じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

関ジャニメンバーの愛の形について考える

※今回は特に、個人が考えたことのメモのようなものです。全ての彼らの発言を網羅しているわけではありません。
 断定の表現は避けるよう努めていますが、解釈違い等気にされる方はご高覧お控えください。
 
「愛されるよりも 愛したい本気(マジ)で」
言わずと知れた、KinKi Kidsの名曲のワンフレーズを何度も唱えていると、「マジで……?」という想いに駆られます。愛は永遠のテーマと呼ばれるように、凡人にはなかなか答えが出せません。しかし、関ジャニならば、何と答えるだろう?どういったフレーズになるだろう?恋愛、友情問わず、彼らの愛の形ってどんなものだろう?KinKi Kidsのワンフレーズを独断と偏見で言い換えてみて、なぜそれがしっくりくると感じたのかな~と考えたことを書いてみました。


錦戸さん「愛したひとに愛されたい」

錦戸さんの発言を見ていると、愛情表現に抵抗を感じない人だなと思います。とてもストレートな愛の形です。手をつなぐのも、ペアルックも抵抗が無い。毎日好きって言いたいし、キスもしたい。愛されたいとかどうのこうのより、好き!がまずどかんと来るような気がしています。

錦「「あの人好きやー!」って騒ぐからね。基本的にひとめぼれなんやけど、一度好きになったら俺からは嫌いにならへん。好きな人の言葉はすべて「愛してる」に聞こえるし」(2007)

でも錦戸さんはとてもさみしがり屋です。メンバーを飲みに誘って断られしゅんとしている錦戸さんを見ていると胸がはりさけそうになります。錦戸さんは警戒心が強いですが、心を許した人にはデレデレになってしまうし、同じくらいの愛情を求めてしまうタイプな気がします。どっくんと呼んでほしい、ドラマも見てほしい、「俺のこと好きでしょ?」に対する返答が「嫌いやないけど」だったら「何で好きって言ってくれへんの?好きって言ってほしかったのに!」とすねてしまう。好きな人に求められたい欲求も、相当強いのではないかと推測します。



村上さん「自由に愛し、愛されたい」

村上さんは互いに束縛するのを嫌いそうだな~という発言をよく目にします。そりゃあ愛されたら嬉しい、愛すのも楽しい。でもあくまで一個人としての独立性を大事にしたい。好きになるのも、好かれるのも、他人に迷惑かけない範囲で、自分も相手も自由にしてこその愛だとと思っている気がします。共依存を愛とは呼びたくないように見えます。

村「盲目な恋愛はしたくない。入りこむとフラットでいられへんから。あからさまに顔に出よるからなぁ」(2007)

自分の価値観を大切にしてるし、相手の価値観も尊重したいから、こういう愛のかたちになりそうだと思いました。相手に求めるハードルは高いですが、相手にそれを強要することはなく、それに合った相手を選ぶだけの話かと思います。とはいえ、村上さんはふと思いつきのようにいろんなものを覆してしまう気もするので、とにもかくにも自由度の高い愛の形になりそうな気がします。


安田さん「愛したい」

どストレートですが、好かれたら嬉しいな、ありがたいな、くらいしか、他人からの愛を求めていない気がします。それがもともとそうだったのか、そういう風になろうとした結果なのかはわかりません。何番目かに愛してくださいっていうのも、人からの愛を強く要求できない(しない?)安田さんの雰囲気が出てる言い方だなと思います。なにかを愛することに幸せを感じられる人だと思うので、愛されたい欲望についていろいろ語るより、まずぱっと愛したいってはっきり言うタイプに見えます。愛します!と宣言してそのまま愛してくれそうです。

安「去年の自分の誕生日に「産んでくれてありがとう」と両親にメールを送りました。ありがとうと言うのは簡単だけど、何回言っても伝わりにくいものだから、何回でも何回でも言葉にするようにしています」(2009)

一番なにかを愛することに抵抗がない人だと思います。執着はあるのかないのか分かりませんが、新年会でどっきりだとわかったときのあの表情の推移をみる限り、表には出さない、というか出したくないんだろうなと思います。


大倉さん「愛されたい」

決して愛したくない訳じゃない。嫌いな人には嫌われたって構わないという気概も持ち合わせている。そうは思うのですが、「愛したい!」という欲求よりも、「え、愛されたら普通に嬉しいやん?」という素直な気持ちを持っていそうなところに焦点を当てました。好きな人はきちんと大事にするとは思うんです。しかし「この人を愛したい!」と思って誰かを愛する人とは違うかな~と思います。自然と好きになっていた、みたいな愛し方をするように見えます。男兄弟の中で育ったのもあり、理想は高いとは思いますが、相性さえ合えばそれは覆ってしまいそう。だから「愛する」ことを意識してるような「愛したい」という言葉は省きました。

倉「プロポーズは言われたいです」(2014)

倉「守ってあげたくなるけど、僕を甘えさせてくれる、そんな子が理想かも」(2006)

無理したり苦しんだりする愛なら、しない方がいいと思っていて、穏やかな、夢のある愛を求めているような気がします。


丸山さん「愛したり愛されたりしたい」

村上さんの「自由に愛し愛されたい」との違いは、村上さんは「俺が愛したい人がいる」&「俺を愛してくれる人がいる」という印象に対して、丸山さんは「愛する、愛される」が流動的なイメージなのです。丸山さんは同じ人を愛したいときもあれば、愛されたいときもある、そういう自由さが感じられます。さらに愛に関して「~したい、~してほしい」という願望が強そうにも見えました。

丸山隆平恋人の条件
・僕が大切にしたいと思える
・僕を誰よりも大切に思ってくれる(2006)

亭主関白とはちがうんですが、愛に関してのマイルールやこだわりを強く持っているのではないかというのが丸山さんの印象です。「俺が思う分には自由だし……」くらいのちいさな欲望が、心のなかにいっぱいある気がしました。恋の駆け引きも好きそうで、とはいえふとした瞬間にめんどくさくなったりもしそうで、曖昧な流動体のような好きの形なんじゃないかなと思ってこの言葉にしました。


横山さん「愛されるより愛したい」

まんまです。これが一番似合うのが横山さんかなと思ってます。ファンサ傾向を聞く限り、もらった愛に真摯に答えてくれる人だと思います。愛されたくないわけじゃない、ないんですが、横山さん自身は、他人の愛というものに振り回されたくないんじゃないかなと思います。愛されるのは嬉しいしありがたいけど、俺の愛は「俺が」決めるっていう亭主関白さ(?)が感じられます。

【恋に落ちたらどうなる?】
横「変わらない」(2007)

横「10代の頃から常に相手のことを考えてた。自分がめっちゃ好きやったとしても相手が自分以外と付き合った方が幸せになれるんちゃうかと思ったらどんなに好きだったとしても諦める」(2015)

愛されたから好きになるとも限らないし、束縛されるのも嫌い。でも愛した人は本当に大切にします。愛されるよりも、愛したいという比較の表現がぴったりくるなぁと思いました。


渋谷さん「怖いけど愛したいし愛されたい」

安田「渋やんは愛を与えてもらったら愛で返してくれる人。素直で嘘をつかない人」(2010)

渋「僕はフラットでいたくない。フラットを保とうとしてもムリ。失恋したらしたでええやん。その気持ちを音楽に生かせば。彼女ができたらあったかいHAPPYな詞を書けるやろうし」(2007)

渋谷さんは繊細だしひとりひとりにかける愛が重めなので、いろんなことを怖いと思いながら愛し愛されてると思います。愛して依存して傷ついてしまうことは怖いけど、愛することをやめたくないように見えます。傷ついても、ひっくるめて愛って良いなぁって思える人だと思うので、愛することも愛されることも本質的には好きだと思います。「俺にはお前らしかおらんねん」と言ったり、他の人のところに行ってしまうことにおびえたりするのが渋谷さんの根っこの性質なんだろうなと感じます。今はメンバーに対しての依存度はそこまでではないかもしれないけど、それは信頼が不安を上回ったからであって、基本的に渋谷さんの愛は不安と表裏一体なのではないかと思います。丸山さんや錦戸さんのように相手からぐいぐいこられた場合も少し引いてしまう傾向にあるような気もします。少し臆病で、でも誠実な愛なのかなと思います。



恋愛にしぼらず、対ファン、対メンバー、対友人、ぼんやりとした愛の形について考えました。時間がたって変化した部分もあるだろうし、わからないのが当たり前で、でもこうやって、好きな人が何考えているのかなと考える時間は楽しいです。他人から全く愛されたくない人がアイドルになるわけがないということが、ただ一つはっきりしていることかなと思います。今後も彼らの迷惑にならない範囲で好きを発信していけたらなぁと感じる今日この頃でした。


メンバー発言はエイトの愛言葉bot様を参考にさせていただきました。

あいうえお作文で村上さんの魅力を語る

村上さん、お誕生日おめでとうございました。

もうイフオアですね。先に羊の木のこと書いてなんだか後ろめたい気分でいっぱいですが、personもようやく手に入ったのでお誕生日のあいうえお作文を完成させたいと思います。personは村上さんのファンがインタビューしてるんじゃないかと思うくらい胸に響く内容で、村上さんが好きでよかったと思うものです。村上担はもちろん、それ以外の人にも読んでほしいです。(宣伝)

 

すぶひと

昔はすばるくんに友達紹介したりとかあったようですが、村上さんは誰かと誰かを繋ぐというより、自身が誰かと縁を結ぶ人だという気がしています。色んな人の懐に入るのが上手で、屈託のない笑顔で絶妙な間合いを読む。さりげないボディタッチは性別を問わずいろんな人の母性をくすぐります。(胸キュンも誘います。)そんな姿をみていて、天然の人たらしの才能を感じます。

村上さんはなついてくれます。けれども、こっちが拒絶したらすっと諦めてしまいそうで、もし私が友人だったら引き留めていたいという気持ちにからめとられてしまいそうだなと思います。いろんな人が気づいたら村上さんに蝶々結びのような縁を結ばれているんでしょうね。

 

んにんぐからじょぎんぐへ
村上さんは最近よく地面を見ているなという気がします。今の3分4分はデビュー当時の120くらい。今はおまけ。それでもあんな仕事の量をこなしてしまうので、仕事のできる男はかっこいいなとつくづく思います。2017年活躍した勢いのまま海外へ……?という話になっても、村上さんの2018年は地固めをすることが目標だし、ロックフェスの成功のあとも「メンバーの音楽への愛が深い分、自分は近づきすぎたら駄目だと思ってる」と言います。前へ前への関ジャニのカラーの中でも一番先頭を切り開いている仕事ぶりですが、その実、一番今いる場所に踏みとどまることの大切さをはっきり説いています。他のメンバーが走る姿を見たり、後ろにいるファンを見たりしながら、誰もやってないとこの地面の整備をやってくれてるのかなって思います。あれだけ売れてても、地面を見失わないところが、私の目にはサムライに映ります。ペースメーカーのような役割を果たしてくれる村上さんがいなかったらというのは想像しがたいですが、少なくとも関ジャニはもっと不安定なものだったのではないかと感じます。

 

みさまたちのとなりで
村上さんは、渋谷さんや横山さん、錦戸さんといった東京組の中では目立つ存在ではなかったのでしょう。「勝たれへん」「俺にはなにもない」「ええなぁ」と思っていた村上さんのコンプレックスは、くしゃくしゃに放っておかれたまままだ中にあるんでしょうか。それとももう古い手紙のようになってるんでしょうか。

どこかの占いでも言われていた気がしますが、村上さんはものすごく考えてで生きているようで、とても感覚で生きている人なのかなという印象があります。もちろん努力や経験に裏打ちされたものではありますが、その嗅覚的センスは、万人が磨けるものではありません。ときに周りに合わせ、ときに誰もしていないところをコツコツ積み上げてきた村上さん。私にとっては、そんな村上さんも神様みたいにすごい人なんだけどなぁと思います。(このへんに関してはpersonが答えをくれた気がします。見てください)

 

りょくあふれるひとみ
私はもう村上さんのトイプーの次にかわいい瞳が好きで好きで好きで。曇りの一つも見えない、綺麗な目が大好きです。あの瞳に見つめられたいというより、何かを真っ直ぐに見る村上さんを見ていたいなと思います。村上さんの目には信念が宿ってるみたいで、自分の信じるものを見ようとする気迫があると感じます。鈍感と言われるのも、そういう己の気持ちが真っ直ぐな故なのかなとも思います。周りを見てフォローすることができる気配りは、もともとのものと言うよりは、おっとりとしたヒナちゃんが自分が気づけなかったことを沢山考えて学んでいった努力の成果なんじゃないかと思ってます。


ょうねんにもどるとき
村上さんは仕事ができる男で、今やツッコミやMCにも慣れて、何事にも動じない貫禄がついてきました。それはそれでかっこよくて好きですが、私は村上さんが子どものようにはしゃいでる姿がたまらなく好きだったりします。松原.が好きな理由に、少年のまま関係性が変わらないというのがあります。渋谷さんに笑ってるとき、村上さんはただただ楽しそうに笑います。そうでなくても村上さんって表情がストレートで、笑うとき全力で笑います。愛想笑いとかニヤニヤした表情はほとんどみたことなくて、嬉しそうに楽しそうに笑うから、いろんな人がもっと笑わせたいなぁと思うんじゃないかと思います。英語、歴史、経済。36歳になっても小さな新しいものをひとつひとつ大事に拾って「面白いなぁ」とはしゃいでるとき、笑ってるとき。楽しそうな村上さんと、きりっとした普段とのギャップがとても好きです。 

 

らくをつくる
バラエティもトークも、MC次第で全然空気が変わってしまいます。村上さんはたくさんバラエティやラジオのMCをされていて、一般の幅広い世代に認知されています。娯楽とは心を慰め楽しむこと。つまり娯楽の時間とは癒しの時間です。関ジャニや共演者がのびのびと番組を作れる場を組み立ててくれる村上さんは、横山さんとはまた違った立場でエンターテイメントを『作る』人なんだなと思います。

英会話はともかく、村上さんの作る笑いはfunnyではなくinterestingの方なことが多い印象をうけます。だからこそ幅広い人と調和を産み出すことができて、他人を輝かせることができるんだと思います。(ただ、英会話の何も考えずにボケたおす村上さんがとても好きなので、そういった方面での活躍の機会が増えたらなぁと思ってはいます。)

 

私はピンでの村上さんの番組をほとんど見たことがないし、周りと村上さんについて話す機会もありませんでした。他の人がいうような扱いだとかは見ないようにしているので、そういう部分からくる尊さっていうのはよく分かってないと思います。

でもそうでなくても、村上さんはとても魅力的で、かっこよくて、いつもキラキラしています。村上さんにしかできないことが、たくさんあります。ファンのこと見てくれていて、それでも自分の道を見失わないで貫く村上さんがとても好きです。

同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。

 

【ネタバレ】羊の木感想

記憶力がないのですが、ツイッターで書き込んでいるだけではどうも消化不良にいたるので、映画を見たときの脳内をそのまんまメモしておこうと思いました。※()内は書き終えたあとにパンフレットを読んで共感したところです。

もともとミステリーのように淡々と事実を述べて、思考は読者に任せてくれるようなものが好きなので、羊の木はドツボジャンルでした。羊の木の前情報も受刑者で全員殺人犯ということくらいしか知らなかったので、もっと推理ものに近いかと思ってましたがとんでもない『空気で見る』映画でした。(『謎解きというストーリーの面白さで観客を引っ張ろうとしない』という脚本家さんの言葉を拝見して、まさにその空気を感じ取って見れたことを嬉しく思いました。)
私は記憶力がないので、物事を気持ちでしか記憶できないのですが、ありがたいことにこちらの映画の監督が「映画は俳優を見るもの」と言ってくださったので、そういう意味でも感じたことをぼんやりと書き留めたいと思いました。ストーリーの緻密さとか、構成とかについての分析は専門家にお任せすることにして、私はただただ『朝食べたすき焼きのような』羊の木初回上映のときに考えたことをそのまんま書こうと思います。

人について

ほんとに人の顔を覚えられないので北村一輝さんとか優香さん、松田龍平さんですら、スタッフロール見るまで気づかず、あ、道理で演技がうまいはず……と思ってました。でもそういう知識がなくても、演技がみなさん素晴らしいんですよ。まぁ、だいたい共演者の演技はうまいって言いますよね、そりゃあプロですもの。贔屓目も入っちゃいますもの。ただ本当に、今回の羊の木出演者は職人の集まりみたいで、個人的に大好きでした。なので、『もし知らない土地でもう一度1からやりなおすなら~』の答えはすごく『らしい』なと思いました。泥棒役者はものすごく暖かかったんです。家族みたいに、みんなのために良い演技をしたいと、一緒に良いものを作り上げたいという気持ちに溢れていました。舞台挨拶でもまるちゃんまるちゃんと、気をつかいあいながら、仕事を越えた関係を築いているのが伝わってきました。1つのケーキをみんなで作り上げたイメージです。では羊の木は?というと、私はGODI...VAののチョコレート詰め合わせみたいだなと感じました。一粒一粒に価値があって、決して混ざりあわない感じです。……伝わりますかこれ?(笑)
月末さんは無個性です。普通の人がヒーローになることもなく、ずっと当たり前を生きています。そんな普通の人が受刑者として名演をみせる人たちと同じケースに普通に存在している。実は全く奇妙なことだと思いますが、錦戸さんは違和感なくそこにいましたね。バンドシーンはアイドル漏れていましたが。
舞台挨拶では、共演者の皆さん、錦戸さんを上げるでもなく下げるでもなく、ただただ一人の俳優として見ているような印象を受けました。アイドルなのにもアイドルだからもありませんでした。逆に泥棒役者の空気はとても丸山さんらしかったです。どちらが良い悪いではなく、どちらの現場の関係性も『らしい』なぁと思いました。二人ともあんまり座長座長していないので、二人が空気を作ったというより、映画が二人に寄ってるのかもしれない……。
あとは、キャストの人間性が映画のキャラに非常に近いことに驚きました。監督や脚本家は人を見て映画を作り替えたんじゃないかなと思うくらいでした。(脚本家さんが『配役が具体化してからは俳優の持ち味に合わせて加えた台詞もかなりあります』とおっしゃっていて、そうだよね!とそわそわしました。)あれだけの名優さんだから、自分と全然違う役もさらりとこなす方だとは思うんですが、羊の木にある人間の生々しさは、そういうとこからきたのではないかなという気がします。

空気について

私は北陸の出身で、あと数ヵ月で戻る身なのですが、少し帰りたくなくなりましたね(笑) 錦戸さんの気持ちもわかります。日照時間が少なくて、閉鎖的な印象がつきまといます。
海鮮が苦手な錦戸さんに何回も「魚もうまいですし」って言わせてしまいましたが、私自身地元の説明のときに「魚と……魚がおいしいです」と言っているし、他の人からも「魚おいしいよね」しか言われません……ちょっと切なくなってしまいました。
しかし羊の木を撮るのに富山を選んだのは絶妙ですね。よく閉鎖的な村というと岐阜や長野の山村とかがとりあげられるかなと思うんですけどね。
最近は日照時間増えたみたいですが、相変わらず雨雷自体は多いのでどうしても暗いイメージになります。あのスコールのシーンは笑ってしまいました。あんな雨が無いとは言えないですね……。
話がそれましたが、私はこの映画、ずっとグレーの映画だと思いました。(錦戸さんが「グレーの濃度を大事にする監督」と言っているのを見てぞくぞくしました。)この映画は灰色の濃淡でできてる気がします。映画を、オチがない……?と思って見ているとフランス映画だったりするんでするけど、なんとなく羊の木もそういう曖昧模糊としたジャンルの映画なのかなという印象です。サスペンスとかだとまぁ終わりが後味悪くても、多少感情を揺さぶられる場面があるイメージなのに対し、羊の木は淡々としています。話は進んでるのにずっと後ろに何か得たいの知れないぼんやりとした不安があって、それが最後までいるんです。お前なんやったん……?という不思議な気持ちだけが残ります。でもその空気は押し付けがましくない。富山の気質にはそういう、ドライな部分とじめっとした部分があるので、映画の雰囲気は富山でしか出せなかったと思います。というのは少し地元愛が強すぎますかね?(笑)
さらに羊の木、背景がまぁ印象に残りません。私だけかもしれませんが……。ここも泥棒役者のカラフルな小道具とは対照的な気がします。世界観を含めて魅せた泥棒役者と、空気だけに留めて人を魅せた羊の木。羊の木では監督の『映画は俳優を見るもの』という指針が透けて見えたようでした。
羊の木、個人的には怖くはなかったです。最後の首締めのシーン、像が落ちてくるシーン、お父さんに何で惚れたのかわからない太田さん、淡々と埋め続ける市川さん、違和感のあるとこはひょっとしたらたくさんあるのかもしれないですけど。理論で割りきることのできないいろんなものを、灰色の空気で包んで、そういうこともあると受け入れさせる仕上がりだと思います。空気を味わう映画です。消化不良というより、味の薄くなったガム噛んでるみたいです。満足はしてるけどまだ味ある気がして噛んじゃいます。

錦戸さんについて

ドラマや映画自体にひかれないと作品を見ない人間なので、ウチの夫は~は半分くらいしか見ていませんでした……すみません錦戸さん……。しかし羊の木を見ているときにぼんやりと錦戸さんほんとにハリウッド行くかもなぁと思いました。事務所の力添えはあるかもしれませんが、行っても浮かない実力があるんじゃないかなぁ。あんなに音楽で個を出す錦戸さんが、あんなに顔の濃い錦戸さんが、演技ではさっと自分を消せるんです。器用だなぁと思います。私は視覚記憶が弱いのであれですが、また見返して、錦戸さんをじっくり味わいたいですね。錦戸さんの持つ焦燥感も雰囲気作りに一役買ってるのかもしれないし。

たぶん羊の木は誰とも共有できない、一方通行の映画なんだと思います。本当に泥棒役者と対照的です。もちろん泥棒役者も好きですが、私はこの絶妙なバランスの羊の木も映画としてとても好きですね。錦戸さんは人のアドバイスを聞かないと言っていましたが、空気から感じて自分で学びとることができる人だと思います。きっと一緒に仕事をした人たちからたくさんのことを感じたことでしょう。これからせごどんでも錦戸さんの演技が見られるのが楽しみです。

最後に、子どもがのろろの遊びをしてるシーンでjukeboxの24時間共同生活思い出した人はいませんか?これは共感がほしいです(笑)

(以下2018/2/4追記しました!)

羊の木の物語について

さてこちらわたしがツイッターのアカウントでフォローしてるしんさん (ネタバレアカウント:@nnnnshi_bare)、まこさん、あとナガさんという方の映画考察記事を参考にして、羊の木のよくわからないあいまいなものについて、しんさん巻き込んでこねくりまわした数時間の記録になります。夜中に……全然錦戸さん関係ないですけど……

私は昨日の感想文でぼんやりとした不安と言いましたが、それを「怖い」と感じる人はたくさんいます。こうやってまとめようとおもったのは、しんさんが言葉にしてつぶやいたその理由の一部に、わたしもはっとさせられたいうところから始まっています。羊の木は伏線の映画ではなく、隠れないでそこにずっとあるものを認識できるかできないかという映画なんじゃないかなと思います。霊感の有無みたいな感じで、気づける人と気づけない人がいるだけの映画です。私は何かあるなとは思いつつ、あんまり見ようとしないでスルーするタイプの人間でした。まぁそれも一種の楽しみ方だとは思います。

さて、改めて物語を考えてみようと思ったときに、私が一番意味がありそうだなと思ったのは羊の木の本数でした。漫画だと四本、映画だと五本。わざわざ変えた理由はなんだろうな、と不思議だったんです。
ぱっとでてきたのは受刑者の数でした。しかしこれは六なので、一人足りません。栗本さんが特殊な立ち位置(再生を象徴、皿の持ち主)なので除外されてるのかなと思ったのですが、しんさんが「羊の木の意味合い的に違う気がする」とおっしゃっていたので再考することに。「悪人でも更正はできるという羊の木→死んだらその輪から外れるのでは?」というしんさんの発想をもとに改めて見直しました。そもそも死んだのは何人でしょう。私は、まこさんの記事にあった舞台挨拶の監督コメント『宮腰が死んだと思いましたか?』という言葉がすごく印象的で。

そういえば特に宮腰さんの生死についての言及はなくて、実際死んだという場面はないなあと思ったわけです。じゃあ確実な杉山さんが除外者、残り五人が羊かな。と仮説をたてたところで今度はこちらの記事を発見しました。

いやいやもうこれでいいじゃんめっちゃ納得したわと思いました。読んでもらえばとても腑におちるであろう考察です。六人に床屋のおじちゃん(前科者)を加え、街になじもうとしてる五人が羊だという仮説、のろろさまが神の子であるという仮説、あ~~~そうか~~~くやしってなりました。 最後の宮腰さんの上に落ちてきたとことか、自らの命を犠牲にしての断罪、そして復活、街の人ののろろさまの扱いの移り変わりとか。確かに神様というよりキリストっぽいなぁ。偶像崇拝は禁止されてるからもしのろろさまが神様だったら像があることがおかしいので、そことも繋がります。……あ、でも見てはいけないということはやっぱり神様なんだろうか。とにかくはっとさせられ、もっと考えたくなる記事でした。ありがとうございます。

まあ、ここからあえて自分の意見を書くならば、私はやっぱり、監督さんのコメントが引っ掛かります。記事では宮腰さんと杉山さんが死んで、自分に適した世界へ行くことが救済だったと考察されているんですが、宮腰さんが死んだとは劇中では触れてません。あと、二人が崖から落ちると一人は必ず助かり、一人は沈んだまま死体もあがらないという言い方。生きるとも死ぬともつかない存在になる一人となった宮腰さんは果たして羊としてカウントされるのか?されないとしたらどういう扱いになるんでしょう。しかしパンフでは短期間で2名が命を落とし~って言ってるのでやっぱり死んでると考えていいのかな……ああわからない、わかりません……
でも、二人が死んだとして考えてみても別の視点でまた面白いんです。しんさんからの情報で一番ゾクゾクしたのは最後のエンディング、『死は終わりじゃない』についてで。綺麗なんですけどちょっと不気味な曲でしたよね。私はチャーリーと.チョコレート工場思い出しました。これ『殺人者の歌』というアルバムに収録された曲なんだそうです。
eiga.com
死は終わりじゃないと歌う人は、殺人者。
「死は終わりじゃない=死んだ二人も救われる」そんな綺麗なものでしょうか?
これは神様の救済という宗教的な美談でしょうか?
杉山さんを送った宮腰さんはもちろん殺人者ですけど、宮腰さんがもし亡くなってるならば、それを送った神様、もといのろろ様もそうなります。そんなことを考えていると神様ってなんだろうという気持ちになります。死んだら極楽浄土に行ける、という慈悲の心由来だとしても、人を殺すならば、神様は殺人者と何が違うんでしょうね。哲学C評価の自分にはわかりませんが……。

私はやっぱりこの映画は灰色の映画だと思うんです。神様の救済によって死んだ二人は別の形で救われるという綺麗なお話になりきらないグレーさが、まだありそうだなという気がします。社会の問題も人間も、いろんなことが当たり前に曖昧です。私がそう思いたいだけかもしれません(笑)
あとしんさんのお友だちの感想で、『最初に芽吹いたところに埋まっていたのが魚だとしたら、のろろの木が生えちゃうね』というのがあったそうなのですが、まさしくそうじゃないですか?最後にのろろさまは海から引き上げられて復活しているんですよ。さらに埋められた鳥を杉山さん、少し離れたとこに埋められた亀を宮腰さんと考えてみると……?いやはやもう一回見たいです……

これだけいろいろ言いましたが、監督は考えてほしくて見てほしいというより感じてほしいのかなという映画です。考えてくれてもいいよ、まぁ材料はあるだけだよ。謎解きメインじゃないから、ひょっとしたら演者も気づいてないのかもしれない。だから、この記事も正解でもなんでもない、楽しみかたのひとつです。私は邦画をあまり見ないし、映画も有名どころしか見ないので、検討違いのことを言ってるかもしれませんが……羊の木は『深い』んですけど、その深さが異質な映画なんだと思います。そしてこういうタイプの映画は珍しい気がしています。よく見るサスペンスよりも、ぼんやりしている気がしました。だからこそこれかなと思ったときのゾクゾクは半端なかったです。なのでみなさんパンフレットを買ってもっと深読みして、映画としてもこの羊の木を楽しんだらいいんじゃないかなあと思います。しかし深読みせず、ぼんやりとした気持ち悪さを抱えるのも正解の一つなのでしょうね。
以上、追記感想でした!

関ジャニの冠番組について考える

 人がジャニーズに興味を持つきっかけはなんだろうか。音楽、ドラマ、映画、ラジオ。何に魅力を感じるかによって、それは様々だと思う。しかし興味を持つ前に特典のついたオタク向けのCDを、ファンクラブに入っている人しか取れないコンサートのチケットを、手に入れる人はごく少数であるはずだ。(布教者によって手に入れる人もいるかもしれない)

  ジャニーズの界隈はとても閉鎖的である。入ってしまえば楽しい。自分が好きな人の魅力を同じようにわかり会える人たちがネット上にはたくさん存在する。ただ、その閉鎖的な世界に足を踏みいれるきっかけ自体は、私たちの日常と繋がっていることが多い。ジャニーズのグループからグループへ移る人たちは「男性アイドルにはまる自分」には抵抗がないかもしれない。しかし、そうではない私にとって、日常との繋がりなしにいきなりジャニーズにはまることは、至難の業だったと思う。

  現在関ジャニを冠し、関ジャニとして持っている地上波の番組は4つである。私たちはお金を払わずに毎週新しい彼らの姿を見られる時間が保証されている。あまりにも、特に箱推し勢にとっては、福利厚生が過ぎやしないだろうか。ローカル番組が多いことを考えてもお釣りがくるのじゃないだろうか。*1

  今回そんな4つの番組の特色や魅力について考えて、自身の幸せについて鑑みていこうと思う。

 

ジャニ勉

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 今年のジャニ勉のニュースはなんといっても大幅なリニューアルに尽きる。2007年5月2日の番組開始から10周年を迎えた第496回、ジャニ勉は番組スタイルをガラリと変えた。このとき500回記念八丈島はどうなると不安に駆られたが、案の定現在まで行われていない。*2

 「今」を肯定していくオタクとして生きていきたい私だが、正直に言えば旧ジャニ勉が好きだった。番組自体のゆるい雰囲気も、ミニコーナーのテロップやセットのダサさも、毎回異なる私服のような衣装も、日常のすぐそばにあるような温かい雰囲気も好きだった。ゲストが話している間も後ろで別の話に興じたり、じゃれあったりしている彼らの姿を、ストーカーさながらに探し回り、その自然な関係性に心躍らせた。(テロップ素材も豊富だった。)既に身内では安心安定のジャニ勉として定着していたものを壊すことに、手放しでは喜べなかったファンも多いかと思う。私は失って初めて日常の大切さを知った。

 新ジャニ勉には、指差し道、2/∞とオタク心くすぐるミニコーナーもあるが、肝心の本編はかたい会話になりがちな印象を受ける。「ゲストから学ぶ」ことがコンセプトだったはずのものを頑固道と切り捨て、主張を連発するがための圧の強さ、あまり興味をそそられない一般人の頑固道。ソファが仕切られているために、いちゃいちゃがとんでもないレアシーンになっていることも個人的には悲しい。身体の向きが近かっただけで一日中そのシーンを再生するなんて、旧ジャニ勉では考えられなかった。

 しかし彼らもといスタッフは番組一新という形に踏み切った。クロニクル、関ジャムといった番組が台頭する中で、ジャニ勉だけが長寿ローカル番組という地位でやっていくということも(少なくともしばらくは)できたはずである。けれども、2017年の関ジャニの挑戦性に見合うように、ジャニ勉も躍進目指してその地位を捨てた。私服もテロップもいちゃいちゃも捨てた。製作者側から見たジャニ勉の強みは『トーク』だった。彼らのゲストを不快にさせないトーク力、自分たちで会話を作る、回すという感覚は、ジャニ勉無しには育まれなかっただろう。関ジャムが音楽、クロニクルがバラエティ、というように、ジャニ勉はトークに的を絞ってスペシャリストになろうとした、もといしているのだと思う。十年も続いてきた番組、それでいて変化を恐れない番組。「前の方が良かった」と嘆く思いが皆無とは言えないが、来年再来年にもっと良い方向に進化していくことを見守っていきたいという心境である。

 

関ジャム

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 関ジャムは全国規模で放送されている番組だ。日曜の深夜というサザエさん症候群もびっくりの時間帯だが、それでも夜な夜なオタクが引き寄せられる魅惑の番組である。

 関ジャムの2017年ニュースはなんといっても番組名を冠したアルバム発売とツアー開催だ。私は音楽を知らない。ピアノを習っては発表会が嫌で辞めるということを幼少時に3回繰り返して以来、楽器というものに触れていないし、曲解説の文章も「……なんかわからないけど良い曲なんだな!楽しみ!!」というハッピーな思考回路で読んでいる。そういう私にとって関ジャムは世界一受けたい授業の音楽の時間だ。音楽の専門知識はなにもないけど、それを馬鹿された気分を味わったことが一度もない。ジャンルは幅広く、出ているゲストも楽しそうに嬉しそうに話をしていて、音楽の幸せを体現していると思う。

 ジャムセッションほど関ジャニのファンは恵まれていると実感する瞬間はない。あのアーティストの歌を歌ってほしい、あのアーティストとコラボしてほしい、そんな要望は関ジャニファンにとって十分に現実たりうることだ。夢の時間が毎週やってくることが冷静に考えると異常で、その事実を見つめなおす時、私は毎回胸の奥が熱くなってくる。ジャムセッションは、音楽に対する関ジャニの瞬発力と応用力の高さで成立している。あんなに他の仕事をこなしながら、他人の曲を弾けるようになって、彼らは私たちに夢を魅せてくれる。そういう彼らを見ていると翌日の月曜日がナンボのもんじゃいという気になってくるのだ。*3

 コラボだけでなく、楽曲提供が盛んに行われた今年。アルバムジャムは本当に豪華であった。関ジャニの人柄や姿が映るような曲が多く、ジャムでの人のつながりを感じさせた。鳶谷さんの曲DO NAIや、岡崎体育さんのえげつないはまさにそういう想いに応えた曲だと思う。この番組が無ければ今年のメトロックへの参加もバンドへの高い評価もなかっただろう。関ジャニの音楽は今や関ジャム無くして語れない。

 彼らがメトロックでアイドルバンドとしてのNOROSHIをあげたとき、「アイドルなのに」という評価が不満だという言葉が渋谷さんから漏れた。しかしジャムで共演した人たちは確実に「アイドルなのに」というところから、「アイドル」自体を尊敬するようになっていく。アイドルのすごさ、音楽のプロのすごさ、互いに対するリスペクトが、2018年も美しい形で連なってジャムになっていけばいいと思う。

 

クロニクル

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 ギャラクシー賞の受賞に、特典としての撮り合いメイキング。SNSでのパスポート取りたいんです。今年もクロニクルは躍進した。一般人が何かを好きになる時、やっぱりバラエティがその普遍性から受け入れやすいのではないかと思う。何を隠そう*4、私自身が関パニというバラエティで関ジャニにハマったオタクである。

 私が特に好きなのは、英会話伝言ゲーム、いきなりドッヂ、イケメンカメラ目線スポーツ、VSプロスポーツ選手等々、まあだいたい全員出ている企画なのだが、一番好きなのが「なんとか成立させろ記者会見」である。即興で応じなければならないというところは、トガキに通ずるものがあるが、こちらはトガキすら自分たちで作らなければいけないようなものである。彼らは面白い。単純にドッヂボールや伝言ゲームをやっているだけで自然な笑いが生まれる。しかし、なんとか成立させろは限られた条件下で、瞬時に、自分たちの組み立てで、面白いことを言わなければならない、と実は多くのことを要求されている点で、別角度から関ジャニのお手並みが拝見できる企画といってもよい。これを2017年に一度もやらなかったことに対し私は本当に歯ぎしりのする思いである。

 そんな面白い企画に溢れたクロニクルであるが、彼らはただ面白いだけではなく、面白いを「作る」こともできるというのを証明したのがトガキクロニクルである。プロデューサーインタビューを読んだ時に、横山さんによるジャム特典の没企画救済措置であったことを知り、セルフプロデュース力の高さに脱帽した。彼のプロデュース力は神番組クロニクルでも生きている。ファンが購入する撮り合いメイキングは、ファンが大好きな「わちゃわちゃ」がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。まさに適材適所の采配で、横山さん並びにスタッフさんの判断には敬服することしきりであった。

 さて、クロニクルは企画を山のように生み出す。つまり新企画のスパンがとても短い。何を放送するかは一時的な視聴率や反響よりも、何か別のものを優先している気がする。(でなければ成立させろ記者会見が放送されない理由が分からない。)これをやったら面白いのではないかという発想と、新しい魅力をというエネルギーに溢れていて、関ジャニと共に今を駆け抜けている。そのため私は、なんとか成立させろの再演を心待ちにしている一方で、この勢いのまま、いけるとこまでアイデアの弾を撃ち尽くしてほしいとも思っているのである。

 

ペコジャニ

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 この三大勢力に秋から割って入ったのがペコジャニである。関ジャニじゃなくてもいいのではと疑問が浮かぶ番組になると思っていた視聴者の予想を見事に裏切り、とんでもないダークホースと化している。

 まず食べ物で食欲が刺激されるし、(語弊があるかもしれないが)かわいいかっこいい自担に性欲が刺激される。人間は三大欲求のうち二つが満たされると幸せと感じるので、もうこの辺で既に本能に訴えかけているようなものであり、ずるいとしか言いようがない。第6回が放送されている今現在、錦戸さんが好きそうなものしか出てきておらず、このままいくと錦戸さんがレギュラーから外れるか番組が終わるかの選択を迫られるのではないかという懸念はある。

  時間帯も関ジャムをひきずって始まる月曜日のオアシスだ。そしてなんといっても全国地上波、22時開始。実際大抵のファンはおなかいっぱいでこの番組を見ることになるので心穏やかに美しいかわいいかっこいい顔を拝めるし、外出組が十分に帰宅できる時間だし、終わっても23時と寝るのにちょうどいい。茶の間やTLでわいわいと実況しながらテレビを見る醍醐味を存分に味わえる温かさがある。

 クロニクルもそうだが、ペコジャニもフットワークが軽い。特番では横山さん一人だったプレゼンターが、毎回二人で食材探しにロケに行くという形に改変にした。さらに五回にしてなんとメンバー全員が食べられるにも関わらず、ゲストが食べられないという破天荒な展開を見せている。台本があるかどうかはどうでもいい。台本を感じさせない型破りな姿を見せてくれるのが嬉しいのだ。私は毎日彼らに驚いていたい。

 ペコジャニは食べられない視聴者のためにもリアクションでそのおいしそうな雰囲気を出さなければならない。実際、彼らは食べ物に「うわ~~~~っ」と興奮するし、私は彼らの表情に「うわ~~~~っ」と興奮する。食べられなければ彼らは「く~~~~~っ」と悔しがるし、私も彼らが食べられなかったことに「く~~~~~っ」と悔しがる。番組の狙いとは若干ずれているかもしれないが、理由はともかく、私は関ジャニと同じ表情を浮かべながら番組を楽しんでいる。そういう一体感もまたペコジャニならではかもしれない。

 


訂正:『第一回の一般人投票を、なんの予告もなく第二回ではさらりとやめていた。』と記載していましたが、初回のみということで予告はあったようです。ご指摘ありがとうございました!

 

 

  ドラマや映画、舞台はもちろん関ジャニに気づくきっかけたりうるが、公開・放送の期間が数ヵ月と短いのがネックである。音楽特番やゲスト出演番組もあるが、こちらも単発で、アイドル性を売りにしているCDの購入やコンサートの需要に一気に向かうかと言われると多少疑問が残る。

  認知の向上、少しの興味の熱量を引きあげ、ファンに突き落とすマーケティングとして、なんといっても現在のファンを飽きさせない手段として、地上波の番組に恵まれていることをありがたく思う。今年はビッグニュースがたくさんあり、いろんな活躍が見られたが、それを支えて能力を育て続けているのが冠番組である。関ジャニの複数人での面白さは以前の記事でも取り上げたが、7人という人数でかなりの多忙にもかかわらず、これだけのグループとしての番組を持っていることが改めてありがたいなと感じた次第だ。

 私たちの日常にさりげなく入り込んでいる彼らの姿に「あ、いいな」の瞬間が訪れる。来年もそんな人がたくさん生まれますように。

 

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素材:遊戯王カードリスト・評価・オリカ(https://yugioh-list.com/

ロゴ:関西テレビテレビ朝日、フジテレビ、TBS

よりお借りしました。(敬称略)

*1:そもそも払っていない

*2:まだ終わってないニャー!

*3:ただし見ている間に限る

*4:むしろ全力でアピールしてきた

あいうえお作文で丸山さんの魅力を語る

丸山さん、34歳のお誕生日おめでとうございます。泥棒役者ラッシュでかっこよくてかわいい丸山さんに浮かされている今、冷静に文章を書けずに何度も手が止まりつつ、あいうえお作文で丸山さんの好きなところを書きました。

るちなうたごえ

わたしは(少なくとも今までに聞いたことのある)男性の声の中で、丸山さんの声が一番好きです。世界で一番好きです。関ジャニの歌を初めて聞いたとき、この声を出してる人は誰だろうってすごく知りたくなったのが丸山さんです。丸山さんの声には、感情が載っています。ジャムレディの4フレーズに、あれだけキャラクター性と感情を色付けられる人を私は知りません。コメディアンは演技がうまいと言われます。丸山さんも、コメディアン的な性質を持っているから、声だけで歌に感情をのせられるのかもしれません。いろんな意見もあるとは思うのですが、私は関ジャニのメンバーと歌っている時の丸山さんの声が好きです。個性豊かなメンバーの中で、はっとさせられるほど透明感があって柔らかくて、丸山さんの声の美しさが一人の時より際立つ気がします。

っくすのぎゃっぷ

ただでさえギャップの多い人ですが、かっこいいとかわいいでこんなに表情が違うのはすごいと思います。そもそも丸山さんは骨格もしっかりしていて、スタイルもよく、身長もあり、男性としての魅力に溢れています。だからこそ、「かわいい丸山さん」を作ってるのは表情の部分が大きい気がします。デビュー直後くらいの丸山さんを見ているとクールでしゅっとした出で立ちで、今ほど笑っている場面をお見かけしません。今、これだけかわいいと言われる丸山さんは、しぐさや表情からくる、丸山さんの努力の賜物なんだと思います。そして、そのかわいい丸山さんを脱いだ時の表情に、私はただひたすらかっこいいしか言えなくなってしまいます。

さしいひとたらし

みたらしだなぁと思います。丸山さんは、安田さんのような「客観的に些細な現象によく気が付くタイプ」ではないかもしれませんが、人のことを考えるのが好きなのだと思います。対人感情といった点では、良い面悪い面いろんなところに気づいてしまうのではないでしょうか。
この人はどういう人なんだろう、こうしたら喜ぶだろうか、そういったことをワクワクしながら考えられるから、皆を楽しませて笑顔にさせるのが上手なのだと感じます。丸山さんの優しさは、じっと寄り添う優しさでも、強引に背中を押す優しさでもありません。北風と太陽の太陽のように輝いて、暖めてくれてて、自発的に元気を出させるような、剛と柔の中間のような優しさです。その優しさにふわっと引き寄せられて、みんな丸山さんが大好きになってしまうし、そのままそばにいて、甘えたくなってしまうのだと思います。

くつどおりにいかないじぶんのいばしょ

丸山さんは理想が高いのだと思います。そしてできない自分に気づいたとき、立ち止まったり逃げたりしてしまいそうになる。丸山さんは「今は冷静になった」とよくおっしゃいますが、冷静じゃない瞬間が0になったわけではないと思っています。いつも「仕方ない!」と前向きにとらえられるわけじゃないところが、とても人間らしくて、私は好きです。丸山さんは他人に対してポジティブになれる(良いところを見つけるのがすごく上手な)人です。一転、自分のこととなるとネガティブ。それを知っているのが、本番に弱いのも顔が赤くなるのも受け入れてくれるメンバーなんだと思います。丸山さんはきっと一人で頑張り続けることの難しさを分かっています。一人の仕事が留学で、そこから帰ろうと思えるのが、関ジャニのグループメンバーのもとなのかなと思うと、ファンとしてもとても嬉しいです。

ずれないせかい

大倉さんが11/26ラジオにて丸山さんのことを「孤独で泣き虫で寂しがり屋」と評していました。孤独で寂しがり屋というのは、丸山さんの譲れない世界故なのかなぁと思ったりします。アイドル丸山さんにはたくさん受け入れの度量があっても、人間丸山さんには頑固道がたくさんあります。人間丸山さんは臆病で繊細で、自分の世界に人を入れることにすごく慎重だと思います。一方で丸山さんはきっと人が好きなので、アイドル丸山隆平との境目で孤独を感じてしまうのかもしれません。あれだけアイドルを貫こうとしている丸山さんだから、こだわりを言わないことも選択できたでしょう。それでも、めんどくさいと取られそうなこだわりをぽろぽろと言ってしまうのは、心のどこかで人間丸山隆平を受け入れてほしいという小さな願望のように感じたりします。

れしいたのしいだいすき

ベースが嫌いだった丸山さん、ベースを好きになった丸山さん。楽しくなって、ベースが好きになって誉められて嬉しくなっていく過程を見られなかったのは少し残念ですが、今丸山さんがベースと楽しく向き合えていること、何よりうれしく思います。丸山さんはとても人間らしいです。人間好きなことは結構頑張れますが、好きになる前に頑張るのはとても難しいです。そう思うと、「嫌いだったけど最近好きになった」という単純なエピソードの根に、丸山さんの努力や意地のようなものがはっているように感じます。丸山さんは、生き残るため迷惑をかけないためとはいえ、嫌いなものを十年間も、他のアイドルとしての仕事と並行して続けてきました。丸山さんがこれからもっとたくさんの音楽の幸せや楽しみと出会えるよう祈っています。

んなひとをグループに

エンターテイナーとして、皆を笑わせて盛り上げて、変な気持ちにさせるのが好きな人。変な人と思われていたい人。本来の丸山さんの性質を慮っていながら、それでも丸山さんの作る面白さや楽しい雰囲気を欲するメンバーの想いが、丸山さんはとても嬉しいのではないかなと思うのです。メンバーといるときに恐れずに予定調和を乱すことができるのは、きっとメンバーへの信頼感があるからです。楽屋で黙ってるときも、他のメンバーが楽しい雰囲気を作ってくれます。ただ、丸山さんは、それをありがたく受け止める一方で、焦ったりもしているかもしれません。安田さんの面白さに嫉妬したりもしているかもしれません。「変なヤツ」は丸山さんが譲りたくない、努力で築いたポジションだから、疲れてふと休んでも、すぐがむしゃらにギャグを頑張るんだろうなと思います。そんな一生懸命なところが、メンバーも私も大好きで、無理をさせているのではないかと思いながらも変な丸山さんを求めてしまうのです。

つもあいどるで

いつもアイドルでいる、というよりいたい、を感じるのが丸山さん。丸山さんは、器用ではないし、自分でも凡人だと言っていて、だからこそ丸山さんの作り上げたアイドル丸山隆平は魅力的なんだと思います。私は丸山さんの沼『おちゃらけたところとかっこいいところのギャップ』は、『アイドル丸山さんと人間丸山さんのギャップ』に言い換えることもできると思います。発言も行動もいつも私たちに夢を見せてくれる丸山さんが、完璧じゃないからこそ見せてしまう人間の弱さのようなものに、距離がグッと縮まりそうになり、その弱さを隠してアイドルを貫く丸山さんの姿に、やっぱり遠い人だなぁと感じたりします。


あなたと僕と丸山隆平。人間丸山さんが努力して作った信念の結晶であるアイドル丸山さんを、私はまた1年好きになっていくのではないかなと思います。
同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。

あいうえお作文で錦戸さんの魅力を語る

錦戸さん33歳のお誕生日おめでとうございます。東京でTokyoholicを聞きながら錦戸さんに想いを馳せました。わたしが唯一、ずっと前から知っていた関ジャニメンバー錦戸さん、関ジャニを好きになって初めて発見した好きなところを、あいうえお作文で語りたいと思います。

じみでるいろけ

錦戸さんはクールに見られがちな端正なお顔をしています。色気のあるタレ目とほくろで艶っぽさでいえばナンバーワンな気がします。大倉さんがeightのイケメン枠は錦戸さんだけだと言っていました。笑いに走りがちな関ジャニのなかで、誰が見てもかっこいい正統派のイケメン枠にいるのが錦戸さんですし、自覚があるのも素敵です。かっこよくいたいという姿勢に見合うかっこよさをもっています。その分なかみのかわいさも際立つなと思います。

っちりしごとをまっとうするということ

錦戸さんはほんとうに真面目でまっすぐです。世間一般のモラルというより、自分でのしっかりした芯を持っていますね。
仕事のできない夫もDV男も演じられて、作詞作曲ダンス歌ギター、とにかく錦戸さんは器用です。仕事ができないドラマの際、錦戸さんの演技に関して、「泣く演技がありますがどうやって泣いているのですか?」という質問に対して「特になにもしていません。泣くときになったら泣けます。別になにかを想像したりはしません」といったニュアンスのことを言っていたような気がします。錦戸さんの演技は、錦戸亮として、仕事と役に「向かい合った」演技だと思います。プレッシャーを受け止める強い精神を持っていますし、任されたことはきっちりこなします。一方でバンドや作詞作曲するとなったら「やりたい」を前面に押し出した錦戸節を溢れさせます。求められてること、やりたいこと、それぞれ適切なところで発揮できるよう、己を使い分けられる、本当に仕事のできる男です。

んよくにうえをめざす

憧れを越えるためにもサインをもらわないと言っていた大倉くん。それに対し、錦戸さんは尊敬と悔しさを混在した形で人を見ている気がします。個人の好き嫌いで物事の本質が見えなくなりがちな人が多い中、錦戸さんはきちんとその人の一面一面を分析しているので、複数の感情が混在していながらもブレないという状態になるのかなと感じています。
ファンの目からはもちろん、メンバーから見ても錦戸さんはエースです。それでも錦戸さんはいつも「悔しい」と言います。「あ~悔しい。がんばろ。」と言います。
錦戸さんは比較をします。同じ業界、同じ歳、同じメンバー、いろんな同じ「なのに」に、劣等感と悔しさを滲ませています。
錦戸さんはとても理想の高い方です。しかし錦戸さんの持っている劣等感は、卑屈さのない、次に繋がる劣等感です。三馬鹿が語るマイナス美学は彼の中にないだろうけど、それが錦戸さんの美学なんだと思います。

ろんのつかいかた

錦戸さんは人より抜きん出て頭の回転が速いから、遅い人の思考回路が理解できないのかもしれない……と思う表情をしていることがあります。でもそんな風に眉間に皺を寄せているときは、だいたいその人のことを一生懸命理解しようとしてるんだろうと思います。錦戸さんは理論で割りきってるように見えて、好きという感情を原動力にその頭の回転の早さを使っているような気がします。そういう論理的思考の使い方がすごく素敵だなと思います。
たとえば丸山さんが「やきそば マヨネーズ」と刺繍されたタオルをプレゼントされたとき、事実としては「へたっぴな(もとい味のある)刺繍のされたタオルをもらった」なんですけど、錦戸さんは「これを作るのは難しい」「自分が好きだからこのワードを選んでくれた」「だから嬉しい」と、背景を大切にした論理を瞬時に展開してたんじゃないかと思うんです。錦戸さんが「人間にしか作れない理論を芯にしている」というところに、温かさが感じられて、好きだなぁと感じます。

りいいものを

錦戸さんは頑固というイメージもあるかもしれません。
そういう一面もあるとは思うのですが、実際の錦戸さんとは少しずれるのかなと思います。錦戸さんは納得したことじゃないとやりたくないというだけで、それが自分の意見か否かにはこだわっていないと思います。よりいいもののためなら自分の意見を曲げることを厭わない方です。安田さんに怒られたことも、横山さんとけんかしたことも、錦戸さんの中で納得したことだから、全くマイナスの感情がないように見えます。 「これはいい」「これはわるい」の論理的ノートを頭の中に持っているけれど、刺激にともなって修正できる柔軟さがあるところを尊敬しています。

そがつけない

あんなに演技が上手なのに、錦戸さんという人間の表情は嘘がつけないんだなぁと感じます。
嫌なものは嫌だし、おいしくないものはおいしくない。芸能界という場でそんな素直さを出せるのも、「そんな素直なところが亮(ちゃん)のいいところやな」ってフォローしてくれるメンバーの存在が大きいのかなと思います。いろんなことを考えてしまって、なかなか絡みにいけないけれど、錦戸さんは嘘がつけない、つこうともしない自分を認めて受け入れてくれるメンバーが大好きなんだなと、テレビの端々に映るしぐさから感じますし、よかったなぁと思います。


錦戸さんは感情も合理性も大切にした、自分だけの芯を持っています。プレッシャーを越えて常に先頭に立とうとする錦戸さんの強さがとても好きです。また一年、情熱的で貪欲な錦戸さんの背中を追いかけて、素敵な面を見つけていきたいと思います。
同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。

※『し』を消してしまったことに気づいたのですが、再構成するのもなんなのでこのままにしておきます……ちなみに『し』は『しょうねんのこころ』とかにしようと思ってました……

関パニ ありそうな言葉検索しまSHOWを再検証する

背景

関パニ大好きオタクとして、以前に記事は上げました。(勝手にMVP)
しかし、まだまだわたしは関パニを掘り下げたい。何かいいネタは無いだろうか。私にもできる何かを考えた結果、
関パニ ありそうな言葉検索しまSHOWを再検証する。
という研究テーマでひとつやってみようかと思いました。
十年近くの時を経て、いったいどうなっているのか。
関パニ効果はあったのだろうか。

歌詞のように真面目にふざけた記事を書きたかったのですが、ちょっといろいろあったので、今回は「うまくいかなかった」ことを踏まえて楽しんでいただきたいと思います。
手法は
Yahoo検索エンジン(またはGoogle、同じ検索エンジンを使用しているため)にて
「完全一致」キーワードにて検索し、ヒット件数を調査する。

としています。他にも検索してる人をちらほら見ましたが、この「完全一致」がポイントです。これを忘れると普通にたくさんヒットしてしまいます。

検証結果

①お題「定食」目標1万件

村上さん「海外の定食」

6件→8件
少し増えました。目標は1万件なのであと数百年かかりそうです。

渋谷さん「定食生活」

約290件→約1040件
もっとおすすめしたい!と言っていた渋谷さんの声が届いた可能性があります。

大倉さん「大阪定食」

約12500件→約32200件
遠のきました。

丸山さん「弱肉定食」

約1330件→約1180件
減りました。

横山さん「D定食」

約5730件→約6810件
こちらはいい感じです。

錦戸さん「美味い定食!」

約22400件→約17400件
こちらも減りました。しかし目標にはより近くなっています。
検索結果を見る限り、ビックリマークの有無では100件しか変わらず、どういう検索になっているのか不明ですが、ビックリマークの有無はカウントされていないのではないかと推測しています。

安田さん「激高定食」

0件→約720件
ここで何かがおかしいことに気づきます。はて、激高定食がそんな急激に増えるだろうか?疑問に思って調べてみた結果、

数値が変化する件に関しては、実は、日本語版の公式ヘルプフォーラムでグーグル社員のナツコさんがカッツ氏よりも詳しく説明している。

  • 検索結果の件数は概算で、おおよその数字を素早く表示している
  • 検索結果数をおおよその件数に留めることでより迅速に検索結果ページを表示できる
  • 検索結果の次のページに行ったり、特定のフレーズを検索したり、期間指定するなど条件を厳しくして検索結果を絞ったりしていくと、検索エンジンがさらに正確な件数を出そうとより深くデータを読み込んでいき、その結果として検索結果数が増える・減るなどする場合がある
  • 件数の目安は検索を利用する場所などによっても異なる場合がある


合計ヒット数の表示はあくまでも目安であって、あまり深くこだわらないほうがいいということだ。

ちなみにこの件数はその検索ワードが含まれるページ(コンテンツ)の数であって、多いからといって必ずしも競争度が激しいとは言えない。「◯件中1位!」というセールストークを使うSEO業者をよく見かけるが、これは実際にはなんのPRにもなっていない。むしろ検索エンジンのことをよくわかっていない、頼りないSEO業者として筆者には映ってしまう。


検索結果の「全ヒット件数」表示が1ページ目と2ページ目で違う? | 海外&国内SEO情報ウォッチ | Web担当者Forumより一部抜粋)

なんということでしょう。検証以前の問題です。数年の時を経て、根本を否定される「ありそうな言葉検索しまSHOW」。ヒット件数がそんなに不確かなものだったということを、みなさんはご存知でしたか。私はあまりにも無邪気にツールを信用していました。さて、ここでやめるという選択肢もあるのですが、研究なんてそんなものです。わくわくして始めたことの99.9%はうまくいかないのです。失敗した記録も後世に残し、二度と同じ過ちを繰り返す人がいないようにするのもまた一つの研究であると思い直して、今回はこのまま強行突破することとしました。(落ち込みはしました)

この安田さんの結果は検索結果の次のページに進んでいくと (以下この手法を「再検討」とします)、最終的に22件であることが判明しました。しかしいずれにせよ大躍進です。もちろん関パニによる増加が多いのですが、純粋に食べログ等のページにも存在していました。安田さんが救われて良かったなと思います。

なお、安田さんが罰ゲームを受ける直前、「激安やったらよかったんかな~」と言っていたのでそちらを検証した結果、約9870件というニアピン数値が出ました。恐らく7年前でも、激安の方がよかったものと推測します。

お題「事件」目標1000件

村上さん「カツラ事件」

約653件→約34000件
これは7年の間に、テレビにて実際に事件が起こってしまったためと推測されます。
気になる方は調べてください。

渋谷さん「シャンプー事件」

約10800件→約7270件
もっとみんなでシャンプー事件について語りましょう。

大倉さん「その事件解決します」

2件→約5780件
再検討の結果、約17件でした。ちょっと解決してくれる人が増えました。

丸山さん「もう事件」

約60100件→約31800件
近づいてます。

錦戸さん「百億円事件」

約114件→約2250件
再検討の結果、12件となりました。ここでさらに「関パニスタッフもこの仕組みを知らずに、単純に出た値を表示していたのでは……?」という疑いが強まります。インターネットがさらに広まり、増えるならまだしもこんなにがくんと減るものでしょうか。もう何と何を比較していいのかわからなくなりながらも、検証を続けます。

安田さん「時効事件」

約27800件→約5130件
時効になって消えてしまったページがあるのでしょうか。

横山さん「ふがいない事件」

15件→約110件
再検討の結果、約32件となりました。若干ふがいなさが強まりました。

お題「アイドル」目標1000件

村上さん「アイドル風」

約238000件→約355000件
このくらいはありそうですね。

渋谷さん「剛毛アイドル」

181件→約5070 件
なんとこの数値、セーフサーチをONにすると0件となります。

セーフサーチ設定を使用すると、Google で露骨な表現(ポルノなど)を含む検索結果をフィルタリングできます。セーフサーチは 100% 正確なものではありませんが、露骨な表現のコンテンツを除外できます。

大倉さん「アイドルマッサージ」

約27300件→約49500 件
こちらもセーフサーチをONにすると0件となります。

丸山さん「ブラジルのアイドル」

約220件→約75500件
いくらアイドル全盛期を経たとはいえおかしい数値だと思いまして、再検討をした結果、約51件でした。

錦戸さん「ブサイクアイドル」

約633件→約7470件
再検討の結果、約136件でした。あんなに誉められていた錦戸さんのHIT件数をぼろぼろに検証しすぎて胸が痛いです。

安田さん「愛$」

約1560000000件→約881000000件
$を認識してないので異常な数値になるのだと思います。

横山さん「ふがいないアイドル」

0件→約371件
再検討の結果、約94件でした。大躍進です。これならば罰ゲームは免れていましたね。

お題「旅行」目標100件

村上さん「秘密の旅行記」

約14件→約14件
HIT件数の変わらない、ただ一つの旅行記です。

渋谷さん「鉄人旅行」

約379件→約1900件
再検討の結果、約66件でした。正確なヒット件数であればニアピンでしたね。

大倉さん「みんなの旅行体験教えて」

0件→約343件
再検討の結果、約36件でした。世界が大倉さんに優しくなりました。

丸山さん「カピバラ旅行記」

約9件→約761件
再検討の結果、約33件でした。じわじわ増えています。

錦戸さん「旅行気分が抜けなくて」

約81件→約1600件
再検討の結果、約43件でした。優秀な値をキープしています。

安田さん「子作り旅行」

13600件→約14500件
再検討の結果、約264件でした。根強い人気です。

横山さん「ふがいない旅行」

1件→約211件
再検討の結果、約44件でした。


正確なデータであれば、意外と良い勝負になったのではないかと推測します。スタッフさんは関ジャニにごめんなさいしてほしいです。

付録

おまけです。数々のパワーワード関ジャニの人気を反映していると推察し、一部抜粋して調べてみました。

「u字の水槽」

約28100件

「パスポート取りたいんです」(「パスポートとりたいんです」含む)

約15160件

「リップスティックリームください」

約487件

「吹きさらしロープウェイ」

約547件

パスポートは一般的にも使われる可能性がありますが、「u字の水槽」はこの関パニが最初で最後なのではないでしょうか。
ちなみに、

「最高で最強の関ジャニ∞

約28600件

なんと「u字の水槽」がこの代名詞にとって代わろうとしていることが判明しました。
エイタ―の皆様には御留意頂きたく思います。