じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

アイドルというトゥルーマンショーについて考える

関ジャニすげーすげーなんでだろー!系の記事ではなく、個人の感想チラシの裏ですので、他の記事との温度差で風邪を引くかもしれません。マジでマジで個人の思ったことを書いただけなんでわたしの脳内が知りたい方だけそっと読んでもらえればと思います。メモで~す。

 

 

 最近ジャニーズとして、内容の違いはあるとして、ファンが悲しむ大きなニュースが多かったですね。そのなかでよく「永遠なんてない」「未来のことはわからない」なんてことも言われるし、自分もたまに呟いたりするのですが、それ自身は単純な事実です。

 あまりにいろんなことが同時期に起きたので、運命性や物語性を感じて、感動というか感銘というか、とにかく心が揺さぶられてしてしまうことがあります。しかし一方で、それは他人の人生をエンターテイメントとして消費してる浅ましい行為だと感じる人もいます。いろんな意見が流れてくるなかで、わたしはふとトゥルーマンショーという映画を思い出しました。

 

離島・シーヘブンで、保険会社に勤めるトゥルーマンは、「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」が口癖の明るい青年である。彼は生まれてから1度も島から出たことがなかった。それは、父と一緒に海でボートを漕いでいたときに「嵐が来るぞ」という父の警告を無視して船を進め、嵐を回避できず海に投げ出された父親を亡くしたことで、水恐怖症を患ってしまったためであった。

 

ある日、彼がいつものように新聞を買ったあと、雑踏の中ひとりのホームレスの老人とすれ違う。それは幼い頃、海に沈み亡くなったはずの父親だった。しかしその直後、老人は瞬く間に何者かに連れ去られてしまう。彼はこの出来事をきっかけに、自分の周囲を不審に感じ始める。(以下引用文はwikipediaより一部改編)

 

現在Amazonプライムで無料で見れるのでちょっと面白そうだなと思ったら見てみてください。以下にはめちゃくちゃネタバレを含みますのでご注意下さい。

 

 

 

 

実は、トゥルーマンは生まれたときから人生の全てを24時間撮影されていた。彼はアメリカ合衆国民ですらなく、彼の人生は全てそのままリアリティ番組トゥルーマン・ショー』として世界220か国に放送されていた。彼の住む街は万里の長城に匹敵するドーム内に作られた巨大なセットで、太陽や月、星々も機械仕掛けの照明装置に過ぎず、雨や雷鳴などの気象も人為的なものであり、そして何よりトゥルーマン以外の人物は全て俳優なのであった。もちろん死んでしまったという父も本当の父ではなく俳優であり、父親役の俳優は実際は死んでおらず、のちに感動の再会を果たすことになる。

 

妻との乾いた生活の一方で、トゥルーマンは学生時代に出会ったローレンという女性のことが忘れられないでいた。当時ローレンは、虚偽の世界に生きる彼を思い、「ローレン」とは役名で本名はシルヴィアであるということ、そしてこの世界が全て偽りであることを伝えようする。しかし「シルヴィアの父」を名乗る何者かによって阻止され連れ去られてしまう。「島を出るのよ!私を探して!」。ローレンのこの言葉を最後に、それ以降トゥルーマンと会うことはなかった。

 

自分の世界に疑念を深めたトゥルーマンは妻の働く病院に忍び込むが、そこでは素人同然の医師たちによる手術が行われていた。医者も偽物なのだと気づいたトゥルーマンは妻を連れて島からの脱出を考え、ローレンがいるというフィジー島へ行こうとする。だが、不可解なトラブルが続発して島の外に行く事ができず、さらに会ったことのない人間から「やあ、トゥルーマン」と呼ばれて混乱に陥る。脱出に失敗し落ち込むトゥルーマンを慰めようと、マーロンが死んだはずの父との再会を演出する。テレビの前の視聴者達は感動に涙するが、トゥルーマンはそのわざとらしさから島が作り物の世界であることを確信する。

 

やがてトゥルーマンはカメラの目を盗んで自宅の地下室から脱走し、ボートに乗り込んで島の外へと漕ぎ出す。トゥルーマンの行動に気づいた番組プロデューサー・クリストフは、トゥルーマンを救おうとするシルヴィアの制止を振り切って、トゥルーマンを嵐の中に放り込む。水恐怖症を克服して世界の端まで向かうトゥルーマンを、視聴者達はかたずを呑んで見守る。

 

ついに世界の端にある扉にたどり着いたトゥルーマンに、放送室にいるクリストフはマイクを使って話しかける。生まれたときからトゥルーマンを見続けてきたクリストフは、トゥルーマンを我が子のように考えていた。トゥルーマンは知らない世界に足を踏み出すことはできないだろうと確信しているクリストフは、「君はテレビのスターなんだ、何か言えよ!」と言う。するとトゥルーマンは突然カメラに向かって笑顔を見せ、いつもの調子で「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!」と言い放つ。唖然とするクリストフを尻目に、トゥルーマンはセットの外の世界へと踏み出し、画面から去っていく。


 SFチックな設定で、かつエンターテイメント性に満ちた、心揺さぶられる映画に思えます。最後は思わず視聴者といっしょに拍手喝采したくなることでしょう。しかし今のわたしがこれを見ると、どこか不思議な感覚にさせられるんです。感情は動くものの、一枚フィルターを介して登場人物を見ているような変な気持ちになるのです。

 わたしが以前中学生くらいの時にこの映画を見たときは、主人公の立場にたって見ていました。周りの人たちが宇宙人だったら?と似たような妄想をしてはワクワクゾクゾクしていました。ただ、アイドルを見ている今、わたしはなんとなく主人公にアイドルを、視聴者に自分を重ねている気がします。

 わたしはアイドルが見せてくれる彼らの人生を見て自分が楽しむことについてはあまり罪悪感は抱きません。彼らの歌も顔も演技も好きですが、やっぱり彼らの生きざま、姿勢に何より心動かされています。この映画の主人公とちがい、アイドルはその生きざまを見られてることを自覚し、見せてくれています。くれるものをありがたいとはおもっても、それを申し訳ないからと拒否する必要はないと感じています。

 ただ、一方で、この映画には他人の人生をコントロールすることの傲慢さもうつされています。プロデューサーは主人公と彼が一目惚れした女性を引き離します。脇役だから彼と結ばれてはいけないと設定付け、自分が選んだ女優と結婚するという筋書き通りに彼の人生を変えようとします。また、スタジオの外に出ることもあらゆる手段で封じ、箱庭のなかで彼の人生をコントロールしていきます。実際にファンはアイドルに対してそんなことはできませんが、声が大きくなればできてしまうかもしれませんね。

 

 厳密にはこの映画の主人公とアイドルは違います。アイドルは自覚してその仕事を選んだわけで、何も知らない主人公とイコールで結びつけるわけにはいきません。しかしトゥルーマンショーに写るのはその人の『人生』という演目です。他人の人生にああしろこうしろと要望をつけるプロデューサー、勝手に他人の人生を評価する観客。あなたはそうなってはいませんか。そういう人は、他人にはこう映るのですよ、と少しの皮肉がこもってる映画なんじゃないかと思います。それは、アイドルの生きざまを見る自分にはなかなか突き刺さるシーンなのです。

 この映画はそういった視聴者やプロデューサーのエゴをが悪い良いを押し付ける映画ではないように見えます。一面の事実を淡々と見せ、わたしたちの反応をじっとうかがってるような、どうとでも受け取れる映画です。ただ、ここではっとして立ち止まったとき、この映画は単なる面白発想のSF映画という皮を脱ぐのだと感じます。

 ツイッターにいるとプロデューサーになりそうなときがあります。ファンの単純な感想が、拡散され圧力をうみ、アイドルの人生を、アイドル本人が望んでいない方向に変えさせてしまうかもしれません。視聴者として個人の感想はあって当然で、それを言論統制するのは違うと感じているものの、その人の『人生』に注文をつけるプロデューサーにまでなってしまったら、わたしはファンとしての自分に耐えられません。

 最後に印象的なシーンがあります。

視聴者たちは『トゥルーマン・ショー』のエンディングに拍手を送った後、「次の番組はなんだ?」とチャンネルを切り替える。

 勝手にすきになって、さっきまであんなに熱狂してたのにあっさり離れていく。そんなファンの熱くドライな一面を見ているようです。

 アイドルはある種のトゥルーマンショーだと思います。そして、関ジャニ7人のトゥルーマンショーは終わってしまいました。

 わたしは会見で「あぁすばるくんってこんな決断をしてしまえる人なんだ」と思い、その不器用で身勝手で、でもとても強い人間の決断に心動かされました。それからアイドル関ジャニとしての最後の一日までを見ていて、すばるくんの全部が好きだなぁと思いました。このあいだのツアーが、もし7人のツアーだったとしても、こんなにすばるくんのことを好きだと思っていたかわかりません。7人のことがずっと好きだろうなと思わせてくれたのは、彼らのアイドルとしてのパフォーマンスというより、見せてもらったトゥルーマンショーのおかげだという気がしています。

 例えるならば、わたしは今、6人のトゥルーマンショーを見ているかんじです。たまに7人のトゥルーマンショーの録画を見返して、すばるくんのトゥルーマンショーを少し、期待しています。7人がないから、終わってしまったから、代わりに6人を見ているだけの視聴者なんだと心のどこかで思っていて、そんな自分に後ろめたさがありました。いっそわたしも燃え尽きてやろうとできるだけ現場に行って、フォロワーさんに会って、観賞会をして、書きたい記事を書いて、企画をやって、この数ヵ月はアイドルオタクの終活か?ってくらい充実していました。

 6人を見て足りないという気持ちも、赤がないことに対する不満もありません。楽しい、応援したい気持ちに嘘はありません。ただ、すばるくんがいる7人の形が、わたしのなかでは一番『好き』なんだろうなって、確信に近い気持ちがあります。6人ひとりひとりの記事はかけても、6人の関ジャニの記事は書けないかもしれない。そんなオタクが関ジャニを応援しても良いんでしょうか。過去の自分は「今を一番応援できなくなって懐古厨になったら離れた方がいい」って思ってたんです。今のわたしは今を応援したいんですよ、けど7人が好きなんですよ。すばるくんが好きなんですよ。難しいですね。難しくしてるのは自分自身なんですけど。

 SNSをやってると、いろんな意見に流されそうになります。でも結局はわたしは関ジャニトゥルーマンショーがまだまだ見たい。オタクのエゴも、チャンネルを変えるリモコンも持ってるけれど、「まだ見ていたいな、もう少し見たいな」と思うシンプルな気持ちを見失わないよう、わたしから関ジャニやすばるくんへの感情の間に、他の人の感情のフィルターをかけてしまわないよう、世界の隅っこで彼らのファンでいたいな、今日はそんな風に感じています。

 今日という日、結成記念日、関ジャニ初の海外公演日、すばるくんの誕生日、わたしはすばるくんと関ジャニが好きでした。それがたまらなく幸せです。そんな日の連続でいいんだと思います。

 はぁ、7人が好きだなぁ。アイドルになってくれて、人生を見せてくれてありがとう。