じゃにずについて考えたり妄想したいだけのブログ

じゃにずの皆様(関ジャニ中心)について、ただひたすら尊敬の念を込めてすげーなすげーななんでだろーっていうだけのブログです。

ヨコヒナシンメについて考える

ヨコヒナとは?

という永遠の解けない課題に、日々ぶち当たるオタクです。夫婦であり、相棒であり……その一つに「シンメ」があります。わたしはヨコヒナがシンメではないと真っ向から主張するつもりはありませんが(なぜならそれもまたヨコヒナだから……)、ただ、私の中では「ヨコヒナ=シンメ」ではないないのです。先日お題箱にご質問を頂いた際に、改めて考えた際、自分の中である一定の理由が見いだせました。


 確かに、ヨコヒナはあらゆる面で反対と言われがちです。がむしゃらMステの映像でも白と黒の対比がものすごく美しく、まさに正反対だなと感じました。ただ、シンメとは何かを考えた時に、単純に反対ではいけないと思うのです。シンメは「対」です。「対」とは、「そのものの軸に対して向かい合った位置に同等のものが存在する」ということなので、ある種の相同性があるかがシンメ基準の一つになるのかと思います。
 SexyZoneの代表的シンメ、ふまけんは背格好がとてもよく似ています。以前は顔の見た目も似ていました。そういった類似性に、内面が正反対であるという背反性がくっついて、シンメらしさが出ているのではないかと思います。ヨコヒナは容姿も中身も異なっているので、シンメらしさというところからは少し外れる気がするのです。


 あとは抽象的な話になりますが、ふまけんは同じ道を切磋琢磨しながら抜き抜かれで走っているようなイメージがあるのに対し、ヨコヒナは違う道を走っているイメージがあります。(目指すゴールは同じでしょうが。)ふまけんは同じドラマや映画という舞台の活躍が中心ですが、今やほぼ横山さんは役者班、村上さんはMC班と見られることが多くなりました。そう考えると、ヨコヒナのセットが定番だった頃、つまりレコメンや、ヒルナンデスという同じバラエティで同じようなノリで戦っていた当時は、今よりシンメっぽかったのかもしれませんね。


 もう一つあげるならばすばるくんの存在です。勝利くんはふまけんの中にデビューして初めて入ってきた存在ですが、すばるくんは奇跡のトライアングル三馬鹿のピースの一つです。主観的な言い方になってしまいますが、数字論でも語ったように三馬鹿というトラス構造がある限り、ヨコヒナはその1ピースとしての要素が強くなってしまうのではないかと思います。シンメは二人で完成される存在ともいえると思いますが、三馬鹿は三人で完成される存在なので、少し違和感があるのかなと思います。


長くなりましたが、要約すると
①内面のみならず、ビジュアル面や活躍の場といったところの相同性が低い
②三人で完成されるものの一部分という側面が強い
が理由かと思っております。


 悩みすぎてもうある種の境地にいきついた人たちにとって、ヨコヒナはヨコヒナとしか言いようがありません。幸か不幸か、人類は彼らを形容する言葉を持たないのだと思います。彼らだけが示す関係性の片鱗をふと垣間見る、それだけでわたしたちはなんだかわからないヨコヒナという概念に触れたような気持ちになるのです。