じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

同じ時代に生まれてくれて、アイドルになってくれてありがとう

 

 これはツイッターもといはてなブログに生息する関ジャニオタクブロガー(?)としての遺書のつもりで書きましたが、担降りとかではありませんのでご安心を(?)

 

 本日錦戸さんの脱退が発表されました。わたしは脱退の文書の簡潔さよりも、もう既に5人になっている連名よりも、ああようやく介錯してくれた~ってことに安堵してしまいました。しんどかったなあとか、これで楽になれるとか、そういう自己中心的なオタクで、でも本当にしんどかったんです。これは渋谷さんの脱退を経験したからじゃなくて、6人の関ジャニに去年あれだけ心を揺さぶられたオタクだからです。しんどくてしんどくてあーはやく関ジャニオタクとしての自分をころしてくれ~ってこの6カ月くらいずっと思ってました。もっとライトな関ジャニのファンになりたかった。何も考えずにコンサート行って、知らない曲もちょっとあるけど楽しくって、またいきたいね~って言うくらいの気楽な気持ちで見たいなって、少しの気持ちがどんどん膨らんで、楽しいより辛いが大きくなっていた数ヶ月でしたね。タイムラインには、何かを言おうとしては我慢して、ポジティブに折れないように頑張っていたひとがたくさんいて、そういう優しさのおかげでなんとかタイムラインに生存していました。

 

 ご覧のとおり、関ジャニだけでこんな数ブログ書いちゃうくらい関ジャニが大好きで大好きなオタクです。今だって錦戸さんと渋谷さんと関ジャニが大好きで、尊敬してます。鉄アレイなんてもんじゃない。

 この数ヶ月の関ジャニとしての活動の少ない静かな期間、最初の1,2カ月は「いいよいいよこんなに円盤あるんだもの!見て待ってるよ!6人になったばかりで大変だもんね!」と待ってはいたものの、いつまでたっても指針は聞こえてこなくて、GR8ESTでやっぱり関ジャニはまだまだいける天下を取れると思って6人の箱推しになったわたしの熱意がからまわりして「あれ?おかしいな?」とずっと悶々していました。「今を見てください」という彼らの今が見えなくて不安で、一人一人の意思はときおり見えども、関ジャニとしてのなにかがずっと見えませんでした。こんなオタクはいつかその幻想を押しつけて、関ジャニに不満を持って、そんな自分を抑圧して、どんどん愚痴アカウントみたいになってしまうんじゃないだろうかと気が気じゃありませんでした。かといって宗教的にのめり込んだ時のリスクもわかっていて、このままではまた依存してしまう、なんとかしなきゃと他のグループのコンサートに行き、Jr.を覚えてみたりして、でもやっぱりわたしは関ジャニがいい、を繰り返しました。関ジャニを好きになったこと自体は何一つ後悔していません。得られた幸せの方が絶対大きい。でもわたしは、もうアイドルをここまで好きになりたくないです。ファンの争いにも、好きな人が辛く言われる世界も悲しくて、いつのまにかアイドルオタクのど真ん中にいた自分は身動きが取れなくなりました。

 

 他のアイドルグループにはぱっと好きになれる子がいました。だいたいこのグループだったらこの子かなって。でも関ジャニは決められなかったんです。揺れてもまた戻っていく。あの子もいいよねこの子もいいよねって、ここが違うから関ジャニは面白いよねって、そのバランスが好きで、だから担当を聞かれるたびに困りました。コンサートでは近くに来た人とか、その日楽しそうにしてる人だとかを見たり、会場全体をぼーっと見たりしてます。そんなオタクでも関ジャニは楽しませてくれました。関ジャニって本当にすごい、意味が分からないくらい物語的なグループ。熱くて、型破りで、いつも驚かせてくれた。予想通りにいったことなんて片手で数えられるくらいだった。箱推しとして、関ジャニ以上に心が揺れるワクワクするグループはないと思いました。

 

 同時に箱推し、渋谷さんのとき身がちぎられるほどしんどかったです。だって渋谷さんだって大事なのに、昨日までみんなでかっこいいねって話してたのに、今日は渋谷さんを好きな人と責める人に分かれていて、わたしはどっちも同じくらい好きで、どこを向いたらいいかわからなかった。あのときは関ジャニが渋谷さんの方を向いてくれました。ありとあらゆる方法で渋谷さんを守ってくれて、最後はみんなの総意だってはっきりわかったから渋谷さんを見送れた、両方とも応援することができました。あのあと関ジャニは倫理という記事を書きまして、今でもその思いは変わっていないのですが、わたし自身は関ジャニをどこまで関ジャニとして応援できるんだろうなって少し思っていました。人間が義手をつけてもそれは人間だけど、臓器や、身体をどんどん機械に入れ替えていったとき、どこまでそれを人間と呼ぶことができるのかみたいな話を聞いたことがあるんですけど、うん、なんかその話と関連してそんなことを思います。

 

 またわたしの好きな関ジャニはバラバラになってしまう。箱推しはどこを向けばいいんでしょう。一番人数の多い方?関ジャニと名前の付く方?一人になった方は大丈夫なんだろうか?関ジャニとしての意思は本当にそれでいいの?わたしはそれを信じればいいの?あんなに楽しく何も思わずにファン同士話し合っていた日も無くなっちゃいます。ファンもバラバラになってしまう、とてもとてもさみしいです。この半年タイムラインからどんどん人がいなくなって、共有できることがなくなって、それでも関ジャニに楽しい発表があればきっとみんな遊びにくるんだろうと思ってアカウントにいました。渋谷さんを悪者にしないでくれた関ジャニを応援しなきゃって、全部わたしが勝手に課して、勝手にしんどくなりました。だからはやくもう関ジャニ介錯してほしかったんです。

 

 それぞれの人生の自由があるって、他人のことは変えられないって、そういう少し冷めた考えをずっと心に持ってます。でも関ジャニという「グループ」にだけは夢を押しつけていました。だからそんな他のグループでもありえそうな、あたりまえの不仲による脱退解散なんてしないでほしいと願ってました。

 

 今回のことは、なんなんでしょうね。なんで錦戸さんの名前を言えないんでしょうね。なんでこんなに慌てて出ていくんでしょうね。純粋によくわからないことが多くて、それはまだ少しもやっとしてます。けれども十五祭で楽しそうにミニゲームやMCに参加してた錦戸さんを見ていると、週刊誌の推測に書いてあるような不仲なんてもので片付けられる理由ではないんだろうなって思います。もう好きとか嫌いとかを越えた仲というのは、そりゃあ二十年も過ごせばそうだろうと思います。単純にわからないことは気持ち悪いので、これから答えを教えてもらえるといいなと思ってます。

 

 渋谷さんのことを経験して永遠なんてないとわかっていたから、覚悟はしていたけれど、47をこのタイミングでもう一度するというのは予想していませんでした。関ジャニってやっぱすごいなと。もはや怖いですよね、本人たちも立ち止まるのが怖いんだと思います。なにがなんだかわからなくて、もう自分も関ジャニも狂ってしまっているような気もしています。ハイになっている人、怯えている人、なんだかいろんなことがめまぐるしいものの、ただひとつ、善悪ともかく、関ジャニはすごい、と思います。こんなグループ間違いなくもう出てこない。関ジャニって人生削って命がけで心を動かしてくるアイドルなんです。ちゃんと実力もあるのに、宗教的で怖いからって言われて避けられてしまうのは悲しいけれど、でもまだ音楽もバラエティも見ていないのに、5人になってもついていきたいって思わせるのはやっぱりそういう人心を動かす力によるんでしょうね。47、いろんなところでおいしいもの食べて、ファンの顔を見て、アイドルを選んでよかったなって思ってほしいな。

 

 47やるって聞いて、やっぱり関ジャニは馬鹿だなあ好きだなあと思った馬鹿なオタクなので、ツアーは行く気満々です。5人には関ジャニを無くさないでくれてありがとう、不安だってわかり合って笑ってたいね、って思います。ただ、わたしはこんなとき、一人になった方を心配してしまいます。錦戸さん、あんなに寂しがりで関ジャニが大好きだった人が、決意の姿も見せずにいなくなってしまうから。渋谷さんの脱退の時は三日くらいほとんどなにも食べなくて、関ジャニに金のいくものしか食べたくないって思ってチョコモナカジャンボとクラッカー食べて生きていたのを思い出しました。今日はハンバーグ定食を見て(亮ちゃん……)と思い、隣のタブにあったしょうが定食を見て(亮ちゃん……)と思い、結局唐揚げ定食を食べました(これも亮ちゃん……)。DVD屋にいったら羊の木がランキングにあって、なんだか誇らしくて寂しかったです。錦戸さん、寂しいですよ。やっぱり7人じゃないとって思いましたか?わたしは7人箱推しで、すばるくんすばるくん言ってましたけど、6人の関ジャニ、めちゃくちゃかっこいいなって思いましたよ。

 

 ああ、まだまだ関ジャニのすごいところ話したかった。6人の関ジャニのすごいところ、もっとみんなに知ってもらいたかった。いや、でも引かれるかもしれないから、やっぱりそれぞれに関ジャニを見て、関ジャニを知ってもらいたいな。8人と7人と6人の関ジャニは間違いなくかっこよかったから。それは本当に嘘じゃない、嘘なんか何もありませんでした。ずっと夢見させてくれてありがとう。

 

 そんな優しい彼らのくれるものを楽しみたいから、わたしはSNSで何か義務感に追われるようにファンをするのをやめたい。違う意見に心乱されるのもやめたい。お花畑のファンを貫きたいと思います。そのためにはわたしのアカウントもブログも少しだけ重荷のようになってきました。また別のどこかで文字を書いているとは思いますが、関ジャニが十五祭で区切りをつけたように、わたしも一旦区切りをつけたいなと思いました。

 

 ああ楽しかったな、楽しかった、大人になってできた青春のすべてでした。ありがとうございました。