコメン)

 

 私はこのたとえがものすごく的確だなと思っていて、内くんを大倉くんに置き換えた布陣が今の関ジャニの立ち位置になる近いのではと感じています。さらに、プロデューサー横山さんの中に、関ジャニにおける各々のキャラについて描く何かが存在し、それが今の関ジャニさんの土台になっているような気もします。

 とはいえ、やはり自分の言葉で考えてこそのはてなブログ。今回はテーマを「関ジャニメンバーの立ち位置を身体の部位で考える」として、みんなの機能、役割から近いポジション(臓器)を第三者目線で考えてみようと思います。段々論点がずれていってしまった部分もありますが、私の洞察力と読解力が未熟ということでご容赦ください。

 

 

横山さん:脳

 関ジャニのプロデューサーとして、司令塔として、横山さんを身体の器官に例えるならば脳になるのではないかと考えています。エイトレンジャーの脚本家であり、数々の特典の企画者である横山さんは、関ジャニというものを活かすために、動くことができる人だと思っています。

 

でも、大きい心で僕等の事を見守ってくれていて
本当に一人一人のキャラとか、ファンの目線で考えられる横山くんのことを尊敬してます。こうやって一人一人の個性を際立たせてくれたのは、横山くんだと思っています。(すごはち 手紙)

 

 『∞レンジャー』の、キャラ設定なんかにしても、それぞれのいいところを引っぱり出そうとしてくれて、ゆうちんは、四六時中俺らのこと考えてるんやないかな、って思うことがある。(「with」2012年12月号『C∞MBI i』)

 

ヨコのやさしいとこもずっと変わってへん。ずっと気を遣って生きてきてるから、弱い者いじめも嫌いやし、「これをしたら人はこう思う」みたいなことを感じ取る能力がすごく高い。それが、今のプロデューサー的な感覚に活かされてる気がする。(「with」2013年8月号『C∞MBI i』)

 

俺はまぁ、ヨコのプロデューサー的な発想には、全幅の信頼を置いているからね。俺のことをわかってくれてやってることだから、任せてたら絶対問題ない。そこは安心感があるわ。(「with」2012年6月号『C∞MBI i』)

 

 横山さん評を調べていると、メンバー全員が口をそろえてプロデューサー的な要素に言及していることに気づきます。関ジャニを魅せるために、各々の立ち回りの方針を打ち出す機能を担っているのが横山さん。デビュー当初と比べて、直接的に動くことは少なくなった気がしますが、やはり頭がい骨の中で「関ジャニを魅せるにはどうしたらいいのか」というエンターテイメント性について常に考えている、関ジャニを動かすためにいろんなことを調整してくれている。そんな性質が横山さんにはあると思います。わたしは、関ジャニにもしリーダーがいるのなら、横山さんだという気がしています。メンバーに嫉妬したりする横山さんもいますが、結局はメンバーを愛していて、俺らででっかくなろうぜ!という仲間意識が強い方に見えます。デビューしたてでお笑い要素が強く、あまり乗り気でなかったメンバーを奮い立たせて、各界へキャラを売り込んでいった功績は、いつまでもメンバーの潜在意識に残っているものと思います。特典の没企画「トガキクロニクル」が横山さんの発言で本編の企画となり、賞を受賞するまでに至った等々、今でも、横山さんは関ジャニのメンバーの魅力を引き出すプロデューサー的ポジションなのだと感じます。

 

錦戸さん:胃

 胃酸のようなパワーで、時には身を削りながらも、いろんなものを消化しようとしている人だと思います。関ジャニの貪欲な推進力として貢献しているのが錦戸さんです。関ジャニ知名度が低い時分からドラマや映画に、関ジャニの名を売ってきて、エースとしての役割を果たしてきました。周りを焚きつけるために先頭に立って周りを鼓舞するような性質を持っていると感じます。

 

NEWSに行ってから変わったなぁ。ああしたいこうしたい…っていう欲求をいっぱいもってて、それは俺らエイトにとっても、めっちゃプラスになってると思う。音楽に詳しい人間がおるっていうのは、俺らにとっての武器になるからな。これからも亮には、そういう部分でみんなを引っ張っていってほしい。(「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集) 

 

りょうちゃん。やっぱり、すごいのよね。
感覚というものに
すごく優れてる人。大活躍してるスポーツ選手が
昔から、その当時に敵がいないくらい才能を発揮してるのを
よく見かけます。それを、昔から
じぶんが
間近で見てきた人。その人に焚きつけられたから
自分もここまで走り続けてこられた。(2014/12/24「倉'mas0」vol.316)

 

❝男前なのに、そこまでやってどないすんねん❞って言いたくなりますね(笑)。自分の情けなさを、一番感じさせられる人、そして自分に刺激を一杯与えてくれる人やな。(「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集)

 

昔から俺にないものをたくさん持ってて、何をやらせても上手だし、スマートだし。グループとしての活動を引っ張っていってくれたり、尊敬するところがたくさんある。(「with」2013年5月号『C∞MBI i』)

  

亮ちゃんはね、ずっと同じことっていうのをしない人。常によくなる方向を考えていて、前に前に進もうとする。だから演出とか演奏に関しても「次はこうしようや」って意見を出してきてくれて。バンドに関しても、ようドラムやベースに注文出してきてくれたなぁ。亮ちゃんを見てると❝現状維持で満足してたらアカンな❞って思わされますね。(「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集)

 

 錦戸さんはその貪欲さをもって関ジャニを「引っ張る人」ですね。個人での仕事も増えてくると、余裕がなくなってグループの活動がなおざりになってしまうこともあるかと思うんですが、錦戸さんはグループとして頑張ろうや!!って声を大にして鼓舞してくれます。そうでなくても、彼にはカリスマ性があります。その姿勢や背中を見ているだけでも、自然とみんなが俺も頑張らないとと思わせるような、特攻隊長的役割を果たしていると思います。

 また、本人もよく言っているように、錦戸さんは悔しいという想いがすごく強いです。頭の回転も速いし、柔軟性もあって、とても合理的。加えて錦戸さんはかなりの素直さを持っているので、外から受けた刺激をまっさきに消化して己のエネルギーに変えている気がします。錦戸さんが持つ、漁に出て、大漁旗をあげてくるという大切な役割。今も昔も行動を持って関ジャニを引っ張ってくれて、刺激をくれる位置づけなんだなぁと思います。

 

渋谷さん:心臓

 村上さんも王将と言っていることですし、渋谷さんは関ジャニという概念の要という意味で心臓のような存在だと思います。渋谷さんは意外と(と言っては失礼ですが)メンバー内の調和を保つポジションの人だと感じます。 

 

メンバーが落ち込んでる時や、元気がない時に、
声をかけてるのもすばるやと思いますし、
すばるがテンション上げてくれてる時、メンバーがみんな笑ってる気がします。(LIVE TOUR 2010→2011 8UPPERS ウインクキラー 横山→渋谷)

 

マルって、いつでも賑やかにしてるイメージだと思いますけど、実はすばるがしゃべるときが一番調子がいいんです。なんか、うれしいんでしょうね。すばるがしゃべると、マルがいつもより面白なって。で、そこに大倉が加わって…となると、自然にみんなが会話に入ってきて、いつもよりテンションが上がるんです。僕も、そんなメンバーを見て、ずっと笑ってます。関ジャニ∞の中でいちばんのムードメーカーは、実はすばるなのかもしれん(笑)(「BEST STAGE」2015年6月号) 

 

グループにとってあなたは誰の代わりにもならない大事な人です。(LIVE TOUR 2010→2011 8UPPERS ウインクキラー 安田→渋谷)

 

  彼は関ジャニのセンターに置かれることも多く、音楽面での支柱でありながら、同時に皆に愛を送っているような人です。身体の中心となって、臓器から血液を受け取り、また全身に血液を送りだす心臓に通ずるものを感じました。人一倍人見知りで、人一倍関ジャニのメンバーに依存しがちな渋谷さんだから、メンバーも彼を守らなきゃいけない、彼のすごさを伝えなければいけないという意志が少なからずあるのではないかなと感じます。そしてすばるくんも、関ジャニとして、関ジャニのために、何かしようという思いが強い気がするのです。

 関ジャニの人間関係を見たとき、すばるくんは引っ張っていく立場でもなく、後ろから支える立場でもないような気がします。いろんな人に守られながら、前に立つ人と後ろに立つ人を繋げようと精一杯手を伸ばす人。ある意味関ジャニという概念と一体化しているなぁと思います。

 

 安田さん:肝臓

 人体の化学工場である肝臓は、500種類以上もの機能を担っています。栄養を蓄えたり、栄養を吸収しやすいようにしたり、毒に対しては分解したりと、他の臓器のために、身体のために、非常に多彩な機能を担っている臓器です。

 

音楽、芝居、絵、ファッション…ジャニーズ事務所というかアイドルに求められてることをどれもハイクオリティーでまんべんなくできる超優等生。(「Dear Eighter」村上コメント)

 

 俺が聴いて新しいと思える音楽を作ってくれる。今の関ジャニ∞にほしいものをわかってるから、とてもぴったりのものを届けてくれるな~って。コンサートで演奏してても気持ちいいねん(「ポポロ」2014年5月号『僕らとエイトの10年間。』)

 

ぼくは弱音を安田くんに吐いたことがありますけど、その弱音を吐いたとき、めちゃくちゃ楽になりました。弱音を吐くとこんだけ楽になれるんやって、安田くんに教えてもらったような気がします。(LIVE TOUR 2010→2011 8UPPERS 横山→安田)

 

 ヤスは、ほんまに優しいなぁって思うわ。今回も❝疲れたなぁ❞って思ってるとき、「大丈夫?」って声かけてくれるのは、ヤスかすばるやった。ヤスはそういう気配りを表立ってやるんじゃなく、陰でさりげなくできる人。(「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集)

 

ヤスは、ほんまに優しいんです。誰に対しても、優しすぎるくらい優しい。彼のそういう部分に、すごい助けられてる。いろんなキャラが揃ってる関ジャニ∞やけど、彼のおかげで、あったか~い雰囲気のあるグループになってると思うし。あいつもめっちゃ繊細なところがあって、ヘコみやすいねん。それをガマンする人でもあるし。たぶん、自分なりに発散してるんやと思うけど。(「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集)

 

 一方で物言わぬ臓器とも言われており、大部分が切除されても働くし、病気になったとしても酷くなるまで自覚症状がほとんど起きません。

 安田さんは腰を痛めているときも、俺節でどんどん痩せてしまったときも、弱音を吐かずに関ジャニの仕事を全うしてきました。その仕事に対する真摯な姿勢はもちろん、関ジャニメンバー(各組織)に楽曲という武器を与えて、関ジャニの活動を支えてくれるその立ち位置はまさに肝臓ではないかと。

 安田さんの行動力を伴った共感の優しさは、関ジャニの和をつくるために必須だと思うのです。関ジャニにもし安田さんがいなかったら、もっと関ジャニとしての活動は少なかったのではないかという気がします。主役になれる才能にあふれた人ですが、立ち位置でいったらサポート役に近いのではと感じます。補給班というか。同時に飛び道具としての能力も高い。いわば関ジャニの万能ナイフですね。安田さんにしかできないことがたくさんあって、本当に辛いとき苦しいとき行き詰まったとき、メンバーはそれにたくさん救われていると思うのです。

 

丸山さん:肺

 丸山さんはムードメーカーなので、メンバーの二酸化炭素を受け取り、酸素をあげる肺に近い立ち位置な気がしました。楽屋でも丸山さんはメンバーを笑わせてくれるし、現場でもいろんな人に果敢にギャグを披露しています。場の空気を明るくしたり、ときにすべって冷めさせたり、とにかく場の空気を循環させる力を持っている人です。メンバーがやりやすいように、酸素という名のギャグを送ってあげて、みんなの肩の力を抜いてあげるのが丸山さんのポジションであり、唯一無二の能力だと思っています。

 

マルは完全に楽屋のムードメーカーやったからね。いつも元気やから、逆にマルが元気がない日は、みんなから「なんやねん、マル!」って怒られんねん。気の毒なキャラやなぁ(笑)(「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集)

 

メンバーから頼りにされてるのはマルのほうやわ。俺らみたいな人見知りの多いグループで、マルはいつも明るいムードを作ってくれるし、疲れてても不機嫌になんないやんかぁ。だから、みんなすぐ「マル」「マル」って絡みにいきたくなるんやろな。(「with」2012年08月号『C∞MBI i』)

 

柔って人だね。
優しいっていうのもあるけれど、
グループの柔軟剤?笑
みーんな、まる!まる!
って近寄っていくもんね。
愛されてる。(2014/12/24「倉'mas0」vol.318)

 

マルはホンマ、昔から太陽みたいやったわ。いるだけでその場が明るくなる。マルほど、毎日毎日全力な人、よう知らんわ。ライヴとか、芝居とか、バラエティの現場ならともかく、楽屋でのムードづくりにも全力やん。(「with」2013年4月号『C∞MBI i』)

 

  安田さんは見守ってそっと声をかけるような優しさですが、丸山さんの優しさは撮り合いメイキングで錦戸さんにちょっかいをかけるところによく現れている気がします。

 ある意味、丸山さんは、メンバーの笑顔の導火線です。丸山さんの一発ギャグは何もないところからボケを生みます。関ジャニのメンバーはとてもツッコミが上手ですが、そもそもボケがないとツッコめません。そしてそのボケを何もないところから生み出すことは、実はとっても難しいことだと思うのです。

 彼はいつだって流れや空気、全てを一新する破天荒さと、その姿を愛おしいと思わせる一生懸命さに溢れています。  メンバーの笑顔を見れるのは、丸山さんの力に寄るところが大きいなと思います。

 

大倉さん:腸

 大倉さんが一番難しかったです。大倉さんは2つのポジションを持っている気がしています。1つはあの笑い声、もう1つは鋭い指摘によるものです。その共通点を考えたときに、関ジャニというグループに栄養を与えるイメージが強かったため、「腸」に例えてみました。

 

 やっぱりあなたはすごい関ジャニ∞の事を考えています。
グループのこと、グループのためにって最近よく言ってるのがあなただと思います。でも、僕が1番あなたの好きなところは、
大笑いしてるところです。
あなたが大きい口を開けて「あはは」と笑っている姿を見ると、
みんなが癒されています。(LIVE TOUR 2010→2011 8UPPERS ウインクキラー 横→倉)

 

丸山「(大倉は)100%笑ってくれます。僕の心の支えです」(2014/08/08「A-Studio」)

 

たつは昔から、よく食べ、よく笑い、よく眠る。それが俺の癒しやねん。(「with」2013年6月号『C∞MBI i』)

 

大倉ってものすごい努力するやん。人一倍努力してる。特にライブに対しての意欲を感じるし、その打ち合わせで、大倉から出る意見はすべてなにに対しても関ジャニ∞にプラスになることを考えてる。かといって自分の意見をグイグイ主張するわけじゃなくて、ここぞってときに言うやん?(「Dear Eighter」)

 

  錦戸さんや村上さんは刺激を自分のものに変換して、それが関ジャニの良さに繋げているような気がしますが、大倉くんは刺激や受けた印象をすごくきちんと分析して、必要だと思ったことを情報(栄養)として提供してくれている気がします。それが結果的に自分のためになるということも、よくわかっているのだと思います。また、あの素敵な笑い声は確実にメンバーが楽しく発言・行動するにあたっての栄養だと思いますので、そういったところで関ジャニに栄養を取り込んでくれる腸のようなポジションなのかなぁと感じました。

 また、横山さんは他者プロデュースが得意ですが、大倉さんは自分を含めた関ジャニをプロデュースするのがうまい気がします。横山さんが外からものを見る人ならば、大倉くんは内と外をいったりきたりしてものを見れる人です。彼のそういった器用さが、関ジャニに膨らみや味わいをもたせているのだと思います。

 

 

村上さん:神経

 いろいろな臓器と迷いましたが、立ち位置として考えた際に、神経が一番しっくりきたので神経にしました。

 

オレが気持ち的にトークのノリが悪いときもあったりすんねんけど、それに対して「お前、ちゃんとせぇや」とか一度も言ったことがない。そういうときは必ず自然と頑張って話を回してくれて、結果めっちゃおもろい空気に変わってる。(「Dear Eighter」)

 

コンサートをよく見てる人間なんやろなって思いましたね。いろんなアンテナをもっていて、細かい部分にまで目を向けられる人。俺も見るけど、やっぱり自分も気になる部分だけ…ってことが多くて、ヒナちゃんみたいに広角で見られてない気がするんですよね。(「えっ! ホンマ!? ビックリ!! TOUR 2007」密着ドキュメント写真集)

 

MCでも全員のバランス見てちょこちょこ話を振ってくれたりとか、メンバーの中で一番ボランチ的な存在というか、役割を受け持ってくれてると思う。(「Dear Eighter」)

 

村上君は統率力じゃないですか。いろんな番組でいつも仕切ってくれるし。(「Bananavi! vol.2」2015年7月号)

 

 村上さんは、関ジャニにおいては、横山さんとは別の意味で、「活かす」という立場な気がします。横山さんが0から1を作る人ならば、それを何倍にも増幅できるのが村上さんという印象です。なので、司令塔村上さん、参謀横山さんより、司令塔横山さん、参謀村上さんの方が、わたしはしっくりくるのかなぁと思ってます。村上さんは、仕事におけるリーダーですが、関ジャニという人間関係のなかでは「リーダー」にはならないだろうなぁという気がするのです。

  リーダーではありませんが、村上さんは一貫してまとめ役です。ツッコミを介してトークを動かし、まさにMCをやっているときのようにメンバーとメンバーを繋ぐ村上さんは、社交性も高く、外界と関ジャニを繋ぐ機能も持っています。空気を読むスキルにたけているところも、外界の変化を受け取る繊細な「神経」というところに通ずるものがある気がしています。意外と関ジャニはシャイだったり、人付き合いが片寄っていたりする人が多いです。そんななかで、関ジャニと外界の人を繋いでくれる村上さんのポジションは、難しいながらも、とてもありがたいものな気がしています。

 

 

まとめると、

f:id:shiotsurezure:20171015194111p:plain

 こんな感じです……(名前を書くのはさすがにはばかられました……)

 一応アイドルとしての立ち位置というよりも、関ジャニグループ内での立ち位置に重きを置いて考えたつもりだったのですが、個人の性格にひっぱられたところもあり……きちんとした結論になっているのか、正直まだ不完全燃焼です。現段階での、一個人の印象というところでひとつ宜しくお願い致します。

 もしかしたら本当に存在するかもしれない、各々のグループ内ポジション。アイドル活動のうえではいろいろと死活問題になるのかもしれませんが、楽屋などでは、あまりキャラ被り、立ち位置の重複などは気にせず、各々がのびのびとメンバーとのかかわりを楽しんでくれていたらいいなと思います。

あいうえお作文で渋谷さんの魅力を語る

渋谷さん36歳のお誕生日おめでとうございます。そして関ジャニさんも13歳のお誕生日おめでとうございます。
安田さんにひき続き、あいうえお作文で渋谷さんの魅力について考えます。

んしなことば

私はすばるくんの言葉や話し方ががとても好きです。挨拶やドキュメンタリー、雑誌での渋谷さんの発言のたどたどしさに、今一生懸命言葉を選んでるのだというのが伝わってきます。そうやって選ばれた言葉は、まっすぐで、優しい粒のかたまりです。流暢ではないけど真摯な言葉が、いつもメンバーや私たちファンの心を熱くさせるのだなと思ってます。すばらじは聞くたびに楽しそうなすばるくんの声がことばを運んできてくれます。ときに穏やかな低音で紡がれる話はここちよく、胸にすとんと収まるので、すばるくんの言葉のあたたかさを実感します。

きようなあい

人見知りなだけで、ほんとはこどもがすきでメンバーが好きで、心を許した人には一途になってしまうすばるくんの不器用な愛。ジュニアの頃にあまりのカリスマ性から崩れてしまいそうになったけど、やっぱりそのカリスマ性はずっとずっと健在で、だからこそ悩み迷い孤立したこともあったんだろうけど、同時にたくさんの人に愛されてきたんだろうと思います。アウトな発言も多いですが、過去の恋愛や友情の話から推察するに、きっとすばるくんは一途な人です。すばるくんから愛される人はとても幸せだろうなと思います。

ましいのうた

すばるくんの歌って好き嫌い別れると言いますが、個人的には一度もそんな印象を持ったことがないくらい、すばるくんの歌い方が好きです。すばるくんは魂を込めて歌う人です。今回のコンサートで彼の歌声を浴びました。心臓が震えるような歌声でした。だからこそ身近にいるメンバーはみんなずっとすばるくんの歌に魅了され続けているのだと感じます。もちろん多くの人に愛されてほしい声ですが、すばるくんと共に歌う人たちが、すばるくんの歌を好きであることがなにより嬉しいです。一人だけにさせない、一人だけに負担をかけない、そういった歌の構成にグループの良さを感じられて、すばるくんがソロでアイドルにならなくてよかったなぁと思ってしまったりします。
音楽が好きで、音楽に対して真摯な姿勢なすばるくん。コンサート中は喉も大事にしてるし、自分の声に癖があることも自覚していて、最近は場面場面で調整しているように見えます。ジュニアの頃の叫ぶような歌い方も、今のじっくり何かを込めて抑えた歌い方も、ずっと音楽と生きてきたすばるくんだから歌える歌い方なのだと思います。

とうりゅうのわらいのたつじん

笑いに関していえば、渋谷さんはボケもツッコミもほぼ同等にきれがあって、圧巻の例えを繰り出します。さらりとした一言で、必ずといっていいほど私たちの笑いを誘い、そしてそれにメンバーたちも爆笑しています。頭の回転が速いというより、発想力がすごいのかな。センスがいいんだと思います。実はめちゃくちゃ面白い渋谷さんですが、多少シャイなので、メンバーがいるときにしかこういう心を許したボケツッコミをしていない印象を受けます。そんなところもかわいらしいと感じます。この類まれなるセンスに気づいているのはファンだけだと思うので、もっともっと関ジャニのバラエティがお茶の間に浸透して、すばるくんの面白さが発見されればいいのにと思っています。

のままいきる

嘘をつけないのが錦戸さんだとしたら、嘘をつかないのがすばるくんかなと思います。最近はここはあかんな、とか、ここは言わん方がええな、とか考えて、言葉や行動を選んでるとは思います。でもやっぱり極力偽りなく自分を生きてる、生きようとしてる人だと思います。「生きろ」の歌詞は、まさに私が想像するすばるくんの歌詞でした。素のまま生きることで、傷つきやすい人だとは思うんです。でもすばるくんは、自分を生きようとする。その姿勢がとても尊く、美しいと感じます。ジャニーズウェブの渋谷さんのコメントも、素のすばるくんのきれいな世界を見せてもらってるようで、不思議と幸せな気持ちになります。

らんすをたいせつに

新年会のコメントでも思ったんですが、グループのことを考えて、感情を処理できる人だなって印象があります。ツアー中の喧嘩話とかでもそうですが、結構仲裁に入ったり、自分から折れることができる。話のふりとかはヨコヒナの方がうまいので、そういう意味のバランス調整ではないのですが、和を大事にしながらも冷静にグループを守ろうとするすばるくんの愛が素敵だと思います。すばるくんにとって関ジャニメンバーは数少ない友達で、兄弟で、すごく大切な人たち。だからといって、自分の意見を言わないわけではなく、きちんといろんな意見を聞いて受けとめた上で、皆が納得できるように自分の意見を伝えられる、しっかりした人。今の渋谷さんはすごくかっこいい大人だと思います。なあなあにしているわけではないけれど、すごくメンバーのことを考えて、いろんな人との間を取り持てるんだなと感じます。

っくすのきわみ

少年時代に美少年だったのが年を取ると………ということは往々にしてあることとは思いますが、渋谷さんの年の取り方が好きです。初老だなんだって言われてますが、きちんと年を取った生きたかっこよさがにじみ出てます。渋谷さんは昔も今も、完成された美しさの中に、危うさとかちょっと退廃的なニュアンスがあって、目が惹き付けられるルックスをしています。そして見つめれば見つめるほど、彼の持つうっすらとした不安定さ(昔よりは弱くなりましたか?)に心が乱される気がします。


渋谷さんは栄光と挫折と復活を、いろんな人との関わりの中で味わってきた人。一番神様のようで、一番人間らしい彼の、不器用な優しさが好きです。
36歳としての1年も周りの人を愛し愛され、なんかええなぁって思える日々を過ごしてほしいです。
同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。

あいうえお作文で安田さんの魅力を語る

安田さん33歳のお誕生日おめでとうございます。大遅刻ではありますが、私も安田さんの誕生日をお祝いを兼ねた何かがしたくて、こうして記事を書いています。
33歳ということで、①安田さんの素敵なところを33個あげる、②安田さんについて3333文字で語る等々考えましたが、結局③あいうえお作文で安田さんの魅力を考える、にいたしました。

さしいやす

なんらかのツアーメイキングで、短気な人と言われて、メンバーがあげたのは安田さんの名前だった気がします。でも実際怒ったことはほとんどないといわれていますね。丸くなったのか、イライラするだけで怒らないだけなのか。譲れないとこもあるんでしょうが、それ以外のとこは全然こだわりのない性格なのかなと思います。その譲れないところのポイントが他の人とずれてるから、ヤスは優しいって言われて、本人は「?」ってなるのかもしれません。
でも、丸山さんの愚痴につきあってあげたり、毎日挨拶をしながらメンバーの体調を気遣ってあげたり。優しさって安易に使うのは難しい言葉だと思うんですけど、一番身近なメンバーが「優しい」と称し、それに救われてるのだから、安田さんは本当に優しい人なんだと思います。思いやるのだけなら倫理観さえもっていればいろんな人ができることだけど、それが行動に直結させられるのが、安田さんの優しさのすごさだと思います。メンバーだけじゃなく、共演者からも優しいと評される気遣いが、安田さんがいろんな人に愛される理由なんだと感じます。

るどいせんす

私がファンになったとき、作詞、作曲のセンスのすごさに驚かされました。安田さんは自分の曲を(関ジャニの曲として)持たない人ですが、個性を消した曲を作れるのは並大抵のことではありません。なんとも器用なことができる人がいるんだと感動しました。感覚を理論をもって具現化できる人がグループにいてくれることが、どれほど誇らしく、ありがたいことでしょう。私は全然音楽に詳しくないのですが、毎回がらりと変わった曲で、視聴者の心を鷲掴みにする安田さんは、まさに音楽分野のエンターテイナーだと思います。
あとは言葉のセンスもすごいですよね。最近はもうメンバー自身が安田さんの一挙一動にわくわくしてるのが、MCでもWebでも読み取れます。才能に溢れた器用な人。その時々にメンバーが必要としている笑いや歌をぽんと自然に提供できるところが安田さんの魅力だと思います。その類まれなる才能を、関ジャニとしての武器に使ってくれるのが本当に嬉しいです。

れかになれる

演技でもそう、作曲でもそう、安田さんは誰かになれる人だと感じます。演技でもその人だったらどういう風に行動するかを考えて、憑依したかのごとく演じられるし、作詞作曲は関ジャニに何が必要かという、プロデューサーないしファンの立場になって構成を組み立てることができます。的確に物事を捉えられる、洞察力の高い人です。俯瞰の目といえば大倉くんがよくあげられます。第三者としての立場でものを捉えられるのが大倉くんだとしたら、ピンポイントで当事者の立場にたてるのが安田くんな気がします。普段から人の気持ちについて考えてるから、いろんなことに寄り添えるのかなと思います。

んしなあいどる

去年札幌エイタメMCの安田さんは「ヤスどうした」「今日のヤスアク強いわ」 とメンバーに言われ、「これ素に近いんですけどね」「ようやく最近素を出せるようになってきた」と答えてました。私は安田さんが普段無理してアイドルやってるとは感じないのですが、もしかしたら安田さんは自分の心を自然と操っていて、いろんなことを「素」としてやってると、無意識のうちに思い込んでるのかもしれないなと思いました。そして、疲れたとき、弱ってるときに、聖人君子ではない安田さんの引き出しがあくのかもしれません。そもそも安田さんってネガティブな表情をしてることが極端に少ないイメージがあります。本気のマイナス感情を、カメラやファンの前では全然見せない。安田さんが泣いた怒ったを聞くのはいつもメンバーの口からなんですよね。アイドルという仕事をきちんと自分の中で消化して、向き合ってるように思います。

うしがいい

ことさら顔のことに関しては語彙力がなくなるんですけど、安田さんの笑顔って素敵だなぁっていつも思うんです。爆笑してるときも、穏やかに微笑んでるときも、雑誌で要求された笑いであっても、目がすごく楽しそうで嬉しそうで喜んでる表情なんです。そして、安田さんの器用さと強さが、あのほころび1つないキラキラした笑顔を支えてるんだと思うんです。あとはあの骨格で、女装が似合うのもふしぎだなぁと感じます。女性らしさと男性らしさが混在する、生命のかたまりみたいな人なんですね。

そのないいきかた

安田さんって嘘をつかない人だと思ってます。ばか正直というより、嘘をつくくらいなら言わないことを選ぶ人かなって。聞かれればこたえるけど、きっといろんな言い換えをして表現しているのではと感じています。「嘘は」ついてないんです、なんでも見方次第だということを本能でわかってて、ネガティブなところを冷静に処理してる。そこから出す出さないをきちんと選んで発言してる。天然に頭のいい人だなって印象です。安田さんは気持ちに嘘はつかないまっすぐな人だけど、配慮ができる人なんだなと思って見てます。

しゃをあいす

人も動物もいろんなものがすきなところが伝わってきます。それこそほんとうに嘘偽りなく。自分にはないものを楽しめる人で、しかも本人自身がちょっと風変わりなもので、あらゆることを面白くてすきだなぁと思えるのかもしれません。ジャニーズのマザーテレサと言いたくなるくらい、博愛精神が根付いてるんでしょうね。同じところで結婚式したくなっちゃうくらい、メンバーが大好きで。安田さんは特に聞かれないことに関してメンバー愛を語ったりはしない印象ですが、言葉の節々から当たり前のようにメンバー愛が感じられるとこが好きです。リスペクトを持ちながら他者を愛することができる人だから、安田さんからもらえる愛はきっと気持ちがいいんだろうなと思います。


私は安田章大という人間のことはわかりませんが、人間安田章大が魅せてくれようとしている、アイドル安田章大のことはいっぱい教えてもらってるんだなと思ってます。
本当に引き出しを沢山持っていて、自然とそれを入れ替えることができる器用な人。メンバーも、私のようなファンも、いつも安田さんの表現に魅了されています。
また一年、安田さんが健康で元気に生きてくれれば幸せです。同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。

関ジャニの面白さについて考える

序論

 関ジャニの「面白さ」はプロも含め多くの方が語っている関ジャニの武器のひとつである。はてなブログでも、彼らの「面白さ」について取り上げた記事がたくさんあり、もはや「関ジャニは笑える」がファン内外の共通認識となっている。

 さて、このたびペコジャニを加え、めでたくメンバー全員が揃うレギュラー番組が4つとなった。旧レコメンヒルナンデス、ありえへん世界、CM等の傾向を見ても、メディアは関ジャニを複数で使いたがる気質があるように思う。1/∞ではなく2/∞を選択した理由も、複数での魅力を感じていたからだと推察する。個人個人の笑いやバラエティに対する能力は個別記事で取り上げていただくとして、今回は「関ジャニ」としての笑いに関して考えることをテーマとしたい。なぜ関ジャニは笑いに強いのか。「関西出身だから」で片付けず、いろんな視点から彼らの面白さを言語化することを目指したいと思う。本論では、考えた結果を7項目で示した。

 

本論 

①かっこいいから生まれるギャップの笑い

 人は予想外のことが起きた時に笑ってしまうことがある。まず関ジャニは外見がかっこいい。かっこいい人は笑いにおいても絶対的なポテンシャルを持っている。なぜなら普通のことをするということ自体が、大きなギャップになるからだ。いわば、彼ら自身がなのにさんである。ジャニーズにおいて、ファンがそのアイドルを面白くないと言っていることは極めて少ない。彼らはかっこよくて、自分とはかけ離れた世界の人のように感じるアイドルである。そのため、彼らが私たちと同じことをするだけでもその意外性に思わず笑ってしまうのだ。強面のお兄さんにかわいらしい過去があったら笑ってしまう。赤ちゃんが大人びた表情をしていたら笑ってしまう。見た目とのギャップはかっこよさを引き立てる魅力であると同時に、ジャニーズの笑いの最大の武器であると言える。

 

②笑いの万能プレーヤーたちによるチームワーク

 さらに関ジャニならではに注目しよう。彼らがあれだけグループとしての冠番組を持つ理由の1つに、グループ内での「チームワークのよさ」がある。私は関ジャニのことを、全員がボケ・ツッコミを恐ろしいスピードで回せる雑技団のように感じている。バレーボールでいえば、全員がレシーブ、トス、アタックをこなせるオールラウンダーな人たちで構成された、統率のとれているチームであると思う。

  人は飽きる。飽きさせないためには、常に新しい刺激を与えることが必要だ。7人ならば、ボケ、ツッコミの組み合わせだけでも2^7通り存在する。さらにガヤやMCなども加えていくと、無数の笑いのパターンが生まれる。MCは村上さん、ボケは丸山さん、それは一つのパターンでしかないことを、ファンは知っているはずだ。関ジャニは一つの番組、一つの回で何パターンもの笑いをくり出す引き出しの多さを持っており、その多様性がずっと見ていても飽きない彼らの魅力に繋がっていると推察する。彼らのバラエティを見ると、誰かがずっとボケだった回、誰かがずっとツッコミだった回の少なさに驚かされる。メンバー複数での番組を作る機会が多いのは、必要なポジションにいつでも誰でも収まることができる、笑いのチームワークのよさが評価されているのではないだろうか。

 一人一人ではいざ知らず、「関ジャニ」は笑いに関してだいたいのことができる。もちろん個人では得意不得意はある。しかし7人いれば、誰かが多少苦手な役回りをやったのとしても、誰かが補って笑いにかえてくれる。例えば錦戸さんは、MCが苦手である。個人では「できない」の部類に入るだろう。しかし関ジャニの中では、時にツッコまれ、時にサポートされ、いつのまにか愛されMCができているように見えるのである。バラバラで個性が強いと言われる関ジャニも、笑いに関して言えば、恐ろしいくらい統制のとれた、器用なグループのように映る。

  そもそも7人もいれば、極端な話、ゲストがいなくても番組を構成できる(※これは可能・不可能の話で、ゲスト不要論とは全く別の話である)。笑い役、回し役、ボケ、ツッコミ、まんべんなく一通りの役をふって、バラエティ番組を構成できる人数。そしてそれを実際に可能にしてしまう関ジャニのお笑いポテンシャルは、とても高い。

 

③同じ役割での多重奏

 そんないろんな分業ができる一方で、全員が同じ役割をしていても、人数が光っていると感じることがある。ジャニ勉などのトーク番組を見ていて感じる人数の強みは、ツッコミもボケも、やりすぎだと思うくらい被せることができる点だ。例として、ジャニ勉のRIKACOさん回で、丸山さんの理想の女性のファッションを描いた絵が出た時のメンバーの反応を取り上げよう。 

丸「俺はぁ、イメージ中山美穂さんみたいな」

f:id:shiotsurezure:20170901000225j:plain

倉「何これ!?なにこれ?!」

安「なんやこれ?」

村(頭はたく)

村「(俺が描いたのより)お前のがおかしい!」

安 (絵のポーズを真似する)

横「ちょっと中山美穂さんに謝ってくれへん?」

倉「後ろに田んぼが見える」

渋「メキシコ人や」

横「メキシカンや」

村「テキーラやもう」

倉「テキーラやあっはっは」

横「『ここ』って何!?」

村「『ここ』って何なん?これ」

丸「鎖骨がちょっとこう~…見えるファッションがいいってこと」

亮「おかんの?!」

倉「おかんやん」

安「おかんやで」

亮「おかんの??!!」

 この一連の流れは約25秒という短さで行われている。丸山さんのボケに対し、まるで童謡「かえるの合唱」のように少しずつずらして、恐ろしいスピードで皆から重ねられるツッコミはまさに圧巻だ。驚くべきことに、この短い時間で6人全員がツッコミに参加している。頭をはたく、動作を真似するなど動きにも富んでいる。

  人数が多いと、それだけでツッコミが豪華になる。楽器が多い演奏と同じである。関ジャニは、一歩間違えば単調になりがちな多勢でのツッコミを、話し方や人を変えて重ね合わせることで笑いに繋げている。ボケに関してもそうだ。ゲストFUJIWARAのジャニ勉において、芸人さんと共に流麗なボケのラリーを成立させたのは記憶に新しいところである。ブレーキを外して暴走するとなれば、全力でのるノリのよさと敏捷性の高さ。ミルフィーユのように重なりあうボケはいつ見ても楽しい。

 

④第三者なのに一体感

 次に嵐やセクシーゾーンを見たときの私自身の笑いの感覚と比較して捉えてみようと思う。嵐やセクシーゾーンは5人である。当たり前だが、人数が関ジャニより少ない。そのため私は5人を見て笑っているときに、ツッコミだったり、ガヤだったり、「その笑いの中にいる何者か」になることとなる。時に彼らのボケにツッコみ、時にシュールな状況に笑うガヤとなる。一方、関ジャニは私という存在をほぼ必要としない。私は関ジャニを見て笑う際、関ジャニという映画、漫画、アイドルを見て笑っている第三者の自分になっているような気がする。ボケもガヤもツッコミも、7人で勝手にしてくれる。もちろん参加型の5人の笑いも好きだ。しかし関ジャニの笑いはかなり自由で、観賞型の気楽さがある。

 このように関ジャニはファンを第三者目線にさせがちだが、不思議と疎外感を感じさせない。笑いには笑いを呼ぶ効果がある。誰かが笑ったら自分も笑ってしまう、いわゆるつられ笑いである。関ジャニさんの会話の中では笑い役というのが大抵一人は存在する。周りが引いても冷めても笑える人である。たいていの場合は大倉さんだ。彼の笑いは、すべりすらオチに仕立て上げる功労者といえる。ファンの贔屓目をもってしても、笑えない時もある。そんなときも大倉さんは大きな声、大きな口で軽快に笑ってくれるので、周囲のメンバーも私自身もつられて楽しくなってしまうのである。

 笑いはある種、話の締めである。だから「面白かった」という感情で、一つのコントを締めることができるのはとても重要なことだ。前述のとおり、関ジャニを見ているとき、私はだいたい外から見ている。しかし彼らの笑い声が、自分の手を引いて、最後には笑いの中へ引っ張ってくれるので全く寂しくはない。

 

⑤下げないのではなく下げて上げる

 さて、関ジャニの笑いは人を下げないから気持ちがいいという意見を聞いたことがある。他の笑いに詳しいわけではないが、もう少し掘り下げていえば、「関ジャニ」としての笑いは、下げないのではなく、下げても上げることができると言った方が適切かと考える。いじりと下げるの境界線はあいまいである。関ジャニが全く人をいじらないかと言われると、そんなことはない。むしろ全力でいじる方向性のグループだ。ただ、誰かが下げたところをすっと戻す人が必ずいる。大抵はヨコヒナ、時にヤンマー。相手が反論したいところ、不快に思うことを代弁してフォローしてくれる人がメンバー内に現れる。全員でいじることも0ではない。しかしテンポがいいからか、引きにもっていくコメントを出すタイミングが比較的早いように感じる。空気が読めないように見えて、実は空気が読める人が多いのではないかと思う。そのため、ボケの役割のときに全力でボケれる人が生まれ、おもしろくなるのだと考える。

 

⑥普遍的な笑い

 関ジャニの笑いは男子高校生の笑いである。日常的で、誰もが学生時代の同級生を思い出してしまうような笑いだ。「こないだこんなことがあった」「昔こんなことがあった」という思い出話から、今その場で起きている事象で単純に盛り上がったりする。つまり、関ジャニの笑いは、「知識を前提とする笑いが少ない」ということである。私には、芸能人の話も時事問題も流行も音楽もスポーツも、とにかく知らないことが多い。そんな私が見ても、関ジャニトークやバラエティは笑える。知識が要らないからだ。古くもならない。

 関ジャニの笑いは女子高生の笑いではない。下ネタが多いからというわけではなく、仲間内での「同調の少なさ」にそう感じるのである。もちろん、誰かが何かを意見したとき、同調する人もいる。しかし誰かしらがツッコミという形で反論する。それゆえ関ジャニトークは盛り上がり、多彩な意見が出る。見ている私たちも誰かしらの意見には自己投影ができ、疎外感もなくなるのではないかと推察する。

 アイドルにおける笑いは難しく、ファンの、「彼らのことを話してほしい」という要望は身内ノリの強さに繋がりかねない。だがクロニクルや関パニで見る彼らは、なんの知識も持たない視聴者と同じ環境(のようなノリ)でその場の物を使って即興的な笑いを生み出す。そのテンポのよさは、いきなりドッヂ、ト書きクロニクル、成立させろ記者会見、英会話伝言ゲームなどに見られるように、台本を感じさせない。バラエティ番組のレポを書く際、皆さんはだいたい面白かったネタを抜粋して書くと思う。関ジャニはものすごい速さでネタを連発するため、むしろネタじゃない時間帯がないのではないだろうか。実際、私はレポを書こうとすると、ただの文字おこしになりがちである。

 

⑦切磋琢磨で磨かれた彼らの笑い

  関ジャニは、お互いがお互いを、おもろいやっちゃなと思っている雰囲気がある。関ジャニに限らず、大阪の人(関西の人)は基本そうなのかもしれないが、私からすれば「全員、メンバーの無茶ぶりを断らない」というのもなかなかすごいことのように思う。無茶ぶりが苦手な錦戸さんですらもメンバーからふられたら断らない。言われたら5秒以内にやる。寝起きどっきりも、取り合いメイキングも、瞬発力高く応じている。

 彼らがなぜ面白くなったのか考えたとき、もちろんバラエティをがむしゃらにやってきた彼らの努力と、センスが花開いたというのが大部分の理由だと思う。しかし、テレビの前だけではなく、楽屋でも互いを笑わせようとし続けてきた、そんな純粋な笑いへの欲望が彼らの笑いのレベルを引き上げているような気がする。関ジャニはお互いを笑わせた時に本当に嬉しそうな顔をしている。松原.の手紙にもあったように、友達が笑ってくれる喜びが彼らの笑いの根底にあったならば、ファンとしてこれほど嬉しいことはない。

 

結論

 以上のように、関ジャニは(無意識、意図的はさておき)とてもレベルの高いことをしながら、私たちに単純な「笑い」を提供してくれているのだと思う。the MANZAIに出てくるセリフで「おもろい奴が一番やないか」というセリフがある。ずいぶん前に読んだ本だが、最近は関ジャニを見るたびに私の心の中によみがえる。関ジャニの笑いは決して上品な笑いではない。しかし、大衆娯楽のように、大きく口を開けて笑えるようなバラエティが関ジャニのなによりの魅力であり、デビュー前から大切にしてきた武器である。その武器で更なる道を切り開き、アイドルの金字塔を打ち立ててほしい。

3と4と7という数字から関ジャニを考える

 私は箱推しの性質もあり、関ジャニさんが揃った時の「なんだか強そう」感が大好きである。先日のジャムアルバム発売で満を持して三馬鹿と年下組の曲が発売されたことにより、三馬鹿と年下組について考える機会が多くなった。考えて考えて考えていくともう私のポンコツ頭では何が尊いのかが分からず、最終的に3という数字も4という数字も尊く見えてきた。いっそのこと数字から関ジャニの魅力を考えて考えるのも面白いかなと思い、原点(?)回帰した次第である。

 私は内くんのいた時代の関ジャニを知らないので、「今の」関ジャニの人数から「今の」関ジャニの魅力を語るつもりであり、8人だったらダメだったなんて比較をする気は全くない。何かを下げて今を持ち上げたいというつもりで書いているわけではなく、純粋に3と4と7の良さについて語りたい。しかし、気に障る方は控えていただいた方がよいかと思う。さらにジャム公演の演出についても言及する。DVD待ちの方はネタバレになるのでご注意いただきたい。ちなみに専門知識はないので、明らかに間違っていることがあればご指摘願いたい。というか、この記事をきっかけに専門の方に記事を書いてもらえれば本望である。

 

 まず3という数字であるが、「三つ子の魂百まで」、「石の上にも三年」、「三度目の正直」、「早起きは三文の得」、「仏の顔も三度まで」、「三度目の正直」といったことわざや、三大~といったように、日本人は3という数字を好みがちである。これは奇数を良しとする陰陽思想に基づいた縁起のいい数字だからという説や、「満つ」に通ずるからという説があるらしいが詳細は不明である。

 さて関ジャニの「3」といえば三馬鹿をおいて話は成り立たない。夜な夜なトリオ、大山田、三兄弟、ビースト!!等々の組み合わせはあるが、絶対的なトリオとしての年上組トリオ、渋谷さん、横山さん、村上さんなくして「3」は語れない。そもそも私は三馬鹿があまりに完璧なトリオすぎるがために、関ジャニにおいて他のトリオが成立しにくいのではないかと思っている節がある。そのくらい完成された「3」が三馬鹿である。

 三馬鹿は全員が同じ年で、誕生日が4か月違い(等間隔)というのが既に数字として美しい。一や二は点や線でしかないが三になってはじめて、面が完成するように、三馬鹿は誰か一人が欠ける(というか二人に偏る)と途端にその均衡性を失う。ヨコヒナが話せばすばるくんは見守るし、松原.が話せば横山さんは口数を減らす。つまり、バランスが崩れた時点で三角形(三馬鹿)が成り立たなくなるのである。私は三馬鹿は黄金の正三角形であると思う。

 たとえば四角の角の部分に力が加わると、それは100%垂直方向に伝わり安定性を失いますし、四角の上側の辺の中心に上から力が加わるとその辺が衝撃の殆どを受けて折れやすくなってしまいます。

 けれども三角形の場合には、頂点の部分に力が加わっても、それは左右に分散されて安定性を保つことができます。

 つまりトラス構造の梁は、力を加えると棒状の梁と同じように変形しているように見えますが、力は均等に分散され、しかも実際に三角形を構成しているそれぞれの部分には、"両側から引っ張る力"か"両側から押す力"のどちらかしかかかっていないことになるのでかなりダメージを受けにくくなっているのです。

 これはトラス構造という三角形の組み合わせからなる構造についての解説文だが、如実に三馬鹿の関係性を物語っていると感じる。三馬鹿の構図は「強い」。年下組が無類の信頼をおいているのも、俺らが前行くと言って先陣きって駆けられるのも、絶妙なバランスを伴った安定感があるからである。先ほどの成り立たないという話はあくまで自発的に崩れた場合に過ぎない。点が一つ欠けたり引いたりしてしまったら、三角形のバランスが崩れるのは道理である。しかし、トラス構造の説明から見るように三角形は外部からの衝撃にとても強い。一人に何らかの力が加えられても、両脇の二人が支えてくれるからである。渋谷さんが周りのプレッシャーに崩れかけた時支えてくれたのはヨコヒナである。周りが辞めていったりデビューしていく中、デビューしても苦難を味わうさなか、最強の正三角形があったからこそ、関ジャニは強くいられたのだと思うと3馬鹿の味わいがさらに増す気がする。いい、3はとてもいい。

 

 次に4という数字について語る。4という数字は偶数であり、センターが存在しない数字である。そういう意味ではアイドルには少し厳しい数字といえる。しかし、4人組はいわば「チーム」になれる数字である。方角、四季、四天王……三大~に比べて、一体感が無いだろうか。

 ピタゴラスが「奇数は男性的で偶数は女性的だ」と唱えた(「どんな数にも物語がある」(2015年)より)ことを踏まえると、偶数×偶数、偶数+偶数の組み合わせで成り立つ4という数字はとても女性的である。それを象徴するかのように偶数の人数は非常に女性主体の漫画で好まれる。けいおん!らきすた等々にあるように女の子がほのぼのする、いわば萌え漫画では主人公グループが4人であるケースが多々見られる。

 さて年下組はというとまさにそんな印象を受ける。グループとしての調和を生み出しているのが彼らの存在だからである。

 「連れてって 連れてって 夜明けの向こうへ」というノスタルジアの歌詞にも表れているように、彼らの中にヒーロータイプはいない。先頭に立つような感じではないと言ってもよい。年下組という年齢も関係しているかもしれない。ノスタルジアはまさにそんな彼らの手を引きたくなる切なさと温かさに満ち溢れた曲であると思う。

 年下組は彼らは三馬鹿が作った道をしっかり踏み固め、漏れているところを補っている。このように全体の一体感を生み出すという点では、4という数字は必要不可欠な数字だ。4人と言うのは組み合わせが作りやすく、仲間外れを生み出さない調和の数字だ。1つ欠点を上げるならば、組み合わせが安定しているがために、チーム感はあるのに線の繋がりになりやすく、2人と2人といった構図になりがちで、画面のインパクトが薄くなりやすいことではないかと思う。6人であればシンメが3つで奇数を作り出すことができるのだが……。

 けれども今回のノスタルジアの演出は4という数字の良さを活かしたうえで、物足りなさをカバーしている。まず4人がそれぞれ四方向から現れ、センターステージで交わる。この交差というのがポイントで、4人が現れた地点とセンステを結ぶことで、5という奇数を作り出してインパクトを出しているように思う。さらに中心で、二人の組み合わせを変えながら交差の動きをしていくことで、チーム感を損ねずに様々なの線の繋がりを感じさせてくれるのである。今や年下組はしっかりと個々の魅力を確立した。だからこそ、山田、torn、ヤンマー、ほほえみ、倉安、倉丸、と、どの二人の組み合わせもしっくりくる、4人形態を最大限に活かせるチームになったのだと感じる。年下組はまさに、線の組み合わせで成り立った「チーム」である。

 

 最後に7である。3と4が合わさって7になる。当たり前の足し算だが、関ジャニさんで考えるととても尊いことのように感じる。なにより画がきれいである。

 三馬鹿の両脇を年下組で挟んでもいいし、三馬鹿が両端と中心に来て、年下組が間に入るパターンでもよい。三馬鹿(3人)は等間隔であれば離れたって安定感があるし、年下組(4人)は如何様にも2人2人で別れることができる。

 

f:id:shiotsurezure:20170825000831p:plain

 ファンの中では自担がセンターであるのは分かっているのだが、そうはいっても「関ジャニ」においてセンター率が高いのは渋谷さんであるのは事実だと受け止めていただきたい。図は一部のCDジャケット等に見られる、渋谷さんセンター時のメンバー配置である。

 まず三馬鹿がなんとも美しく均等に配置されていると感じる。近いときも遠いときも、基本的にヨコヒナは渋谷さんを挟んで対になる。(もちろんズッコケ大脱走など、そうでない場合もある。)一方で、年下組の流動性を見てほしい。時に三馬鹿を繋ぐように、時に両脇から支えるように、どの組み合わせになっても違和感がない。

 別にこれ以外のパターンに否定的なわけではない。もちろん年下組がセンターに来たって、三馬鹿がかたまったっていいのである。個々には十分にセンターを張れる魅力があるし、別に特定の組み合わせが禁忌ということもないし、いつも同じではマンネリ化する。しかし、個人的には、図に示した構図が三馬鹿の3と年下組の4を活かしていて「関ジャニ」の形として安定している、両方の魅力を出している最強の基本布陣ではないかと感じている。

 

 数字からも7のすごさについて述べたい。「エイト」なので8が取り上げられがちだが、彼らの人数の7も神秘性のある数字だ。『素晴らしき数学世界』というベストセラーを著書に持つ作家、アレックス・ベロスは、2011年、オンライン上で好きな数字の調査を行った。全世界の3万人から好きな数字を選んだもらった結果、1000にも及ぶ数字に投票がなされた。うち半数近くは1から10の間の数字を選んでおり、1位は「7」であったという。

第1位 7(得票率9.7%)
第2位 3(得票率7.5%)
第3位 8(得票率6.7%)
第4位 4(得票率5.6%)
第5位 5(得票率5.1%)

気づいた方もいるかもしれないが、この結果がなんとも関ジャニにまつわる数字ばかりだったので私はひどく感動した。1位に関ジャニの人数、2位に三馬鹿の人数、3位に関ジャニ「エイト」、4位に年下組の人数、である。ここまでくると自分ですらかなりこじつけだとは思うが、愛される数字で構成されているというのは素晴らしいことだ。

 7は1から10までの数字の中で均等に割り切ることも倍にすることもできない門外漢の数字である。ほかの数字とひとつのグループにくくることができない孤高さと特異性に人々は神秘を感じ、七福神七つの大罪七大天使、七大地獄など、聖書や古典にその数字を組み込んできたのかもしれない。

 「マジックナンバー7」という言葉を耳にしたことがある人もいるだろう。一度におぼえられる記憶項目の数は7前後というところから唱えられた言葉である。現在では4±1説の方が有力だそうだが、雑多な要因が入り込む余地のある環境では7±2が通用するのではと考察している方もいる。現実離れした純粋な脳の力の話ではなく、私たちの記憶力という観点で言えば、もしかしたら関ジャニの「7」は最大限に我々にアピールをかけられる数字なのではないかとも思う。

 

 

引用・参考文献

『日本人はなぜ「三」(3)が好きか? 三についてのウンチク』|RICOH Communication Club 経営に役立つ情報発信サイト

ダンボール徹底解明

認知的断想/Millerはマジカルナンバーを主張したか - 井関龍太のページ

なぜ人は「7」 という数字が好きなのか? : カラパイア

国語辞典からメンバーのすばるくん観について考える

前置き

感情というのは本来当人にしか分からない上に非常にデリケートな問題です。同じファンの間でも解釈違いもあるだろうと思ってちょっと躊躇していたのですが、正直もう面白いネタもぽんと出てこないし、二次元と違って絶対的な正解があるものだから、いっそ開き直って、一予想として彼らの感情について推測していきます。好き勝手書きたいがためのブログです。

続きを読む