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じゃにずの皆様(関ジャニ、セクゾ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

関ジャニの面白さについて考える

序論

 関ジャニの「面白さ」はプロも含め多くの方が語っている関ジャニの武器のひとつである。はてなブログでも、彼らの「面白さ」について取り上げた記事がたくさんあり、もはや「関ジャニは笑える」がファン内外の共通認識となっている。

 さて、このたびペコジャニを加え、めでたくメンバー全員が揃うレギュラー番組が4つとなった。旧レコメンヒルナンデス、ありえへん世界、CM等の傾向を見ても、メディアは関ジャニを複数で使いたがる気質があるように思う。1/∞ではなく2/∞を選択した理由も、複数での魅力を感じていたからだと推察する。個人個人の笑いやバラエティに対する能力は個別記事で取り上げていただくとして、今回は「関ジャニ」としての笑いに関して考えることをテーマとしたい。なぜ関ジャニは笑いに強いのか。「関西出身だから」で片付けず、いろんな視点から彼らの面白さを言語化することを目指したいと思う。本論では、考えた結果を7項目で示した。

 

本論 

①かっこいいから生まれるギャップの笑い

 人は予想外のことが起きた時に笑ってしまうことがある。まず関ジャニは外見がかっこいい。かっこいい人は笑いにおいても絶対的なポテンシャルを持っている。なぜなら普通のことをするということ自体が、大きなギャップになるからだ。いわば、彼ら自身がなのにさんである。ジャニーズにおいて、ファンがそのアイドルを面白くないと言っていることは極めて少ない。彼らはかっこよくて、自分とはかけ離れた世界の人のように感じるアイドルである。そのため、彼らが私たちと同じことをするだけでもその意外性に思わず笑ってしまうのだ。強面のお兄さんにかわいらしい過去があったら笑ってしまう。赤ちゃんが大人びた表情をしていたら笑ってしまう。見た目とのギャップはかっこよさを引き立てる魅力であると同時に、ジャニーズの笑いの最大の武器であると言える。

 

②笑いの万能プレーヤーたちによるチームワーク

 さらに関ジャニならではに注目しよう。彼らがあれだけグループとしての冠番組を持つ理由の1つに、グループ内での「チームワークのよさ」がある。私は関ジャニのことを、全員がボケ・ツッコミを恐ろしいスピードで回せる雑技団のように感じている。バレーボールでいえば、全員がレシーブ、トス、アタックをこなせるオールラウンダーな人たちで構成された、統率のとれているチームであると思う。

  人は飽きる。飽きさせないためには、常に新しい刺激を与えることが必要だ。7人ならば、ボケ、ツッコミの組み合わせだけでも2^7通り存在する。さらにガヤやMCなども加えていくと、無数の笑いのパターンが生まれる。MCは村上さん、ボケは丸山さん、それは一つのパターンでしかないことを、ファンは知っているはずだ。関ジャニは一つの番組、一つの回で何パターンもの笑いをくり出す引き出しの多さを持っており、その多様性がずっと見ていても飽きない彼らの魅力に繋がっていると推察する。彼らのバラエティを見ると、誰かがずっとボケだった回、誰かがずっとツッコミだった回の少なさに驚かされる。メンバー複数での番組を作る機会が多いのは、必要なポジションにいつでも誰でも収まることができる、笑いのチームワークのよさが評価されているのではないだろうか。

 一人一人ではいざ知らず、「関ジャニ」は笑いに関してだいたいのことができる。もちろん個人では得意不得意はある。しかし7人いれば、誰かが多少苦手な役回りをやったのとしても、誰かが補って笑いにかえてくれる。例えば錦戸さんは、MCが苦手である。個人では「できない」の部類に入るだろう。しかし関ジャニの中では、時にツッコまれ、時にサポートされ、いつのまにか愛されMCができているように見えるのである。バラバラで個性が強いと言われる関ジャニも、笑いに関して言えば、恐ろしいくらい統制のとれた、器用なグループのように映る。

  そもそも7人もいれば、極端な話、ゲストがいなくても番組を構成できる(※これは可能・不可能の話で、ゲスト不要論とは全く別の話である)。笑い役、回し役、ボケ、ツッコミ、まんべんなく一通りの役をふって、バラエティ番組を構成できる人数。そしてそれを実際に可能にしてしまう関ジャニのお笑いポテンシャルは、とても高い。

 

③同じ役割での多重奏

 そんないろんな分業ができる一方で、全員が同じ役割をしていても、人数が光っていると感じることがある。ジャニ勉などのトーク番組を見ていて感じる人数の強みは、ツッコミもボケも、やりすぎだと思うくらい被せることができる点だ。例として、ジャニ勉のRIKACOさん回で、丸山さんの理想の女性のファッションを描いた絵が出た時のメンバーの反応を取り上げよう。 

丸「俺はぁ、イメージ中山美穂さんみたいな」

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倉「何これ!?なにこれ?!」

安「なんやこれ?」

村(頭はたく)

村「(俺が描いたのより)お前のがおかしい!」

安 (絵のポーズを真似する)

横「ちょっと中山美穂さんに謝ってくれへん?」

倉「後ろに田んぼが見える」

渋「メキシコ人や」

横「メキシカンや」

村「テキーラやもう」

倉「テキーラやあっはっは」

横「『ここ』って何!?」

村「『ここ』って何なん?これ」

丸「鎖骨がちょっとこう~…見えるファッションがいいってこと」

亮「おかんの?!」

倉「おかんやん」

安「おかんやで」

亮「おかんの??!!」

 この一連の流れは約25秒という短さで行われている。丸山さんのボケに対し、まるで童謡「かえるの合唱」のように少しずつずらして、恐ろしいスピードで皆から重ねられるツッコミはまさに圧巻だ。驚くべきことに、この短い時間で6人全員がツッコミに参加している。頭をはたく、動作を真似するなど動きにも富んでいる。

  人数が多いと、それだけでツッコミが豪華になる。楽器が多い演奏と同じである。関ジャニは、一歩間違えば単調になりがちな多勢でのツッコミを、話し方や人を変えて重ね合わせることで笑いに繋げている。ボケに関してもそうだ。ゲストFUJIWARAのジャニ勉において、芸人さんと共に流麗なボケのラリーを成立させたのは記憶に新しいところである。ブレーキを外して暴走するとなれば、全力でのるノリのよさと敏捷性の高さ。ミルフィーユのように重なりあうボケはいつ見ても楽しい。

 

④第三者なのに一体感

 次に嵐やセクシーゾーンを見たときの私自身の笑いの感覚と比較して捉えてみようと思う。嵐やセクシーゾーンは5人である。当たり前だが、人数が関ジャニより少ない。そのため私は5人を見て笑っているときに、ツッコミだったり、ガヤだったり、「その笑いの中にいる何者か」になることとなる。時に彼らのボケにツッコみ、時にシュールな状況に笑うガヤとなる。一方、関ジャニは私という存在をほぼ必要としない。私は関ジャニを見て笑う際、関ジャニという映画、漫画、アイドルを見て笑っている第三者の自分になっているような気がする。ボケもガヤもツッコミも、7人で勝手にしてくれる。もちろん参加型の5人の笑いも好きだ。しかし関ジャニの笑いはかなり自由で、観賞型の気楽さがある。

 このように関ジャニはファンを第三者目線にさせがちだが、不思議と疎外感を感じさせない。笑いには笑いを呼ぶ効果がある。誰かが笑ったら自分も笑ってしまう、いわゆるつられ笑いである。関ジャニさんの会話の中では笑い役というのが大抵一人は存在する。周りが引いても冷めても笑える人である。たいていの場合は大倉さんだ。彼の笑いは、すべりすらオチに仕立て上げる功労者といえる。ファンの贔屓目をもってしても、笑えない時もある。そんなときも大倉さんは大きな声、大きな口で軽快に笑ってくれるので、周囲のメンバーも私自身もつられて楽しくなってしまうのである。

 笑いはある種、話の締めである。だから「面白かった」という感情で、一つのコントを締めることができるのはとても重要なことだ。前述のとおり、関ジャニを見ているとき、私はだいたい外から見ている。しかし彼らの笑い声が、自分の手を引いて、最後には笑いの中へ引っ張ってくれるので全く寂しくはない。

 

⑤下げないのではなく下げて上げる

 さて、関ジャニの笑いは人を下げないから気持ちがいいという意見を聞いたことがある。他の笑いに詳しいわけではないが、もう少し掘り下げていえば、「関ジャニ」としての笑いは、下げないのではなく、下げても上げることができると言った方が適切かと考える。いじりと下げるの境界線はあいまいである。関ジャニが全く人をいじらないかと言われると、そんなことはない。むしろ全力でいじる方向性のグループだ。ただ、誰かが下げたところをすっと戻す人が必ずいる。大抵はヨコヒナ、時にヤンマー。相手が反論したいところ、不快に思うことを代弁してフォローしてくれる人がメンバー内に現れる。全員でいじることも0ではない。しかしテンポがいいからか、引きにもっていくコメントを出すタイミングが比較的早いように感じる。空気が読めないように見えて、実は空気が読める人が多いのではないかと思う。そのため、ボケの役割のときに全力でボケれる人が生まれ、おもしろくなるのだと考える。

 

⑥普遍的な笑い

 関ジャニの笑いは男子高校生の笑いである。日常的で、誰もが学生時代の同級生を思い出してしまうような笑いだ。「こないだこんなことがあった」「昔こんなことがあった」という思い出話から、今その場で起きている事象で単純に盛り上がったりする。つまり、関ジャニの笑いは、「知識を前提とする笑いが少ない」ということである。私には、芸能人の話も時事問題も流行も音楽もスポーツも、とにかく知らないことが多い。そんな私が見ても、関ジャニトークやバラエティは笑える。知識が要らないからだ。古くもならない。

 関ジャニの笑いは女子高生の笑いではない。下ネタが多いからというわけではなく、仲間内での「同調の少なさ」にそう感じるのである。もちろん、誰かが何かを意見したとき、同調する人もいる。しかし誰かしらがツッコミという形で反論する。それゆえ関ジャニトークは盛り上がり、多彩な意見が出る。見ている私たちも誰かしらの意見には自己投影ができ、疎外感もなくなるのではないかと推察する。

 アイドルにおける笑いは難しく、ファンの、「彼らのことを話してほしい」という要望は身内ノリの強さに繋がりかねない。だがクロニクルや関パニで見る彼らは、なんの知識も持たない視聴者と同じ環境(のようなノリ)でその場の物を使って即興的な笑いを生み出す。そのテンポのよさは、いきなりドッヂ、ト書きクロニクル、成立させろ記者会見、英会話伝言ゲームなどに見られるように、台本を感じさせない。バラエティ番組のレポを書く際、皆さんはだいたい面白かったネタを抜粋して書くと思う。関ジャニはものすごい速さでネタを連発するため、むしろネタじゃない時間帯がないのではないだろうか。実際、私はレポを書こうとすると、ただの文字おこしになりがちである。

 

⑦切磋琢磨で磨かれた彼らの笑い

  関ジャニは、お互いがお互いを、おもろいやっちゃなと思っている雰囲気がある。関ジャニに限らず、大阪の人(関西の人)は基本そうなのかもしれないが、私からすれば「全員、メンバーの無茶ぶりを断らない」というのもなかなかすごいことのように思う。無茶ぶりが苦手な錦戸さんですらもメンバーからふられたら断らない。言われたら5秒以内にやる。寝起きどっきりも、取り合いメイキングも、瞬発力高く応じている。

 彼らがなぜ面白くなったのか考えたとき、もちろんバラエティをがむしゃらにやってきた彼らの努力と、センスが花開いたというのが大部分の理由だと思う。しかし、テレビの前だけではなく、楽屋でも互いを笑わせようとし続けてきた、そんな純粋な笑いへの欲望が彼らの笑いのレベルを引き上げているような気がする。関ジャニはお互いを笑わせた時に本当に嬉しそうな顔をしている。松原.の手紙にもあったように、友達が笑ってくれる喜びが彼らの笑いの根底にあったならば、ファンとしてこれほど嬉しいことはない。

 

結論

 以上のように、関ジャニは(無意識、意図的はさておき)とてもレベルの高いことをしながら、私たちに単純な「笑い」を提供してくれているのだと思う。the MANZAIに出てくるセリフで「おもろい奴が一番やないか」というセリフがある。ずいぶん前に読んだ本だが、最近は関ジャニを見るたびに私の心の中によみがえる。関ジャニの笑いは決して上品な笑いではない。しかし、大衆娯楽のように、大きく口を開けて笑えるようなバラエティが関ジャニのなによりの魅力であり、デビュー前から大切にしてきた武器である。その武器で更なる道を切り開き、アイドルの金字塔を打ち立ててほしい。