じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

あいうえお作文で大倉さんの魅力を語る

大倉くん33歳の誕生日おめでとうございます。なぜか大倉くんは大倉くんと呼んでしまいがちです。パブリックイメージの何倍も強くてしっかりしている大倉くんの魅力を、少しでも言葉にできたらいいなと思います。

おきなくちでわらって

大倉くんのゲラなところ、気持ちいい『あっはっはっはっ』て笑い、私はとっても素敵だと思います。アイドルスマイルも素敵だけど、その大人びた端正な顔が子どもみたいに笑うところが私は大好きです。関ジャニが滑ったとき、救ってくれるのは大倉くんの笑いです。私がぽかーんとしてるときに、関ジャニの笑いに巻き込んでくれるのも大倉くんの笑いです。腹黒キャラを確立したのに誰よりも素直に笑っちゃう、そんな大倉くんが愛しいです。大倉くんが笑ってくれるから、丸山さんやすばるくんは嬉しそうにギャグをやれるんじゃないかなぁと思います。

くにするとこしないとこ

大倉くんは普段はのんびりしているように見えますが、抜いていい所、ダメな所、をきっちり分かっている人だと思います。そして自身を甘やかしているときでも、その事実を冷静に認識してる人だと思います。自分の悪いところを認識できる人は多いと思うのですが、「俺は駄目なやつだ」で立ち止まってしまう人の方が大半なのではないかと思います。けれども、周りがそうであっても大倉くんは流されない。「辞めていく人たちはみんな何かを言い訳にして辞めていった」と淡々と語っていた大倉くんは、自分に甘い部分を作ってしまっても、それを言い訳することだけは許さない人だと思うんです。甘い自分、弱い自分を受け止めた上で次に進める強い人。穏やかな眼差しとゆったり構えた体の中に、大倉くんは冷静な青い炎と強い赤い炎の両方を持っている気がします。楽になっちゃいけない場、使うべき場でその炎を出せる大倉くんは、とても器用で頭の良い人だなと感じます。

いこのたつじん

私は仕分けで大倉くんの存在を知りました。大倉くんががむしゃらにドラムにとりくんできたことも、それを美談として自分から語らないところも、かっこいいと感じます。大倉くんは最年少ですが、音楽に関してもグループに関しても、ペースメーカーという重要なポジションにあります。わたしはすぐいろんなものに引っ張られてしまうから、自分のペースを保ってビートを刻む大倉さんがものすごくしっかりしていて、大きい人のように見えます。(実際大きいです。)大倉さんにとってドラムは武器だという発言を見たことがあります。友達や相棒ではなく、あくまでも目的のための武器として捉えているところがなんだか好きです。武器を携え、我流で腕を磨き、しがみついたドラムの場所が、大倉くんのなによりも好きな景色になった。それは私のようなファンとしても、すごくすごく嬉しいことなんです。これからも大倉くんの好きな景色がステージにあるよう願っています。

れよりもあいどるになりたくて

親戚や友人に勧められたことがきっかけで事務所に入るアイドルが多い中、10歳にしてアイドルに憧れ、自分で履歴書を送った大倉くん。最近バラエティで見る大倉くんは毒舌で、ちょっと腹黒キャラです。見た目も180cm越えのクールなイケメン。だからパッと見、わたしには大倉さんはアイドルという職業を嫌々始めてそうな人に見えました。でも実際は誰よりもアイドルになりたくて、小さい頃の将来の夢を叶えてステージに立ってる人です。あんなにかっこいい大倉くんが、キラキラのスパンコールやファーだらけの衣装が好きなのは、たまらなくかわいいギャップです。夢を叶えてドームを埋めるグループになって、それでもなお上を目指そうとする新年会での発言が、見る者の胸を熱くさせます。アイドルという職業に誇りを持って日々の仕事に向き合う大倉さんの姿勢を、私は心から尊敬しています。

くね、よくたべ、よくそだち

大倉くんの好きなところはきちんとご飯を食べて、きちんと寝るところです。わたしがアイドルに求めている健康という概念を体現してくれています。大倉くんは、普通のことを当たり前に大切にしている人だなと思います。アイドルという非日常的な存在でありながら、食べ物が好きで寝るのが好きで、きっと遊ぶのも好きな人。私が怠惰や甘えと捉えて抑制しがちな欲求を、幸せそうに叶えてる大倉くんを見ると、のんびりするのも悪いことじゃないんだなと肯定される気分になります。なにより、そういう些細な毎日のできごとに、幸せそうにしてる大倉くんの姿を見れるのが嬉しくて、ずっとずっと続けてほしい、大事なところです。

やのひろさはむげんだい

山田が他人の気持ちを感覚的に察するのがうまいならば、大倉くんは他人の反応やそれまでの傾向から、ニーズや考えを推測するのがうまい、という印象です。ファンであり、ファンでない。メンバーであり、メンバーでない。まさに俯瞰の目を持っていて、自分自身からもちょうどいい距離感をもって分析ができるのが大倉くんの強みだと思います。テロップ採用率が高い数々の発言ですが、渋谷さんの突飛なツッコミよりは、ストレートなツッコミをしている印象があります。ツッコミというか、指摘や呟きに近い気もします。関ジャニも私も「ほんとだ(笑)」と笑ってしまう、大倉くんの発言は、そういう視点からくるのかなと思います。関ジャニとファンが共有できる数少ない感覚を引き出してくれる、稀有な存在だと感じています。



私にとって大倉くんはギャップの存在です。無数のギャップがねじれの位置にあるような、何度皮をめくってもギャップがでてくるような、そんなところが魅力です。グループも才能も努力も自分の武器にしていく、俯瞰の目と熱い闘志を持った大倉さんが作るアイドルの姿はきっと新しくてワクワクさせてくれる。明日も明後日もその先も、大倉くんが見ている夢を見せてくれるのが楽しみです。

同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。

あいうえお作文で横山さんの魅力を語る

横山さん誕生日おめでとうございます。37歳とは思えないほど輝く横山さんに、これからもますます輝いてほしいと思ってやみません。渋谷さんへのあいうえお作文、とてもすてきでした。私も遅刻しながらも、横山さんへのあいうえお作文を作ってみました。またあいうえお作文バトル(?)しましょう。連絡お待ちしています。

 

りかかられたいおにいちゃん

横山さんは自他ともに認める長男気質。横山さんが温かい目でメンバーを見守っているとき、私もまたそんな横山さんを愛しい目でみています。笑いながら文句を言ったりいじったりしながら弟の手をひいてぐんぐん引っ張って走っていったおにいちゃん。今は一歩ひいて弟の背中を見守りながらそっと声をかけてあげたりするおにいちゃん。繊細な観察眼と優しさを持ってる横山さんだから、意地でも揺らがない意思があるから、頼れる兄貴分になれるんだと思います。私が横山さんの長男気質で素敵だなと思うのは、本人が頼られること、甘えてもらえることを嬉しく思っているところです。酔いつぶれたり体調を崩したメンバーにずっと寄り添ってあげて、きっとその優しさはストレスの源にはならないであろう、長男になるべくしてなった人。とはいえ横山さんの身内に対する優しさは完全無償の優しさではなくて、ちょっぴり感謝されたい気持があったりするかもしれない、テレビや雑誌でいじりのネタにしたりするかもしれない。でもだからこそ横山さんにはみんな甘えやすい。そんな横山さんをみんなもきっと愛しく思っているんじゃないかなって気がします。

んなんがすき

本人もおっしゃってますけど、苦労する道、明らかに簡単じゃない道を迷わず選ぶのが横山さん。華やかな出で立ちをしていながら、泥臭いことが大好きでストイックなギャップが私はとても好きです。何かのためにキツイことや辛いことを我慢するのではなくて、その過程を楽しめるってすごく素敵な事です。努力「と」才能というより、努力「の」才能があるという言葉が似合うような横山さんのトランペットは、その成長を見守る人たちの心を温かいものにしてくれます。「誰かが喜んでくれたり、自分も頑張ろうと思ってくれたらうれしいし、なによりメンバーをビックリさせたい」というポジティブな思いから新しい楽器を三十路にして手に取った横山さんの夢は、横山さんが夢中になってる間に、叶って、通り越しちゃいそうな気がするんです。

 

さしさをしのばせて

横山さんの優しさってとってもさりげないです。だから横山さんをいつも見たりしてる人にしかわからないとこがたくさんあると思います。エイタメでひとりこっそりセンステから振り向いて、メインステに腰のあたりでこっそり手を振ってくれた横山さんに胸ときめいたこと、今もはっきり覚えています。女性が困っていたら、さっとフォローしたりかばったりしている姿はとてもスマートで、そういうさりげない優しさがたまらない。メンバーに対してもそう。楽屋では話さないのに、村上さんの誕生日プレゼントを選ぶのにすごく悩んでいたりとか、ファン向けのサイトの縦読みでこっそり渋谷さんへの愛を伝えたりだとか。意外とサプライズでお祝いするのが好きだったりとか。そういう分かりにくい優しさを見つけては横山さんの魅力をかみしめる時間が、私は大好きで、なんだか得した気分になるんです。

 

っすぐで、ひねくれてる

横山さんは素直なのか素直じゃないのか。すごく難しいなと思います。すぐムキになる横山の時間、嫉妬した大賞、身近な人から見たら横山さんってそんな人なんだなと思いながら企画を見ています。横山さんの負けず嫌いで小学生のようなところが、私はとっても愛しいなと思っています。他人に嫉妬することや悔しいってことを、横山さんはすっと表に出します。それはすごくさっぱりしていて、憎めない頑固さです。一方、横山さんは自他ともに認めるシャイです。誉められるのも喜ばれるのも好きだけどいざ真面目に言われると照れてしまう。顔を真っ赤にしながら口ごもってる横山さんはとてもかわいいです。横山さんは自分を誉められたいとチョケるけれど、実際褒められたら自分を下げ始めます。素直なのか素直じゃないのか、一言で説明しにくいところがややこしく、とても愛しいんです。

 

めとわらい

笑いの力を一番信じてる、そんな印象があります。横山さんのプロデュース力はすごいなあと思うんです。何がって、メンバーの魅力を出したいという意思の強さが。横山さんは、自分が自分がとチョケてたわりに、関ジャニというグループで頂点に行きたいという意志が強かった、今も強い、気がするんです。エイトレンジャーとか、寝起きドッキリとか、ほほえみデートとか、面白さが武器だと思ってから、自分がやりたい「カッコよさ」より、「面白さ」を優先したところが横山さんの強いところだと感じます。私もすごく笑いの力って大きいと思っています。ヒルナンデスのちょっとオーバーなリアクション、最近関ジャニでいるときはあんまり見ませんけど、他のメンバーの面白さが出てきたから、面白さのバランスを考慮してちょっと抑えてるのかなとも思います。私は横山さんの作る「笑いってええよな!」が伝わる企画やアイデアに、大きく広がる横山さんの夢、関ジャニとしての夢を感じています。

 

つくしくきらめく

横山さんって綺麗です。かっこいいところも、かわいいところもあるけれど、一番は綺麗だなって思うことが多いです。色が白くて、繊細な線も、儚くて透明感のある見た目が、本当にとてもきれいです。トランペットの金色と合わさって、コンサートの横山さんはとてもキラキラしてます。遠くの星を見た時みたいに、きれいだな~って思います。横山さんの中身はとっても男らしくて、泥臭くて、儚さを全く感じさせない熱さがあります。星もよく見たら、その星が今までどんなに傷ついてきたかだとか、どんなに熱いかだとかはわかるんですけど、こうやって遠い距離から見ている私にとっては、やっぱりキラキラの繊細な星です。ステージやテレビで見る横山さんもとってもキラキラ、美しく見えます。

 

3歳児のようなビジュアルを持ち、6歳児のように虫取りにはしゃぎ、10歳児のように漫画やゲームに夢中になる一方で、誰よりも長男気質で、見守る優しさを持っている、かっこいい大人。友達のために純粋に熱い涙を流せる、かっこいい人。カッコ悪いことがかっこいい横山さんが好きです。37歳だなんて感じさせない、まだまだ隠居するには早いと笑って、また1年、芸能界の道なき道を駆け抜けてほしいです。

同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。

すばるくんへ

客観的だとか、論理的だとか、よく言ってもらえるブログです。でも今日は何も考えずに書きます。

今日あなたが事務所を辞めることを聞きました。ツイートの不穏さで知りました。あなたの言葉も聞きました。メンバーの言葉も聞きました。

私が関ジャニを知ってから、一年ほどしかたってません。ハマったのは、他人に合わせて就職先を決めて、仕事も精神的に負担がかかってて、友達もほとんどいなくて、依存しかけていた人に結婚直前でフラれたときです。その人が謝ってくれたところで結果は変わらなくて、わたしの動き始めた人生はどうしようもなくて、とにかく元気を出さなきゃって思ったときに関ジャニの歌に出会って、なんだか元気になりました。関ジャニをきっかけに辛いときも励ましてくれる友達ができました。関ジャニが頑張ってることが、わたしの励みになりました。

ハマった当時はスキャンダルかなんかでツイッターも荒れてて、いわゆる停滞期と言われてました。昔の彼らが恋しいと言ってる人がたくさんいました。でもわたしは本当にその瞬間の彼らがかっこいいと思ってましたから、悔しくて、悔しくて、アイドルという道を選んだ彼らを、全肯定して応援するいちオタクになろうと思いました。彼らにしかできないことをやる彼らのように、私にしかない視点で彼らが素敵だって言おうと思いました。今だって変わりません。彼らを悪くいうくらいなら私のアカウントもブログも消してしまいたい。好きなんです。批評は専門家や一般の人がしてくれればいいです。このアカウントの私は、生まれてから消えるまで彼らのお花畑なファンです。

一年前私は転職を決めました。たくさん迷いました。そのときにはもう良い上司と先輩と同期と後輩がいました。なんの不満もなかったんです。何度もそこでの人生を思い描いて、でもやっぱり心のどこかで、他人に合わせたから仕事を選べなかったんだという気持ちはあって、そんな自分が許せなくて。言い訳して一生を終えるのが嫌でした。好きな人たちのせいにしたくなかった。やりたいことをやった人生だったと胸を張って言いたかったんです。私は繋がりを作るのが下手だからこそ、仲良くなった人は本当に心底大切にしたくて。好きだなって思った人に、嘘をつきたくなくて。だから辞めることも、心が決まったら早めに言いました。メリットデメリット考えて、人の気持ちも考えて、死ぬほど悩んで決めたから、頑張るとしか言えませんでした。お世話になった先生になんと言って良いかわからなくて、ありがとうよりもごめんなさいよりも、「これからの行動で示していきます」と言いました。

すばるくんはもっと私よりもいろんなものを抱えてて、もっとずっと沢山の苦しみと葛藤を吐きそうになりながら悩んできたんだと思います。だからこそ、私はこれ以上何も言えないんです。ものわかりのいいファンになんかなりたくありませんでした。だってこんなに苦しい。わかってしまうことが、わかった気になってしまうことが苦しい。勝手に言います。私の不器用さとすばるくんの不器用さに、似たものを感じました。馬鹿だなぁと自分で思いながら、そんな自分を貫いちゃうところも、変える気がないのも。甘える場所を、自分から離れちゃうのも。

辞めるなんて嘘でしょうと、すがりたい一方で、わたしはあなたの覚悟を知ってます。まぁ、ほんとは知らないのかもしれない、だって辞めるなんてこと考えてるなんて知りませんでした。でもファンになってから、いっぱいあなたという人のことを考えました。あなたに向けられてる感情も考えました。そのたびにすばるくんを好きになりました。だから私は私のすばるくん像を変えません。そして私の考えるすばるくんは、不器用で、愛の深い人です。

すばるくん、楽しかったですよね。私もあなたを好きな日々が楽しかったです。これからも好きです。関ジャニを好きになってからずっと、あなたの背中を見ています。すばるくんがセンターにいる関ジャニが好きです。でもすばるくんがいない関ジャニも好きになります。

みんなどんなに辛かったんでしょうね、何十年の付き合いを2ヶ月で折り合いをつけろと言われて。毎週顔をあわせて。みんな私たちには何も言えないなか、アイドルとして笑ってくれて、私はやっぱりアイドルってすごいと思いました。あんなにすばるくんが愛したメンバーが説得できないことだから、撤回は地球が四角になるより難しいことなんだと思います。彼らは誰よりもすばるくんのファンで友達です。メンバーとしての彼らより、ファンの立場にたった思いと、友達としての思いですばるくんと向き合ってくれました。すばるくんを奪っていく海外の音楽を、決意の翌日一緒に見に行ってくれました。もうなんの不満もありません。ありがとうしかありません。

すばるくんの退所の流れに、なんの不満もありません。

同時に、わがままなオタクとしての心情を書きます。箱推しでした。ジャムコンのあなたを見て、担当という感覚に触れました。確信が持てないまま、あなたのうちわを振ることができなくなりました。代わりにいつかあなたのライブで拍手を送るつもりですけど。

箱推しって、一人がかけても他がいるから大丈夫って思った過去があります。全然大丈夫じゃないです。あなたの赤が真ん中にない関ジャニを、張り裂けそうな思いで見つめる日がくるんだと思うことが怖いです。

すばるくん、またメンバーと笑ってください。横山さんの隣で支え合ってください。村上さんにボケてつっこまれてください。丸山さんとイチャイチャしてはドン引きしてください。安田さんに甘えてください。錦戸さんと照れ笑いしてください。大倉さんと馬鹿やってください。そんな姿を見ていたい、関ジャニのなかで、あなたの声が聞きたい。あなたの声を支えるために、関ジャニの楽器もハーモニーも生まれたのに。オタクは連れていかなくていいから、関ジャニを持っていってほしかった。すばるくんの大事な六人の友達、独り占めにしてほしかった。安田さんの「グループで」「7人で」と頑なに言い続けた思いを、あのときのレンジャーの真意を、こんな形で知りたくなかった。すばるくんに「どうおもう?」って聞いてほしい。オタクの返事が聞こえるところにいてほしい。

あまりにすばるくんがかっこよくて、批判も全部受け止めてるのがわかってしまったから、怒れませんでした、悲しめませんでした。メンバーが代弁してくれたのは嬉しかったけど、同時に私の思いを振り下ろす場所がなくなってしまいました。でも気持ちの整理は、私の課題だから、ツイッターで呟いたりぼんやりしたりしながら、飲み込んで、どうするか考えます。

私が辞めるとき、たくさん迷惑をかけた同期の机にお菓子を置いておいたら、メールで一言「ありがとう。頑張れよ」って返ってきて、タクシーのなかで泣いた経験があります。すばるくんのことだから、エゴを通すリスクも責任も自由も、本人痛いほど分かってますよね。生半可な気持ちでいく男を、関ジャニが許すはずありませんよね。

すばるくん
すばるくん

良い名前ですね。

ありがとう。
頑張ってください。

ほんとに嘘偽りなく、あなたの成功と関ジャニの成功を祈ってます。


オタクより

楽しくオタクするためにアドラー思想を参考にした

 ブログを開設して一年がたとうとしている。ツイッターもそのくらい。関ジャニが節目節目で肉を焼いてきたように、節目節目でジャニオタとしての話をしたい。

 先日、オタクとSNSについての心に突き刺さる記事を発見した。


yunokihana.hatenablog.com


 この記事にかかれた心情、隅から隅まで共感しかなく、今までの気持ちを総括してくれている気がした。そしてこの記事を読んでいて、私はアドラーの嫌われる勇気を思い出した。

 『個人のスタンス語り』に、かなり強気のタイトルをつけた。専門家から見たら癪にさわるような矛盾も含まれているかとは思うが、あくまでも自己解釈で自己啓発している。これがアドラーの本質だとは思わず、自身で読んだ上で参考にするか考えてほしいと思う。

SNSって難しい

 一年前の自分のツイートを遡ると、変わってはいないと思っていた自分にもだいぶ変化が起きていたんだなぁと感じる。フォロワー0だったときは私しか見ていなかったので、マナーなんかあまり気にしなかったし、ぽんぽん思ったことを呟いていたし、記事の文章も今より断定の表現が多い傾向がある。そのうちぽつぽつ相互さんができて、内輪でのノリで書いたことが、面白いって言ってもらえて、それがとても嬉しくて次の記事を書こうかなという気持ちになった。松原.のラブレターの言葉を思い出すたびに、私はこのころ書いていた記事を思い出してしまう。

 ある記事をアップしてから今までからは考えもつかないくらい記事がいいねRTされて、嬉しい反面怖くなった。叩かれるんじゃないかということ、私の不確かな解釈がその人の解釈になってしまうんじゃないかということ、次の記事のアイデアがでないということ、何もかもがいきなりすごく不安になった。どこまで回っていったのかわからないツイートの読み手に勝手に気をつかって、勝手に滅入ったりしていた。もともと気にしいでヘタレなので、SNSは向いていないと思っていたけれど、ジャニーズの話をできるのはツイッターとブログだけなのでやめたくはなかった。フォロワーが減るたびに何かしてしまっただろうかと悶々としていた時期だ。

・学級会恐怖症

 ツイッターでコミュニティができればまぁ仕方ないことかもしれないが、私はいわゆる学級会が苦手だ。人それぞれという結論に至るのに、答えがでないものに時間をさいて、ギスギスする空気が好きじゃない。「人それぞれだけど」という前置きをしながら、その実マウンティングのような圧の強い呟きが怖い。もちろん配慮で「人それぞれ」をつけることもあるし、表現に気を付けた上で諦めのように「人それぞれ」をつけることもあると思う。私もそうすることが多い。ただ、他の人の目を気にして、楽しいはずの趣味にこんなに疲弊しなければならないのかという悲しさも常にあった。

 じゃあ人の目を気にしていない呟きをしたいのかと聞かれれば、いやそれもなんか違う、と思う。少なくとも私は攻撃的なツイートが怖い。他の人の意見を許さない人のツイートが怖い。その人のファンの目の前で愚痴を言っている情景を、リアルに想像しては怖くなる。だから私はそんな風にはなりたくない。言葉のドッヂボールじゃなくてキャッチボールがしたい。私はそう思うけど、相手に「呟きだから」と発言の自由を行使されたらなにも言えなくなるのも確かだ。

 そしてマナーについて考える機会が不要だという極論を言いたいわけでもない。他の人の呟きを見てそうだなと気を付けるようになったことがたくさんあり、それはそれでよかったと思う。しかしどこからがOKで、どこからが駄目なのか、はっきりした定義を作るのは難しい。そもそも一ファンが解答するもんでもない、という思いがある。

 SNSには自由も責任もあるのに、どちらかだけが取り上げられやすい。確かなのは自由もあり、責任もあるということだけで、その基準はみんな違う。それはいいことでも悪いことでもなく単なる事実だと思う。しかしその事実を踏まえて私は結局どうしたいかというのは、毎度毎度分からなくなる。

 上記のように、自分には、「この人はこう考えてるからそうなのかもしれない、言い分もわかるな」とあらゆる意見を考えようとする性質がある。そして半年ほど前の自分は、その意見をすべて満たした人間になろうとして疲弊していた。めんどくさいと思いながらも、意見を言うほど強気になれず、それを言った後の人の目が怖いから、そこまでして言いたいことでもないかな……と思いこみ……ツイッターの裏で愚痴愚痴ぐだぐだ考えていた。実にめんどくさいオタクであった。(今も自分に関してはなかなかめんどくさいと思う。)

・変わる気がない

 アドラー哲学は言い訳を許さない。トラウマを否定し、自分がそうしたいからそうしてるんだという考え方をする。その理論でいくと、わたしは『苦しい思いしたいから』今の状況にいることになる。

 注意しなければならないのは、アドラー心理学において変えるのは「他者」ではなく「自分」であるということ。私は愚痴アカも攻撃的なアカウントも好きではない。でも突撃していって「私が楽しくないのでやめてください!」って言うのは我慢でもなんでもなく、したくない。「改心」してハッピーエンドになるかといえば大半はそうではない。その人にはその人なりの愛し方を持っていて、それが正義だと思っている。無関係な他人に踏み荒らされたところで、いくらそれが「正論」だったとしても、かたくなになるだけだと思う。
 私はそういう不毛な争いはやめたい。小学校の学級会は互いの意見をフラットに聞くのが当たり前だった。しかし、テレビでやってる議会は、揚げ足とって他人の意見をあまり聞く気がないように見える。ツイッターも基本的に一方向コミュニケーションなので、しかたないとはいえ後者のようになりやすい。相手と自分の両方に聞く気がなければ、突撃していって会話をしても多分結果は変わらない。

 そこで私は、嫌われる勇気に出てくる以下の二つの項目をなにかにつけて意識するようにしてみた。
 

①課題を分離する事
 信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」にはそこまでの問いかけが含まれています。(嫌われる勇気より)

②貢献感に幸せを感じる事
 他者から承認してもらおうとするとき、ほぼすべての人は他者の期待を満たすことをその手段とします。適切な行動をとったらほめてもらえる、という賞罰教育の流れに沿って。しかし、たとえば仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから。
あなたの貢献が役立ってるかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。本当に貢献できたかどうかなど、原理的にわかりえない。「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てればそれで良いのです。(嫌われる勇気より)

自己洗脳といったら自己洗脳なのだけれども、多分行動には変化が起きてないと思う。
良くも悪くも、ただただ私が楽になっただけである。

・解釈違い、愚痴

 自己と他者の分離は、他人はどうでもいいという冷たいことばではないと思う。他の人を拒否するのではなく、自分の課題と相手の課題を分離する、ということだ。前者は私と相手が違うことをネガティブに捉えているけど、後者はフラットに捉えている。私がこういう考え方であることと、相手が違う考え方であることは全く関係ない。相手がこうだから私が何かをしなきゃいけない!とも思わないし、共感してもらえないから相手に考え方を変えてほしい!とも思わない。そういう風に捉えようと心掛けていたら、いけがみさんのように、たいていの解釈違いは「いい意見ですね~」と思うようになるし、愚痴アカ、悲観的なアカも「私は苦手だから見ません!」という単純な好みの話として処理できるようになってくる。

私が上に挙げた記事からアドラー哲学を感じたのは、
・自分とは違う人のことを批判しようとかではなく、理解しようと本気で考えたこと。
・相手と自分を尊重しようと考えていること。
・でもそこすらも分かり合えない事実を受け止めて、したらいいのにとは思っても、変わることを他人に強要しなかったこと。
・ただ、自分が悲しいと思った事実を誰にも否定させないと言い切ったこと。
このへんである。自己と他者の分離とはまさにこういうことだと思う。

 記事の例にあるように、「○ね!」とかはおかしいと思う。「人それぞれ」を免罪符にしてるし、絶対見習いたくない。でもアウトセーフを決める基準を誰が決められるというんだろう。「私はやっぱり嫌だ」としか言えない。誰かが批判する人は誰かの好きな人だ。私の好きな人がそんな風に言われたら悲しい。
 同時に、そういう人たちが変わらないことを受け入れている自分がいる。その人たちなりの論理がある。私にとって、他人が変わったらいいなぁと、関ジャニが彼氏だったらいいなぁは同じくらい非現実的な夢物語である。可能性は全くの0ではないが、その期待を押しつけて「裏切り」に胸を痛めるのはお互いとてもしんどい。それを踏まえた上で私ができることは、でかい声で「関ジャニが好きだ~~~!!!関ジャニかっこいいよ~~~~!!!!」と叫ぶことだと思っている。叫ばせてほしい。

・ブロリム

 私をブロックする人も、リムーブする人もいる。批判する人もいるかもしれない。ブロックされたら「私」の「見る」という行為もできなくなってしまうから正直辛いし凹むと思う。でもブロックはその人の課題で、辛いという気持ちは自分の課題だ。ポジティブな諦めを身に付けて、どうしようもないことに落ち込む時間を短くした方が楽しい時間は長いから、私はあまり沈んでいたくない。相手は私の悲しみに責任をとってくれない。怒りや悲しみのエネルギーを、関ジャニが好きっていう楽しい時間に使いたい。ニコニコ顔で「ブロックリムーブご自由に!!」とは言えないが、ブロックリムーブが自由なのは当たり前だと受け止めている。

・チケツイ

 私がチケット落選して、だれか他のファン(転売除く)が当選したときも素直に喜べると思う。その人が外れたら確率はほんの少し上がっていたかもしれないけど、私が当たったかはわからないし、なんにせよ今現在の結果は変わらない。その人が当たることで、嬉しい空気をTLに振り撒いてくれた方が、なんだかチケツイ一般頑張るぞと前向きになれる。
 壁打ちのときから、フォロワーが多い人が譲られやすいということについても、譲り条件に担当があっても、まぁそうだよね!というあっけらかんとした思考回路でいる。アカウントがしっかりしてると、トラブルになりにくい。絶対に楽しんでくれる人がいい。憧れのあの人と行ってみたい。どんな人に譲るかは、譲る人の課題だ。そして譲られる側も、本気で行きたいなら遠慮しないで声をあげ一般に望むのが譲られる側の課題だ。多分条件に見合わなければ、譲る人が弾いてくれる。そして譲られなくても憤る必要はない。(何度も言うが転売は除く。)

・アイドル

 同じようなことを関ジャニにも思ってる。恋愛スキャンダルが起きたらちょっと切ない。でも私の気持ちと関ジャニの行動には全く関係がない。嫌なら見ないように、言及しないように。私ができるのはそこまでだ。露骨に憤りをぶちまけて、周りをギスギスした空気にする方がよっぽど嫌だなと思ったので、マイナス発言はしないようにしてる。
 私は関ジャニに不満を持つこともほぼない。何事も都合よく変換して楽しませてもらってる。批評も専門家がすれば良いと思ってるので、私は私なりに誉めちぎる。マイナスな感情を抱くこともあるけど、言及のしかたは考える。嘘はつきたくないけど、ピックアップする感情は選ぶ。彼らは楽しませようとしてくれる。そして私は全力でそれを受け取りたい。とにかく楽しくオタクしたいという非常に利己的な信念がある。そのためなら多少の気遣いなんのその。
 私はアイドルとして関ジャニが好きなのだが、それ以上に人として彼らが好きだ。人としての振る舞いを望んでも、アイドルとしての振る舞いは正直プラスアルファだと思ってる節がある。ただ、これは本当に人の好きのなり方次第なので、アイドルを求めてしまうこと=悪だと捉えているわけではないことを主張しておく。アイドルという職業の線引きは人それぞれだ。

・担当

 私は今まで自分の好きな人に担当という言葉を使ってない。この担当問題によく葛藤していたのだが、最近は、ほしいな~~~ほしいな~~~と思う以上にほしくないんだと思うようになった。担当という言葉の定義が、ジャニオタと広辞苑では違ってると分かってるものの、やっぱり担当というのに抵抗がある。好きのはじめと終わりを区切りたくない。自担って言いたい、それ以上に言いたくない。そんなめんどくさい自分ですら、悩みたいから悩んでるんだなと暖かい目で(?)見守れるようになった。
 何度か担当ほしいなぁ~もう担当っていっていいんじゃないかな~期がきても、もはやなかば意地で名乗っていない。でもその気になったら名乗れるという心の余裕が、自由に生きて愛しなよという関ジャニの言葉が、私を楽にさせてくれているなと思う。

・フォロワー

 フォローしてくれてる人も、ブログ読んでくれてる人も、私と同じ「関ジャニが好きな人」。わざわざ見てくれてるくらいだから、私の一部の文章だとか、何かしらを気に入ってくれてるのだと思うけど、そこを「自分を好きな人」という関係でとらえ始めたら私はきっと迷走する。
 アドラーは承認欲求を認めない。自分も多分それで疲弊したので、自身は「なるべく」承認欲求をもたずに、フラットでいたいと思う。誉めてもらえるのはめちゃくちゃ嬉しい。承認に対する喜びは常にある。でも、それを目的にしたら関ジャニのファンアカウントじゃなくて自分のファンアカウントになる。あくまでも関ジャニについてのアカウントとして生まれて消えたいなと思っている。
 ブログを書いて、タグもやる。ただその理由は「貢献感」に対する欲にすりかえることにしている。何かをやるとき心の片隅に楽しんでもらえそうなものにしたいなという思いがあるし、やること自体に満足感を感じている。私の思うカッコ悪い呟きはしたくなくて、でもストレスも貯めたくない、というワガママをかなえてくれるのが、この貢献感なのかなと思う。

自由に生きて愛しなよ

 アドラーの解釈は、下手したら自己中心的にうつる。私も初めて見たときはその傲慢さに、そういう人がいるからTLが荒れるのだと思ったし、実際、自分に素直に生きれば良いんだ!とだけ受け取ってしまう人もいるんじゃないかなと思う。

 でもそういうことじゃない、と私は解釈している。アドラーは人のことを考えることを推奨している。その上でアドラー哲学は「人それぞれ」を悲観的にとらえない。「誰かのため、~せねばならない」という無意識の責任転嫁を許さない。「~のため」にしてしまうと、自分の思い通りにいかなかったときに勝手に憤るしかできない。でも「実際その人のためになるかは分からないけどもしかしたら喜んでくれるかもしれないし、そんな手間でもないからやりたい」という自分の欲求として捉えれば、嫌ならやらなければいいという心の余裕を持ちながら、楽しい呟きを心がけてる自分偉い!という自己肯定感まで得ることができる。考え方ひとつなんだけれど、とにかく楽に生きれる。
 以前は「お花畑(笑)」と呼ばれることに「そうだよね……ごめんね……」としょげていたが今はたぶん「うるせ~~~~~~!!楽しんで何が悪いんじゃ~~~~~~!!!!!」と開き直っている。(第三者的にこれがいいのか悪いのかは本当に分からない)
 共感は嬉しいけれど重要じゃない。私が満足するかが大切で、その満足感が楽しいオタクには必須なのだと思っている。

苦しむために生きないで あなた自身を愛してくれ

 私や誰かと同解釈じゃないなら、関ジャニを好きだなっていう気持ちをその人と分離すればいい。自分のスタンスは、誰のためでも、誰のせいでもない。同時に、誰かのスタンスも、私のためでも、私のせいでもない。ジャニオタ界隈には、楽になりたいけどああはなりたくないと言って、がんじがらめになっていく人がいる。仕事ならともかく、そんな疲れた気持ちに鞭打ってでオタクをするのはもったいない。アドラー思想は、自分の行為はそのままに、気持ちだけ楽にさせてくれる気がする。おすすめしたいのだが、こういう書き方すると宗教の勧誘みたいになってしまうから困る。そのようなあれではない。

 そして読んでくれた方のなかに、私と違う思想の人はいると思う。「こんなこと思ってたんかい!」とリムブロされる可能性もあるから、意見をいうことはすごく怖いし、大して楽しくもない。味方もできるだろうが敵もできる。だからヘタレで楽しいオタクでいたい私はツイッターではあんまり考えをのべない。でもまぁ素敵な記事に感銘をうけて、せっかくだから自分もたまには自身のことについて語ろうかと思った。だれも攻撃する気はないことだけ分かってほしい。

 もともとはネガティブな人間だ。でもどうせなら楽しまなきゃ損だと思って考え方を変えた。
 私は関ジャニが楽しくアイドルできて、みんなが楽しくオタクできる世界が一番幸せだと思うし、そういう世界に住みたい。そんなことを内心考えながら、SNSに生息している。

【ネタバレ】イフオア感想とか

 イフオア、それは村上さんとの内緒話の場。ブリーゼとグローブ座は、限りなく狭い村上さんの遊び場。10年という長い年月続けてきたこの場所はもはや村上担のみならず、エイターの神聖な場のようなイメージがあります。

 私は友達に誘われたコンサートの帰り道、よく知らないくせに「イフオアにいつか行ってみたい」と言っていたくらい、イフオアという場所に憧れがありました。ファンクラブの名前も、ジャニーズ目当てで買った雑誌も、ツイッターを始めた最後の一押しも、いろんなことの初めてが村上さん。今回初めての舞台をこのイフオアに捧げることができて本当に幸せな気持ちで感想文を書いています。日記なので、時系列でだらっだら書いていこうと思います。安田さんも来ていたという、2/24夜公演です。(気づきませんでした)

入場前

 ジャニショで買ったNOROSHI村上さんを見てイメトレをしながら緊張で吐きそうになっていました。トイレ前のゴミ箱の蓋が紫で、ゴミ箱にすらドキドキしました。来ている人の年齢層は幅広く、二、三十名義持ってるマダムっぽい人から、勉強してる女子高生まで。年齢高めの方のほうが、紫色意識してるなという印象でした。入り口はいって左横に、100均にありそうな簡素な茶色い布編みボックスがあり、そこに手紙を入れることができました。入場間際に思い出して投函しました。(飛行機が遅延したので夜中の0時~3時くらいまで書いてました。あいうえお作文は私にとってのファンレターみたいなものなので、結局文章はほぼそれにしてしまいました。冷静になった今、このブログの存在が万が一にでもスタッフさんに知られませんように……!と思っています。)ボックスに入っていたのは10通くらいでしょうか。私は神様への絵馬のような気持ちで入れておきました。 席は、一階後ろの方、通路横の席で、神席です。村上さんと同じ空気が吸えるところはだいたい神席ですが、ここなら村上さんに何かあったときとんでいけます。個人的に映画館なら一番に選びたい席でした。舞台は『If』『or...』『Ⅹ』とかかれたボックスに囲まれたステージ。中央にスクリーン。answer等々、関ジャニの音楽が流れていました。

本編

 紫のライトが四方八方にとび、開幕。
 場面は村上信右衛門の殺陣シーンから始まります。これが死ぬほどかっこいい。「討ち取ったり~~~」と敵首を掲げるものの、『それは影武者です!』『別人です!』と言われ、てんやわんやしながら舞台のあっちこっちで戦闘シーンをやってくれます。クロニクルのるろうに剣心を思い出しました。斬る側でも全然いける、と。かっこよすぎて終始息をのみ、笑うことすらできず、真顔で本当に申し訳ありませんでした。まじでかっこいいです。現代のサムライ。最後にⅩの字に刀を振り下ろし、暗転。ムービーが流れ始めます。
 ムービーは歴代のイフオアを振り替えるような構成でした。最後のイフオアⅩの映像が出たときスタンディングオベーションしたくなるレベルです。いいようのない感動に、初見オタク、もはや虫の息です。

 場面かわってスクリーンは夜の海。宴会の場面のようです。船の先を模した台の上で、酔っぱらいながらイカを食べる村上さん。さっきとは一点かわいらしいお姿に、思わず頬も緩みます。普段酔っぱらってからんでるときこんなのだったらと思うとしんどいです。言葉遣いはただのくだ巻いてる柄悪い人で、そこもたまらなかったです。「酒持って来いっつとるやろがァゴルァオイてめあほんだらコラァッ!!!!!!!」(ニュアンス)です。しかもこの場面がまるで大河ドラマのような雰囲気で、興奮することしきり。殺陣の流れから、酔っぱらって、方言混じりの宴会。方言は指導まで受けたそうです。途中からもう「大河じゃん!!!!!大河じゃん?!?!?!」と1人興奮して悶えてました。関ジャニの中で一番武士というか郷士の雰囲気が似合うのは村上さんだと思っていて「オファー来て、お願い、オファー来て、逸材がいるんだよ……!!!」と祈るような気持ちでいっぱいでした。歴史好きにはたまらないワンシーンです。
 宴会が進むと、天候が悪くなり、村上さんは迷信と笑い飛ばしていた黒流という渦?に巻き込まれてしまいます。暗転し、ムービーは海に沈んでいく村上さん。そしてなぜか落ちた先にはタイムマシンがありました。「深夜割り増し料金」になり動き出します。ぎゅんぎゅん高速で未来に進むタイムマシン。背景で流れる未来の年表。ほぼ忘れましたが、村上さんがSHINGO(シンゴ?)#に改名する未来があったきがします。

 さて、たどりついた先は海岸線。水がまがまがしい紫?緑?色で、背景には鉄のかたまりが転がっています。寝惚けてるのか、二日酔いの朝のようにぐだぐだする村上さんがかわいい。「起こしてっ」と言って仰向け状態で腕を天に伸ばす村上さんを見て思わず顔をおおって天を見上げてしまいました。一秒でも見逃すのがもったいないのですぐやめましたが、かわいさにキレそうになったのは久しぶりでした。その後ようやくみんながいないことに気づいた村上さん。「みなのしゅうにあいたいのう」「わしゃひとりじゃなにもできん」「甲冑ひとりで着たり脱いだりできん」と嘆く姿にリアルを重ねて胸がぎゅっとなったファンがほとんどではないでしょうか。刀を鞘に納めて「おさまった~~~!!!」、それをおそるおそるタイムマシンに当てて、「当たってもうた~~~!!!」と、現実であることにがっくりする村上さんもかわいかったです。

 そんなところに、女装した村上さん(映像ですが)がやってきます。近未来のスーツを着た女性で、ハイテク軍という一味の一員のようです。ほっぺをぷくっとしたり、あざといのなんの、メイクでぱっちりした目がほんとにかわいい。いやそりゃ女装毎回入れられるわ。「アナログ軍(ハイテク軍が敵対している組織)じゃなさそうだし、知ってる人に似てたから」助けてくれたのだそうです。未来的な装置で村上さんが過去から来たらしいこともなんとなく把握し、現状を教えてくれました。とはいえ村上さんにはちんぷんかんぷんなようです。混乱しているところに、女性の上司らしき人が乗ってる(操ってる?)マシンがやって来ます。そして村上さんには大して構わず、女性だけを乗せて去ってしまい、村上さんは一人で放ったらかしにされてしまいます。
 その後、アナログ軍の襲撃にあい気を失った村上さんは、手錠をかけられ閉じ込められてしまうんですが、まぁこのお姿がセクシー。覆面をつけたアナログ軍の人にビンタされたり、叩かれたり。「やめろ~~~!!!」と思いながらそれでも真っ直ぐな瞳に、オタクは「サムライだぁ~~~」と泣きました。いやはや感情が忙しかった。続いてアナログ軍との問答が始まります。

「名前は?」「年は?」「身長は?」「体重は?」「夢は?」
→さらさらと答える村上さん。26歳、五尺六寸、十六貫、だそうです、自分のいまの年齢からイフオアの年齢引いたのかな。

「血液型は?」「マイナンバーは?」「メールアドレスは?」
→天然出さずにきちんと知らんって言ってました。

「好きな歌は?」
→「我が軍勝利の歌」歌うように指示される村上さん。

 これがLOVE&KINGの替え歌で、それに気づいたとき会場が一番わっと嬉しそうにわきましたね。ああほんとにここは村上さんが好きな人の集まりなんだって感無量でした。歌詞は水軍バージョンになっていて、カウントも「ひい、ふう、みい!」。真面目にふざける村上さんの姿に自然と楽しい笑いが広がりました。(かっこよかったですよ!)
KINGについてはいろいろあったと聞いていますが、それをこうやって舞台に取り入れ、貫きながらも、笑いに変えてオタクを安心させてくれる。村上さんの優しさとかユーモア心とかを感じて、素敵だなぁ、かっこいいなぁとじーんとしてしまいましたね。いや爆笑もしたのですが。

 さて、なんとか納得してもらった村上さんですが、今度はハイテク軍との戦いに協力してほしいと言われます。なんでも、ハイテク軍が人間の生活を便利にした分、その排水で海が汚れてしまったのだそうです。アナログ軍にはハイテク軍に対抗するすべがなく、はったりでごまかしているようす。「『イフィッシュ』という伝説の魚(炎水雷を操る)を捕まえたら、自分たちにも勝機があるかもしれない。異世界からきたお前なら釣れるかもしれないから、タイムマシンを(直せたら)直す代わりに釣ってきてほしい」と言われます。村上さんは「やるだけやってみるか~~~」ということで釣りざお片手にカオデ海へ。この移動~釣りのシーンは『どうぶつの森』ならぬ『ぎょかいるいの海』のパロディとしてスクリーンに出ており、遊び心が感じられます。時事ネタを組み込んでくる感じ、オタク心をくすぐられますね。

 暗転後、なんと一階席で我々が入場してきた扉から自転車で村上さん登場。数メートルの距離に村上さんがいて、アワアワパニパニしました。自転車をこいでステージ前まで行ったところで自転車を止めて、ここでお昼ご飯。メニューが毎回違うようなのですが、私が見たときは魚肉ソーセージ。食べ方がわからないらしく、目の前のファンに「旅のお人、開けてくれんか」って差し出す村上さん。ヨコヒナええやんの「めくれへん」を思い出します……。ファンのかたも緊張したのかなかなか開けれず、爪にソーセージが詰まるまで頑張っていました。それに気づいた村上さんは「めっちゃつまっとるやないか!拭くもの……(鞄探す)(優しい)(お母さん)……無いからねぶっとれ!」と言ってました。むいてる間も、自転車の椅子に座ってじーっと待ってる村上さんはぬいぐるみのようでした。包装を少しめくった状態で渡され(ファンの方が多分「(包装を)引っ張って」と言った)ところ、「こういうこと?」とファンとソーセージ引っ張りあいする一幕がありました。とても和みました。包装とソーセージどっちが食べ物か分からず、「どっち?こっち?」と聞く姿も愛らしかったです。 ボトルを開けるところでもボケる予定だったんでしょうが、普段通り開けてしまって本人爆笑。午前の部でもやってしまったそうで、天然なのか確信なのかわからないけど胸がぎゅんぎゅんしました。

 いよいよ釣りです。(この間に自転車が片付けられ「パクられた!!!!!」と叫んでました。)釣り上げるものは色の反転したタコ、変なイカ、麺づくり、ハイチュウ、チョコモナカジャンボ(曰く瓦だそうです)、おっとっとというラインナップ。どうやら平仮名しか読めないようで、おっとっとが出たときは「読めた~~~!!!」と嬉しそうに言っていて、オタクの親心が爆発しました。次に釣り上げたイフオアグッズに「わしじゃ!綺麗な二重じゃ!」と自画自賛していました。(確かこの場面……)めちゃくちゃ頷きました。ようやく釣れたイフィッシュは、なんともかわいらしいジンベエザメのぬいぐるみのような姿。炎はライター程度、水はおしっこかけるくらいでしたが、雷の威力はすごい。さっそくハイテク軍との戦いに赴きます。

 対峙するのは自分を助けてくれた女性。「自分で助けた人を自分で倒すのも悪くないわ」と言って恐ろしい強さでアナログ軍をやっつけていきます。なお、この女性はWhotuber(Youtuber)らしく、自撮り棒を使いながら映像で実況してくれます。こんなあざとい村上さん、イフオアでしか見られません。ひなちゃんクーイズや、公開録音のときの萌え袖ひなちゃんを想像してください。あれがずっと続きます。下にはリアルのかっこいい村上さんが甲冑着てます。箱推しは常時「どこ見れば?」と思ってますが、一人舞台でもこんな思いをするとは予想外でした。結局大砲に自らが入り、飛んだ勢いで機械のコアを破壊することで勝利。女性をお姫様だっこして「借りは返したぞ」と呟く村上さんがかっこよかったです。

 さて、ハイテク軍とのボスとの決戦。このとき、舞台の手前にスクリーンがもう一枚降りてきて、これに雨の情景や波が投影されることでとんでもない立体感と迫力を出しています。攻撃のビームなんかもすべて映り、それにあわせて避けたり、受け止めて跳ね返したりといったシーンがハリウッドばりにかっこよかったです。さて、戦闘シーン。イフィッシュも手伝ってくれるのですが、敵の強さの前に倒れてしまいます。激しい戦闘、そして見えた敵将の素顔は、なんと村上さんにそっくりでした。(いやまあ本人ですが)ハイテク軍の大将は村上さんのご子孫だったのです。「自分を倒すと家系は途絶える。それでもいいのか」と大将は言います。アオリの『血を選ぶか』というのはこのことを示していたのでしょう。(さらにパンフレットにはこの言葉の続きが載っていて、二つで一組の言葉となっています。ミステリーの種明かしのような爽快感でした。)それでも村上さんは、綺麗な海をとりもどすことを選びます。Ⅹの字の太刀筋で大将は斬られ、そして戦いは終焉を迎えます。

 エピローグでは、アナログ軍がハイテク軍と共にいきることを選んだこと、村上さんがこの地に残ることを決意したことが述べられます。一件落着かと思いきや、ふとしたはずみでタイムマシンが動きだし、村上さんは更なる未来へ進みだします。「わしゃもう未来はこりごりじゃ~~~!!!」という叫び声で物語は締め括られます。きっと未来でもまた誰かを救ってくれる、そんな期待とわくわくに満ちた終わりかたでした。

 スタッフロールではメイキングが見れます。映像が多いので、楽しそうにいろんな表情を作り、それを自分で見ては爆笑する村上さんがとても愛しかったです。

先生

 これで終わりかと思いきや、「先生」というコーナーがありまして。恒例らしいのですが、白衣を着た村上さんがジャニーズをいじりながら講義をしていくという仕様です。出てきたときに、村上さんがぜえはあ言っていて「1日2講演はもう無理やな!」って言いながら水を飲んでいました。休ませてあげてほしい、でもそんななか少しでも多く日程作ってくれてありがとう、いろんな思いで胸がつまりました。
 今回は何かと話題な相撲(紙)形式で。最初に背中に『キ』『ン』『グ』『&』『クイ』『ーン』と文字がかかれた紙力士が円状にならんでいて、ぐるっと一周させて見せてくれました。ただの紙相撲ではおもしろくないので、他のグループは以下の素材になってるそうです。

V6:和紙(岡田さんの出演作品のコール&レスポンス、みんなで井ノ原さんの顔を想像しました)
嵐:超合金(頭は櫻井さん胴体は松本さん左腕が二ノ(左利きだから))
TOKIO:木
セクゾ:薔薇
関ジャニ:札束(集まったら強いみたいなことも言っていてちょっときゅんとしました、せごどんの顔になってるのも愛)
west:ぺら紙
KAT-TUN:亀
A.B.C-Z:カエル
キスマイ:ローラー
NEWS:新聞(手越くんは三文記事に由来「最近静か」)

ここで、メンバーについて言及するパターンもあるようですね、私は「ヨコとすばると、相葉ちゃんをカッペと呼んでいた~」というエピソードくらいでした。(「田舎もんや!って笑っとったけど俺らの方が田舎もんやな!」と言ってました。)番付をやっているようで、今場所のとりきめは

Hey!Say!JUMPvsNEWS
セクゾvsキンキ
嵐vsKAT-TUN

となりました。北と南になってる理由は、「関ジャニが東で嵐が西なことに対し、アンケートでやいやい言われてやかましかった」からだそうです。
最初のとりきめは、きちんとひとつひとつ塩まいたり、行司したり。人形遊びしてるちっちゃい子みたいでかわいかったですが、途中から雑になりました。二回くらい力士ものまねもしてくれました。

 Hey!Say!JUMPはバネなんですけど、思ったより動かず、NEWSが自滅しました。キンキは、塩がガラスの底についたのが原因で負けてしまいました。まきすぎたかな、といった顔で申し訳なさそうにしてました。嵐とKAT-TUNは大盛り上がり。「向かい合ったときに卑猥な構図になってしまうから、亀を立てるようにして、首も前に出るようにした」という風なことを言っていました。配慮ができる男です。

開始早々下がっていく亀さん
→村「びびるなよ~~~!!再始動したんだろ~~~?!?!」
回転して村上さん側に向く亀さん
→村「なんや?!ああ?!やるんか?!」
さらに回転し嵐超合金と同じ向きになる亀さん
→村「2対1か?!?!ああ?!?!コノヤロウ!」

ずっとかわいかったです。結局亀さんが負けて「二回くらいやり直したったからな!これで負けるならしゃあないやろ!」とご満悦でした。

カテコ

 フリートークはグレー?白?のニット帽に、白インナー、サイドに白ラインの紺ジャージ、底白の黒スニーカーで登場。内容をかいつまんで書くと、

・新マネージャーとスタッフと昨日飲みにいって、新マネージャーが、丸山さん仕込みの「寿司ざんまい!」のネタをしようとした際に勢いよく転んでてウケた
・よくダイビングに行くおっちゃんが最近アル中みたいに手が震えてる

という話でした。なんだか落語みたいでもあり、ほんとに世間話のようでもあり。特に記事に書くこともないくらい、ただただ嬉しそうに話す村上さんを見ながら、うんうんって聞いてる彼女気分を味わいました。(図々しいです)

楽しかった

 感想は以上です。こうやって書いてると、改めて、楽しかったな~~~という多幸感に包まれます。ほんとうに楽しかったです。村上さんがやりたいことを、村上さんに見せてもらえることが、本当に私は嬉しかったです。かっこいいもかわいいも見せてもらって、1人で初舞台も遠征も不安だったし、罪悪感もあったけど、全部吹き飛ぶくらい楽しい一時でした。舞台をいろんな人に見てもらったら、舞台出のファンだってできる。でも確かに舞台でしか感じない迫力があって、ライビュや円盤では軽くなってしまうかもしれないと……悔しいけどそんなことを思ってしました。(イフオアは特に)行けるのはほんの少しで、村上さんの体調を考えたらたくさん公演するのも大変で、行けたのは宝くじにあたるくらいの奇跡だったと思ってます。少しでも行けなかった人に空気が伝わったらいいなと思います。



余談(他担がイフオアにいきたいと思うことはだめなことなのか?)

 私は村上さんの担当は名乗っていません、だから自分の名義で当てたチケットですら行くことにすごく後ろめたさがありました。でも好きの気持ちって他人と比べられるわけがなくて、私の何番目かの好きが、担当の人の最上級の好きより劣ってるとかそんなことはわからないんです。私は本当に行きたくて行って、誰かに叩かれたとしても、行ってよかったと心底思っています。
 チケットが譲られるかどうかは、譲る人次第なので、条件に担当があろうがなんだろうがいいと思うんです。絶対に楽しんでもらえる人に見てもらいたいというのは当然の心理です。ただ、私が箱推しだからもあると思うんですが、担当じゃないけどその舞台を見たくて行く人を責めないであげてほしいなと感じます。チケットが当たったことを素直に喜べないのはなんだか悲しいです。
 私の入った公演では、自転車で進む村上さんに手をのばして触れた方がいました。村上さんが怪我をしたらどうするんだと立ち上がりそうになりました。彼女が村上担かはわかりませんし、村上担に優しい人、マナーがいいひとがたくさんいるのも知っています。だからこそ、本当に大事なのは担当じゃなくて、そういうマナーを守れるか、一緒に村上さんの舞台を暖かい空気で楽しんでくれるかだと思います。私なら、好きさ余って村上さんを危険にさらすような人よりも、「すごく見に行きたいけど村上担が行くべきだろうな」と身を引いた人に見てほしいと思いました。
 行く行かない、譲る譲らない、全て当人の自由だと考えています。行きたいなら行けるように努力し、譲られなくても苛立たず、人の当選に腹をたてないように(高額転売は別です。それ目的の応募が増えるので)、そんなふうにオタクやっていきたいなと思いました。

関ジャニメンバーの愛の形について考える

※今回は特に、個人が考えたことのメモのようなものです。全ての彼らの発言を網羅しているわけではありません。
 断定の表現は避けるよう努めていますが、解釈違い等気にされる方はご高覧お控えください。
 
「愛されるよりも 愛したい本気(マジ)で」
言わずと知れた、KinKi Kidsの名曲のワンフレーズを何度も唱えていると、「マジで……?」という想いに駆られます。愛は永遠のテーマと呼ばれるように、凡人にはなかなか答えが出せません。しかし、関ジャニならば、何と答えるだろう?どういったフレーズになるだろう?恋愛、友情問わず、彼らの愛の形ってどんなものだろう?KinKi Kidsのワンフレーズを独断と偏見で言い換えてみて、なぜそれがしっくりくると感じたのかな~と考えたことを書いてみました。


錦戸さん「愛したひとに愛されたい」

錦戸さんの発言を見ていると、愛情表現に抵抗を感じない人だなと思います。とてもストレートな愛の形です。手をつなぐのも、ペアルックも抵抗が無い。毎日好きって言いたいし、キスもしたい。愛されたいとかどうのこうのより、好き!がまずどかんと来るような気がしています。

錦「「あの人好きやー!」って騒ぐからね。基本的にひとめぼれなんやけど、一度好きになったら俺からは嫌いにならへん。好きな人の言葉はすべて「愛してる」に聞こえるし」(2007)

でも錦戸さんはとてもさみしがり屋です。メンバーを飲みに誘って断られしゅんとしている錦戸さんを見ていると胸がはりさけそうになります。錦戸さんは警戒心が強いですが、心を許した人にはデレデレになってしまうし、同じくらいの愛情を求めてしまうタイプな気がします。どっくんと呼んでほしい、ドラマも見てほしい、「俺のこと好きでしょ?」に対する返答が「嫌いやないけど」だったら「何で好きって言ってくれへんの?好きって言ってほしかったのに!」とすねてしまう。好きな人に求められたい欲求も、相当強いのではないかと推測します。



村上さん「自由に愛し、愛されたい」

村上さんは互いに束縛するのを嫌いそうだな~という発言をよく目にします。そりゃあ愛されたら嬉しい、愛すのも楽しい。でもあくまで一個人としての独立性を大事にしたい。好きになるのも、好かれるのも、他人に迷惑かけない範囲で、自分も相手も自由にしてこその愛だとと思っている気がします。共依存を愛とは呼びたくないように見えます。

村「盲目な恋愛はしたくない。入りこむとフラットでいられへんから。あからさまに顔に出よるからなぁ」(2007)

自分の価値観を大切にしてるし、相手の価値観も尊重したいから、こういう愛のかたちになりそうだと思いました。相手に求めるハードルは高いですが、相手にそれを強要することはなく、それに合った相手を選ぶだけの話かと思います。とはいえ、村上さんはふと思いつきのようにいろんなものを覆してしまう気もするので、とにもかくにも自由度の高い愛の形になりそうな気がします。


安田さん「愛したい」

どストレートですが、好かれたら嬉しいな、ありがたいな、くらいしか、他人からの愛を求めていない気がします。それがもともとそうだったのか、そういう風になろうとした結果なのかはわかりません。何番目かに愛してくださいっていうのも、人からの愛を強く要求できない(しない?)安田さんの雰囲気が出てる言い方だなと思います。なにかを愛することに幸せを感じられる人だと思うので、愛されたい欲望についていろいろ語るより、まずぱっと愛したいってはっきり言うタイプに見えます。愛します!と宣言してそのまま愛してくれそうです。

安「去年の自分の誕生日に「産んでくれてありがとう」と両親にメールを送りました。ありがとうと言うのは簡単だけど、何回言っても伝わりにくいものだから、何回でも何回でも言葉にするようにしています」(2009)

一番なにかを愛することに抵抗がない人だと思います。執着はあるのかないのか分かりませんが、新年会でどっきりだとわかったときのあの表情の推移をみる限り、表には出さない、というか出したくないんだろうなと思います。


大倉さん「愛されたい」

決して愛したくない訳じゃない。嫌いな人には嫌われたって構わないという気概も持ち合わせている。そうは思うのですが、「愛したい!」という欲求よりも、「え、愛されたら普通に嬉しいやん?」という素直な気持ちを持っていそうなところに焦点を当てました。好きな人はきちんと大事にするとは思うんです。しかし「この人を愛したい!」と思って誰かを愛する人とは違うかな~と思います。自然と好きになっていた、みたいな愛し方をするように見えます。男兄弟の中で育ったのもあり、理想は高いとは思いますが、相性さえ合えばそれは覆ってしまいそう。だから「愛する」ことを意識してるような「愛したい」という言葉は省きました。

倉「プロポーズは言われたいです」(2014)

倉「守ってあげたくなるけど、僕を甘えさせてくれる、そんな子が理想かも」(2006)

無理したり苦しんだりする愛なら、しない方がいいと思っていて、穏やかな、夢のある愛を求めているような気がします。


丸山さん「愛したり愛されたりしたい」

村上さんの「自由に愛し愛されたい」との違いは、村上さんは「俺が愛したい人がいる」&「俺を愛してくれる人がいる」という印象に対して、丸山さんは「愛する、愛される」が流動的なイメージなのです。丸山さんは同じ人を愛したいときもあれば、愛されたいときもある、そういう自由さが感じられます。さらに愛に関して「~したい、~してほしい」という願望が強そうにも見えました。

丸山隆平恋人の条件
・僕が大切にしたいと思える
・僕を誰よりも大切に思ってくれる(2006)

亭主関白とはちがうんですが、愛に関してのマイルールやこだわりを強く持っているのではないかというのが丸山さんの印象です。「俺が思う分には自由だし……」くらいのちいさな欲望が、心のなかにいっぱいある気がしました。恋の駆け引きも好きそうで、とはいえふとした瞬間にめんどくさくなったりもしそうで、曖昧な流動体のような好きの形なんじゃないかなと思ってこの言葉にしました。


横山さん「愛されるより愛したい」

まんまです。これが一番似合うのが横山さんかなと思ってます。ファンサ傾向を聞く限り、もらった愛に真摯に答えてくれる人だと思います。愛されたくないわけじゃない、ないんですが、横山さん自身は、他人の愛というものに振り回されたくないんじゃないかなと思います。愛されるのは嬉しいしありがたいけど、俺の愛は「俺が」決めるっていう亭主関白さ(?)が感じられます。

【恋に落ちたらどうなる?】
横「変わらない」(2007)

横「10代の頃から常に相手のことを考えてた。自分がめっちゃ好きやったとしても相手が自分以外と付き合った方が幸せになれるんちゃうかと思ったらどんなに好きだったとしても諦める」(2015)

愛されたから好きになるとも限らないし、束縛されるのも嫌い。でも愛した人は本当に大切にします。愛されるよりも、愛したいという比較の表現がぴったりくるなぁと思いました。


渋谷さん「怖いけど愛したいし愛されたい」

安田「渋やんは愛を与えてもらったら愛で返してくれる人。素直で嘘をつかない人」(2010)

渋「僕はフラットでいたくない。フラットを保とうとしてもムリ。失恋したらしたでええやん。その気持ちを音楽に生かせば。彼女ができたらあったかいHAPPYな詞を書けるやろうし」(2007)

渋谷さんは繊細だしひとりひとりにかける愛が重めなので、いろんなことを怖いと思いながら愛し愛されてると思います。愛して依存して傷ついてしまうことは怖いけど、愛することをやめたくないように見えます。傷ついても、ひっくるめて愛って良いなぁって思える人だと思うので、愛することも愛されることも本質的には好きだと思います。「俺にはお前らしかおらんねん」と言ったり、他の人のところに行ってしまうことにおびえたりするのが渋谷さんの根っこの性質なんだろうなと感じます。今はメンバーに対しての依存度はそこまでではないかもしれないけど、それは信頼が不安を上回ったからであって、基本的に渋谷さんの愛は不安と表裏一体なのではないかと思います。丸山さんや錦戸さんのように相手からぐいぐいこられた場合も少し引いてしまう傾向にあるような気もします。少し臆病で、でも誠実な愛なのかなと思います。



恋愛にしぼらず、対ファン、対メンバー、対友人、ぼんやりとした愛の形について考えました。時間がたって変化した部分もあるだろうし、わからないのが当たり前で、でもこうやって、好きな人が何考えているのかなと考える時間は楽しいです。他人から全く愛されたくない人がアイドルになるわけがないということが、ただ一つはっきりしていることかなと思います。今後も彼らの迷惑にならない範囲で好きを発信していけたらなぁと感じる今日この頃でした。


メンバー発言はエイトの愛言葉bot様を参考にさせていただきました。

あいうえお作文で村上さんの魅力を語る

村上さん、お誕生日おめでとうございました。

もうイフオアですね。先に羊の木のこと書いてなんだか後ろめたい気分でいっぱいですが、personもようやく手に入ったのでお誕生日のあいうえお作文を完成させたいと思います。personは村上さんのファンがインタビューしてるんじゃないかと思うくらい胸に響く内容で、村上さんが好きでよかったと思うものです。村上担はもちろん、それ以外の人にも読んでほしいです。(宣伝)

 

すぶひと

昔はすばるくんに友達紹介したりとかあったようですが、村上さんは誰かと誰かを繋ぐというより、自身が誰かと縁を結ぶ人だという気がしています。色んな人の懐に入るのが上手で、屈託のない笑顔で絶妙な間合いを読む。さりげないボディタッチは性別を問わずいろんな人の母性をくすぐります。(胸キュンも誘います。)そんな姿をみていて、天然の人たらしの才能を感じます。

村上さんはなついてくれます。けれども、こっちが拒絶したらすっと諦めてしまいそうで、もし私が友人だったら引き留めていたいという気持ちにからめとられてしまいそうだなと思います。いろんな人が気づいたら村上さんに蝶々結びのような縁を結ばれているんでしょうね。

 

んにんぐからじょぎんぐへ
村上さんは最近よく地面を見ているなという気がします。今の3分4分はデビュー当時の120くらい。今はおまけ。それでもあんな仕事の量をこなしてしまうので、仕事のできる男はかっこいいなとつくづく思います。2017年活躍した勢いのまま海外へ……?という話になっても、村上さんの2018年は地固めをすることが目標だし、ロックフェスの成功のあとも「メンバーの音楽への愛が深い分、自分は近づきすぎたら駄目だと思ってる」と言います。前へ前への関ジャニのカラーの中でも一番先頭を切り開いている仕事ぶりですが、その実、一番今いる場所に踏みとどまることの大切さをはっきり説いています。他のメンバーが走る姿を見たり、後ろにいるファンを見たりしながら、誰もやってないとこの地面の整備をやってくれてるのかなって思います。あれだけ売れてても、地面を見失わないところが、私の目にはサムライに映ります。ペースメーカーのような役割を果たしてくれる村上さんがいなかったらというのは想像しがたいですが、少なくとも関ジャニはもっと不安定なものだったのではないかと感じます。

 

みさまたちのとなりで
村上さんは、渋谷さんや横山さん、錦戸さんといった東京組の中では目立つ存在ではなかったのでしょう。「勝たれへん」「俺にはなにもない」「ええなぁ」と思っていた村上さんのコンプレックスは、くしゃくしゃに放っておかれたまままだ中にあるんでしょうか。それとももう古い手紙のようになってるんでしょうか。

どこかの占いでも言われていた気がしますが、村上さんはものすごく考えてで生きているようで、とても感覚で生きている人なのかなという印象があります。もちろん努力や経験に裏打ちされたものではありますが、その嗅覚的センスは、万人が磨けるものではありません。ときに周りに合わせ、ときに誰もしていないところをコツコツ積み上げてきた村上さん。私にとっては、そんな村上さんも神様みたいにすごい人なんだけどなぁと思います。(このへんに関してはpersonが答えをくれた気がします。見てください)

 

りょくあふれるひとみ
私はもう村上さんのトイプーの次にかわいい瞳が好きで好きで好きで。曇りの一つも見えない、綺麗な目が大好きです。あの瞳に見つめられたいというより、何かを真っ直ぐに見る村上さんを見ていたいなと思います。村上さんの目には信念が宿ってるみたいで、自分の信じるものを見ようとする気迫があると感じます。鈍感と言われるのも、そういう己の気持ちが真っ直ぐな故なのかなとも思います。周りを見てフォローすることができる気配りは、もともとのものと言うよりは、おっとりとしたヒナちゃんが自分が気づけなかったことを沢山考えて学んでいった努力の成果なんじゃないかと思ってます。


ょうねんにもどるとき
村上さんは仕事ができる男で、今やツッコミやMCにも慣れて、何事にも動じない貫禄がついてきました。それはそれでかっこよくて好きですが、私は村上さんが子どものようにはしゃいでる姿がたまらなく好きだったりします。松原.が好きな理由に、少年のまま関係性が変わらないというのがあります。渋谷さんに笑ってるとき、村上さんはただただ楽しそうに笑います。そうでなくても村上さんって表情がストレートで、笑うとき全力で笑います。愛想笑いとかニヤニヤした表情はほとんどみたことなくて、嬉しそうに楽しそうに笑うから、いろんな人がもっと笑わせたいなぁと思うんじゃないかと思います。英語、歴史、経済。36歳になっても小さな新しいものをひとつひとつ大事に拾って「面白いなぁ」とはしゃいでるとき、笑ってるとき。楽しそうな村上さんと、きりっとした普段とのギャップがとても好きです。 

 

らくをつくる
バラエティもトークも、MC次第で全然空気が変わってしまいます。村上さんはたくさんバラエティやラジオのMCをされていて、一般の幅広い世代に認知されています。娯楽とは心を慰め楽しむこと。つまり娯楽の時間とは癒しの時間です。関ジャニや共演者がのびのびと番組を作れる場を組み立ててくれる村上さんは、横山さんとはまた違った立場でエンターテイメントを『作る』人なんだなと思います。

英会話はともかく、村上さんの作る笑いはfunnyではなくinterestingの方なことが多い印象をうけます。だからこそ幅広い人と調和を産み出すことができて、他人を輝かせることができるんだと思います。(ただ、英会話の何も考えずにボケたおす村上さんがとても好きなので、そういった方面での活躍の機会が増えたらなぁと思ってはいます。)

 

私はピンでの村上さんの番組をほとんど見たことがないし、周りと村上さんについて話す機会もありませんでした。他の人がいうような扱いだとかは見ないようにしているので、そういう部分からくる尊さっていうのはよく分かってないと思います。

でもそうでなくても、村上さんはとても魅力的で、かっこよくて、いつもキラキラしています。村上さんにしかできないことが、たくさんあります。ファンのこと見てくれていて、それでも自分の道を見失わないで貫く村上さんがとても好きです。

同じ時代に同じ日本に生まれてくれて、アイドルになってくれて、ありがとうございます。