関ジャニの冠番組について考える
人がジャニーズに興味を持つきっかけはなんだろうか。音楽、ドラマ、映画、ラジオ。何に魅力を感じるかによって、それは様々だと思う。しかし興味を持つ前に特典のついたオタク向けのCDを、ファンクラブに入っている人しか取れないコンサートのチケットを、手に入れる人はごく少数であるはずだ。(布教者によって手に入れる人もいるかもしれない)
ジャニーズの界隈はとても閉鎖的である。入ってしまえば楽しい。自分が好きな人の魅力を同じようにわかり会える人たちがネット上にはたくさん存在する。ただ、その閉鎖的な世界に足を踏みいれるきっかけ自体は、私たちの日常と繋がっていることが多い。ジャニーズのグループからグループへ移る人たちは「男性アイドルにはまる自分」には抵抗がないかもしれない。しかし、そうではない私にとって、日常との繋がりなしにいきなりジャニーズにはまることは、至難の業だったと思う。
現在関ジャニを冠し、関ジャニとして持っている地上波の番組は4つである。私たちはお金を払わずに毎週新しい彼らの姿を見られる時間が保証されている。あまりにも、特に箱推し勢にとっては、福利厚生が過ぎやしないだろうか。ローカル番組が多いことを考えてもお釣りがくるのじゃないだろうか。*1
今回そんな4つの番組の特色や魅力について考えて、自身の幸せについて鑑みていこうと思う。
ジャニ勉
今年のジャニ勉のニュースはなんといっても大幅なリニューアルに尽きる。2007年5月2日の番組開始から10周年を迎えた第496回、ジャニ勉は番組スタイルをガラリと変えた。このとき500回記念八丈島はどうなると不安に駆られたが、案の定現在まで行われていない。*2
「今」を肯定していくオタクとして生きていきたい私だが、正直に言えば旧ジャニ勉が好きだった。番組自体のゆるい雰囲気も、ミニコーナーのテロップやセットのダサさも、毎回異なる私服のような衣装も、日常のすぐそばにあるような温かい雰囲気も好きだった。ゲストが話している間も後ろで別の話に興じたり、じゃれあったりしている彼らの姿を、ストーカーさながらに探し回り、その自然な関係性に心躍らせた。(テロップ素材も豊富だった。)既に身内では安心安定のジャニ勉として定着していたものを壊すことに、手放しでは喜べなかったファンも多いかと思う。私は失って初めて日常の大切さを知った。
新ジャニ勉には、指差し道、2/∞とオタク心くすぐるミニコーナーもあるが、肝心の本編はかたい会話になりがちな印象を受ける。「ゲストから学ぶ」ことがコンセプトだったはずのものを頑固道と切り捨て、主張を連発するがための圧の強さ、あまり興味をそそられない一般人の頑固道。ソファが仕切られているために、いちゃいちゃがとんでもないレアシーンになっていることも個人的には悲しい。身体の向きが近かっただけで一日中そのシーンを再生するなんて、旧ジャニ勉では考えられなかった。
しかし彼らもといスタッフは番組一新という形に踏み切った。クロニクル、関ジャムといった番組が台頭する中で、ジャニ勉だけが長寿ローカル番組という地位でやっていくということも(少なくともしばらくは)できたはずである。けれども、2017年の関ジャニの挑戦性に見合うように、ジャニ勉も躍進目指してその地位を捨てた。私服もテロップもいちゃいちゃも捨てた。製作者側から見たジャニ勉の強みは『トーク』だった。彼らのゲストを不快にさせないトーク力、自分たちで会話を作る、回すという感覚は、ジャニ勉無しには育まれなかっただろう。関ジャムが音楽、クロニクルがバラエティ、というように、ジャニ勉はトークに的を絞ってスペシャリストになろうとした、もといしているのだと思う。十年も続いてきた番組、それでいて変化を恐れない番組。「前の方が良かった」と嘆く思いが皆無とは言えないが、来年再来年にもっと良い方向に進化していくことを見守っていきたいという心境である。
関ジャム
関ジャムは全国規模で放送されている番組だ。日曜の深夜というサザエさん症候群もびっくりの時間帯だが、それでも夜な夜なオタクが引き寄せられる魅惑の番組である。
関ジャムの2017年ニュースはなんといっても番組名を冠したアルバム発売とツアー開催だ。私は音楽を知らない。ピアノを習っては発表会が嫌で辞めるということを幼少時に3回繰り返して以来、楽器というものに触れていないし、曲解説の文章も「……なんかわからないけど良い曲なんだな!楽しみ!!」というハッピーな思考回路で読んでいる。そういう私にとって関ジャムは世界一受けたい授業の音楽の時間だ。音楽の専門知識はなにもないけど、それを馬鹿された気分を味わったことが一度もない。ジャンルは幅広く、出ているゲストも楽しそうに嬉しそうに話をしていて、音楽の幸せを体現していると思う。
ジャムセッションほど関ジャニのファンは恵まれていると実感する瞬間はない。あのアーティストの歌を歌ってほしい、あのアーティストとコラボしてほしい、そんな要望は関ジャニファンにとって十分に現実たりうることだ。夢の時間が毎週やってくることが冷静に考えると異常で、その事実を見つめなおす時、私は毎回胸の奥が熱くなってくる。ジャムセッションは、音楽に対する関ジャニの瞬発力と応用力の高さで成立している。あんなに他の仕事をこなしながら、他人の曲を弾けるようになって、彼らは私たちに夢を魅せてくれる。そういう彼らを見ていると翌日の月曜日がナンボのもんじゃいという気になってくるのだ。*3
コラボだけでなく、楽曲提供が盛んに行われた今年。アルバムジャムは本当に豪華であった。関ジャニの人柄や姿が映るような曲が多く、ジャムでの人のつながりを感じさせた。鳶谷さんの曲DO NAIや、岡崎体育さんのえげつないはまさにそういう想いに応えた曲だと思う。この番組が無ければ今年のメトロックへの参加もバンドへの高い評価もなかっただろう。関ジャニの音楽は今や関ジャム無くして語れない。
彼らがメトロックでアイドルバンドとしてのNOROSHIをあげたとき、「アイドルなのに」という評価が不満だという言葉が渋谷さんから漏れた。しかしジャムで共演した人たちは確実に「アイドルなのに」というところから、「アイドル」自体を尊敬するようになっていく。アイドルのすごさ、音楽のプロのすごさ、互いに対するリスペクトが、2018年も美しい形で連なってジャムになっていけばいいと思う。
クロニクル
ギャラクシー賞の受賞に、特典としての撮り合いメイキング。SNSでのパスポート取りたいんです。今年もクロニクルは躍進した。一般人が何かを好きになる時、やっぱりバラエティがその普遍性から受け入れやすいのではないかと思う。何を隠そう*4、私自身が関パニというバラエティで関ジャニにハマったオタクである。
私が特に好きなのは、英会話伝言ゲーム、いきなりドッヂ、イケメンカメラ目線スポーツ、VSプロスポーツ選手等々、まあだいたい全員出ている企画なのだが、一番好きなのが「なんとか成立させろ記者会見」である。即興で応じなければならないというところは、トガキに通ずるものがあるが、こちらはトガキすら自分たちで作らなければいけないようなものである。彼らは面白い。単純にドッヂボールや伝言ゲームをやっているだけで自然な笑いが生まれる。しかし、なんとか成立させろは限られた条件下で、瞬時に、自分たちの組み立てで、面白いことを言わなければならない、と実は多くのことを要求されている点で、別角度から関ジャニのお手並みが拝見できる企画といってもよい。これを2017年に一度もやらなかったことに対し私は本当に歯ぎしりのする思いである。
そんな面白い企画に溢れたクロニクルであるが、彼らはただ面白いだけではなく、面白いを「作る」こともできるというのを証明したのがトガキクロニクルである。プロデューサーインタビューを読んだ時に、横山さんによるジャム特典の没企画救済措置であったことを知り、セルフプロデュース力の高さに脱帽した。彼のプロデュース力は神番組クロニクルでも生きている。ファンが購入する撮り合いメイキングは、ファンが大好きな「わちゃわちゃ」がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。まさに適材適所の采配で、横山さん並びにスタッフさんの判断には敬服することしきりであった。
さて、クロニクルは企画を山のように生み出す。つまり新企画のスパンがとても短い。何を放送するかは一時的な視聴率や反響よりも、何か別のものを優先している気がする。(でなければ成立させろ記者会見が放送されない理由が分からない。)これをやったら面白いのではないかという発想と、新しい魅力をというエネルギーに溢れていて、関ジャニと共に今を駆け抜けている。そのため私は、なんとか成立させろの再演を心待ちにしている一方で、この勢いのまま、いけるとこまでアイデアの弾を撃ち尽くしてほしいとも思っているのである。
ペコジャニ
この三大勢力に秋から割って入ったのがペコジャニである。関ジャニじゃなくてもいいのではと疑問が浮かぶ番組になると思っていた視聴者の予想を見事に裏切り、とんでもないダークホースと化している。
まず食べ物で食欲が刺激されるし、(語弊があるかもしれないが)かわいいかっこいい自担に性欲が刺激される。人間は三大欲求のうち二つが満たされると幸せと感じるので、もうこの辺で既に本能に訴えかけているようなものであり、ずるいとしか言いようがない。第6回が放送されている今現在、錦戸さんが好きそうなものしか出てきておらず、このままいくと錦戸さんがレギュラーから外れるか番組が終わるかの選択を迫られるのではないかという懸念はある。
時間帯も関ジャムをひきずって始まる月曜日のオアシスだ。そしてなんといっても全国地上波、22時開始。実際大抵のファンはおなかいっぱいでこの番組を見ることになるので心穏やかに美しいかわいいかっこいい顔を拝めるし、外出組が十分に帰宅できる時間だし、終わっても23時と寝るのにちょうどいい。茶の間やTLでわいわいと実況しながらテレビを見る醍醐味を存分に味わえる温かさがある。
クロニクルもそうだが、ペコジャニもフットワークが軽い。特番では横山さん一人だったプレゼンターが、毎回二人で食材探しにロケに行くという形に改変にした。さらに五回にしてなんとメンバー全員が食べられるにも関わらず、ゲストが食べられないという破天荒な展開を見せている。台本があるかどうかはどうでもいい。台本を感じさせない型破りな姿を見せてくれるのが嬉しいのだ。私は毎日彼らに驚いていたい。
ペコジャニは食べられない視聴者のためにもリアクションでそのおいしそうな雰囲気を出さなければならない。実際、彼らは食べ物に「うわ~~~~っ」と興奮するし、私は彼らの表情に「うわ~~~~っ」と興奮する。食べられなければ彼らは「く~~~~~っ」と悔しがるし、私も彼らが食べられなかったことに「く~~~~~っ」と悔しがる。番組の狙いとは若干ずれているかもしれないが、理由はともかく、私は関ジャニと同じ表情を浮かべながら番組を楽しんでいる。そういう一体感もまたペコジャニならではかもしれない。
訂正:『第一回の一般人投票を、なんの予告もなく第二回ではさらりとやめていた。』と記載していましたが、初回のみということで予告はあったようです。ご指摘ありがとうございました!
ドラマや映画、舞台はもちろん関ジャニに気づくきっかけたりうるが、公開・放送の期間が数ヵ月と短いのがネックである。音楽特番やゲスト出演番組もあるが、こちらも単発で、アイドル性を売りにしているCDの購入やコンサートの需要に一気に向かうかと言われると多少疑問が残る。
認知の向上、少しの興味の熱量を引きあげ、ファンに突き落とすマーケティングとして、なんといっても現在のファンを飽きさせない手段として、地上波の番組に恵まれていることをありがたく思う。今年はビッグニュースがたくさんあり、いろんな活躍が見られたが、それを支えて能力を育て続けているのが冠番組である。関ジャニの複数人での面白さは以前の記事でも取り上げたが、7人という人数でかなりの多忙にもかかわらず、これだけのグループとしての番組を持っていることが改めてありがたいなと感じた次第だ。
私たちの日常にさりげなく入り込んでいる彼らの姿に「あ、いいな」の瞬間が訪れる。来年もそんな人がたくさん生まれますように。
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素材:遊戯王カードリスト・評価・オリカ(https://yugioh-list.com/)
よりお借りしました。(敬称略)